7時前に通りが騒がしくなるのと同時に、自然と起床した。昨晩は23時過ぎには寝たことを考えると8時間近く寝た計算になり、これは日本にいたころと比べるとかなり多い方だ。ただ、起きた時にいくつか体の不調を感じた。わずかだが喉が痛いのと、あとは軽い頭痛だ。軽い頭痛というのは、目だけ上を向くような動きを取った時に目の奥に痛みを感じるもので、熱がある時に発生するものだった。

 ただ、熱にしても体の内部のどこかが悪くて出ているというよりは、周りが暑いので、それに従って体温も上昇しているような印象を受けた。とりあえず深刻な病気にはかかっていなさそうで安心した。ただ、体調が完全ではないことは明白だ。どこか夢かうつつを漂っているような感じが抜けきらずに、頭がふわふわする感覚がある。それほどこの暑さがこたえているのだろうか・・・
 幸いに今日すべきことはそれほど多くない。最悪このチェンナイから次の目的地であるティルバンナマライまで移動できれば良いのだ。こういった悪条件での長期に渡る旅で一番してはいけないことはやはり焦ることである。そのためにも、最低限その日にすることを決めておくのは重要だった。それさえ達成できればあとはずっと寝ていたり、ビールを飲んだりしていてもOKとすれば気が楽になるだろう。

 体調が悪くても、お腹がやられていないのには安心した。食事は8時だ、と言われていたので8時に行ったらちょうど昨日のお兄さんがどこからか食べ物を運んできたところだった。昨日のパンと卵が一つになった料理に、今日はちょっとしたサクサクのスナックがついてきた。食べながらもう一人のスタッフに、バスターミナルまで行きたいのだが、どうやったら行けるだろうか?と聞いてみたところタクシーで行くのが一番良いということだった。いくらくらいかかるのかとの答えには、タクシーは全てメーターで動いているので正確なことはわからないが200ルピーはしないだろうとのこと。この体調の悪さと暑さ、そしてオートリクシャを使いたくないというい気持ちからタクシーを予約することにした。

 9時に予約したにも関わらずタクシーは8時50分にやってきた。エアコンが効いており、快適なのは良いのだが、運転はかなり荒かった。インドの道路は無秩序にどこからバイクやオートリクシャが飛び出してくるか読めないのに加えて道幅が広くなく、歩道も設けられていないため、ところどころでは人を轢きそうになってしまう。それを避けるためか少しでも危ないときや際どいときは激しくクラクションを鳴らして自らの接近を知らせるのだ。街中でクラクションが飛び交っているのは、こういった理由からなのだろう。日本ではクラクションなど、青信号になった時に前の車がなかなか動かないのを急かす時くらいしか使われないのでびっくりしてしまう。

 だいたい20分ほどでタクシーはバスターミナルに到着することができた。そして、ちゃんとメーターを使ってくれたようで(驚くことにメーターは、スマホのアプリだった)、180ルピーだった。200ルピーを渡したところ、「お釣りが無い」と言われる。実はこの、「お釣りが無い」というのは、インド人が多用してくる作戦の一つで、おそらくお釣りがあるにも関わらず、「ない」と答えることで、20や30など微妙な金額を旅行者に諦めさせるというものだ。日本ならば、どこかで崩してでもお釣りを渡すだけに文化の違いを感じる。どうやら客なるものは、全てお釣りが無いように渡すということを求められているのかもしれない。客の方が立場が上である日本とは違って、インドでは客は店側に売ってもらっているという考え方なのかもしれない。

 到着して少し歩くとチェンナイの玄関口となっているコーヤンベトゥバスターミナルに入った。ここはチェンナイ唯一のバスターミナルであり、インド全国へ向かうバスが発着している。中には、デリーやベンガルールといった大都市に向かう超長距離バスも発着しているようだ。ターミナルがあまりにも巨大なため、全くわからず手あたり次第に聞きまくって目当てのティルバンナマライへと向かうバスが発着するターミナルを見つけた。しかし、そのターミナル1と呼ばれるところだけでも20以上のバス停があり、更に悪いことに、バスのタイプが全く同じ緑色のもので、かつ行先表示も英語ではなく、タミル語(南インドの現地語)でしか表示されていなかったので、意味不明だった。

 その20以上あるバス停の真ん中のあたりにinformationと書かれたデスクがあったのでそこで質問して初めてティルバンナマライ行きのバスが奥から3番目のバス停から出るということを知ったのだった。確認のためにバスに乗っていた運転手に行先を聞くと「ティルバンナマライ」と答えたので安心して乗り込んだ。

 では、これから4時間以上もかかるドライブの主役となるのは一体どんなバスなのか?というと、もう30年以上は走っているのではないかという非常にぼろくて、今にも崩れそうなバスだった。冗談を言っているのではなく、本当にエンジンをかけたらガラガラガラという振動が激しくて、スピードを出し過ぎると分解してしまいそうなくらい車内は振動していた。動き出した瞬間、これは酔うぞと思って酔い止め薬を飲んでいたのは大正解だった。ちなみにインドのバスはPrivate と Governmentに分かれており、Privateというのは利用者も多い長距離の区間である程度お金を出しても快適に移動したいという層の顧客をターゲットにしている。一方でGovernmentは、政府が運営しているバスで圧倒的多数はである。ほぼ全ての路線を網羅しており、低価格のサービスがウリだが、使っている車両は非常にぼろくてエアコンもついていないため、快適な移動とは程遠い。

 はじめは、チェンナイからティルバンナマライへ行くことになったときに、プライベートバスを探した。インド人にとって4時間は短い移動でも、僕にとってはバスで移動するにはけっこう長い方だ。しかし、この区間は旅行者もそれほど多くなく、かつ短いためGovernment busしか走っていなかった。だから、このボロいバスに座っているのは妥協の産物なのである。ただ、公営なだけあって、料金は非常に安かった。だいたい4時間の移動で140ルピー(約200円)である。例えば東京にいた時に、自分の家から地下鉄で池袋まで出るのにも同じくらいの金がかかるのに、こちらは100倍以上の距離を移動して同じ値段である。まさにインド政府さまさまだ。

 出発してしばらくは忙しいチェンナイの街の中を走るが、そこをひとたび抜けると南インドの田園風景の中を駆け抜けていく。どこまでも続いている水田には水が入って稲が青々としている。道路の脇に立っている家からは無邪気そうな子供が不思議そうな目でバスを見つめているのが目に入る。まだまだ一部の大都市を除いては、このようにのんびりとしたエリアが大半だ。携帯電話が普及していることを除いて、インドの生活は、日本の40年前のそれのような気がする。分刻みのスケジュールなどに支配されることなく、太陽と気候に合わせる生き方。人間の生活の範囲を出るような無理をするようなこともない。どこまでも自然ありきの人間という生き方だ。

 ここでバスは高速道路のようなものに入った。少し高い場所に作られた高速道路へと進入するには、ぐるぐる巻きになっているインターチェンジに乗るところは日本と一緒だ。高速道路は一般道路と比べて美しかった。道の中央には分離帯の役割を果たす木々が植えられている。それらは黄色やピンク色の花を咲かせてドライバーの目を楽しませてくれる。安い安いガバメントバスなだけあって、当然エアコンはついておらず、窓を開け放って走行している。すると、窓からは乾季の乾いた風が車内へと吹き込んできてとても心地よい気分になる。そして知らない間に、夏の浅い眠りに誘われた。まるで夏のプールの後に横になって眠るようなそんな心地よさだった。

 一眠りして起きると車内のほとんどが埋まっていることに気付く。どうやら途中で何カ所か止まったようでその度にお客さんが降りては乗ってを繰り返している。僕のとなりは大きなスーツケースがあるため誰も座っていなかったが、後も前も人が乗ってきていた。ちょうど起きた時にはどこかのバス停に到着したようで、バスが止まるなり多くの物売りが押し寄せてきた。物売りの中には車内まで入って来るものもおり、冷たい水、キュウリのような野菜、スナック類などをこちらに見せて何やら叫んでいる。おそらく「水、おいしい水あるよー、20ルピーだよ」といったところだろうか。意外にもこれらの物は売れており、僕の乗ったバスの車内でもスナックにきゅうりにとみな買って口を動かしている。それがどうしても食べたくて買ったというよりは、何もない長距離の移動の暇つぶしにとりあえず買ってみて口を動かしているのだろう。車内では、豆を使ったスナックのようなものを大きな容器に入れて売っている物売りも入ってきていた。インドでは、おそらくまだこういったインフォーマルセクターの雇用が多数を占めていると思われる。国もだんだんと発展してきてはいるが、まだまだ多産の世界であり、人数に見合う正規雇用が保証されていない。そこで企業や政府などの雇用から漏れてしまった人はこのような物売りになったり、細々と農業を営んだりするのだろう。

 再び出発すると、また眠気に襲われて眠った。普段はあまりここまで連続してバスの中で眠るなんてことがないし、ましてや昨日は長時間睡眠をとったのにまだ眠れるということは体がそれを欲しているからなのだろう。やはりまだ体がこの本格的な暑さに対応できていないようだ。結果、何度も寝て、そして起きてを繰り返してバスはやっと終点のティルバンナマライへのバスターミナルへと到着した。ちょうど一日の中でも一番暑い時間と重なったためか、もう外を少し歩くだけでフラフラだった。そこへオートリクシャの運転手が声をかけてきたものだから、多少高かったが、70ルピーで予約していたホテル「ナラレジデンシー」へと向かってもらった。

 このホテルに到着した時ほど安心したことはない。このホテルは地球の歩き方の一番上の部分に載っているように、この街にあっては最高ランクのホテルだし、横にレストランとバーが併設されていた。これで探し回らなくても酒を飲むことができそうだ。チェックインもかなりスムーズで、英語を話せる女性スタッフが対応してくれた。そういえばこのホテルだけは支払いをこの場で行うという形式だったのでルピーで払うことにした。カードを使わなかった理由としては、思った以上に使うお金が少ないからだ。だいたい1日あたりの食費を1500円と計算していた(これでも安めだが)のが、実際は昼食と夕食合わせていっても250ルピープラスビールと飲み物代が300ルピーなので合計で550ルピー、つまり1000円を下回ることになる。更に移動費も、予想の半分以下だったので、このままだとルピーが余ってしまうのではないかと心配していたところだった。その中で、このホテルがクレジットカード決済されておらず、ルピーで支払えるのはありがたかったのだ。

 到着してとりあえず部屋に入ってからすぐレストランへと向かった。朝軽い食事をしてから、14時まで何も食べていなかった。ホテルのレストランということもあり、メニューはそれなりの多かったが、ここは迷わずにミールスを注文した。ミールスだと、いろいろな種類のカレーやスープを少しずつ食べられるのでお得感がある。そして今回はベジミールスではなく、ノンベジを注文する。出てきたプレートは、相変わらずバナナの皮が敷かれており、昨日食べたものよりもおかずの数は多かった。8品くらいはあるだろうか。更にご飯だけではなく、チャパティーと呼ばれるクレープのようなものまで付いていた。ノンベジなので、肉類もしっかりと入っており、チキン、マトン、そして魚のカレーがついていた。どれもとても辛かったので、付属のヨーグルトと混ぜて食べたらちょうどよい味になった。ヨーグルトをご飯に乗せて食べるなど到底想像できなかったが、ここインドではそうでもしない限りスパイスカレーの辛さをもろに食らうことになるので、やらざるを得ない。(そして甘くなりヨーグルトなのでご飯に合う)先ほどから熱っぽくてなんだか意識ももうろう状態だったが、不思議とご飯だけはしっかりと食べることができた。カレーが美味しいという理由もあるかもしれないが、結局大盛りに盛られたご飯、チャパティーと全てのおかずを残さずに食べることができた。

 そのまま部屋に戻って少し休んだ後、自らの体に鞭打ってこのティルバンナマライの聖山と呼ばれるアルナーチャラ山に登ることにした。一応この時はまだ頂上まで行くつもりだったため、暗くなる前に登って下ろうと思うと16時には出発する必要があった。外に出るとまだまだ暑い!少し歩いただけで汗が滴り落ちて、体は激しく水分を欲する。だいたい登山口までは歩いて30分ほどかかったが、それだけでもう一仕事終えたような気分になってしまった。ガイドブックに沿って道を登って行くと、途中に祠(ほこら)のような場所があり、怪しいおっさんが出てきた。まず、上半身裸で、ハワイでかけられるレイのよな首飾りをしており、顔を白や赤で塗っており、こちらに来いといった感じで手招きしている。彼らはヒンドゥー教の僧侶でサドゥーと呼ばれるらしい。ネパールに行った時にこのサドゥーは、目が合っただけでも”money, give me money!”と言って金銭を要求してきたので正直、敬虔な僧侶というよりはただのぼったくりのイメージがあった。今回もまたぼったくりなのだろうか、それともインドのサドゥーは違うのだろうか・・・と興味があったので、彼の方へと近付いてみた。

 もともと道がはっきりとわかっているわけではなかったので、彼に山に登る道を尋ねたところ、「名前は?」と逆に聞かれた。ここで名前を言うと、少し待てと言われて謎の儀式のようなものが始まった。彼の祠の中に連れていかれてまず、額に白い粉と赤い粉を塗られた。そして線香を炊いて彼が2分間くらいの間、お経と僕の名前を呼びながらお祈りを続け、最後に手に赤いミサンガを巻いて終わった。僕はあっけに取られていたところ、彼は「俺は本物だ、この山に20年籠って修行しているし、俺の家族はみんな僧侶だったんだ」と壁に貼ってあった写真を指した。たしかにその古い写真に写っていたのは洞窟で修行に励む僧侶だった。せっかくお祈りをしてもらったので、「いやあ、本当にありがとう」と言って100ルピーを渡して去ろうとすると、”Do you have some Japanese money?”と聞かれた。1万円札はあったが、そんなものを到底あげるわけなく、NOと答えると、「じゃあ、山への道を教えてやる。そこをまっすぐに行くんだ。でも大丈夫か?ものすごくハードだから半分くらいまでにしておいたほうがいいぞ」という丁寧なアドバイスまでしてくれた。僕はもう一度御礼を言って彼のもとを離れた。

 このサドゥーの祠があるあたりまではわりとしっかりとした階段状になった道が続くのだが、ここを通り越してからは階段が消えて、道なき道を全身しなければならなくなる。もともと今日は体力も消耗気味だったので、頂上まで行く計画は諦めており、17時15分になったら引き返そうと考えていた。

道は本当にハードで、ゴツゴツと剥きだした岩を滑らかにしたような段を登って行く。もう、これは完全に自然の階段と呼ぶべきもので、中にはかなり厳しい体勢にならないと前に進めないところもある。登っているうちに気付いたのは、これは登りよりも下りのほうが危険だということ。登るときは力さえかけていれば落ちずに済むが、下りは少しでも足を踏み外すと更にその下まで落ちてしまって大けがに繋がりかねない場所だ。地球の歩き方にはこの山は登ること前提に書かれているが、周辺に登っている人はひとりもおらず、落ちてケガをしても助けは期待できない。それでも、20分ほど登るとかなり視界が開けた場所に着き、そこからティルバンナマライの街並みを見下ろすことができた。やはり、この町の景色で一番目を引くのは、ヒンドゥー教寺院だ。町の中心部にとても大きな寺院があり、そこに5本の大きなゴープラムと呼ばれる塔が立っている。日本で言うと五重塔的なものであろうか、町の至るところに小さいものはあったが、一番大きいには60メートル以上あるのだという。

 ここでしばらく休んで先へ進むか引き返すか考えた。心なしかどんどん頭もぼやんとして体調が悪くなっているし、道も険しくなってきているため、無念のUターン。頂上まで行くと裸のサドゥーが、チャイ(お茶)を差し出してくれるというサプライズがあるらしいが、残念ながらそれは他の旅行者に譲りたい。案の定登りよりも厳しい下りを15分ほど続けて先ほどのサドゥーの祠の前を通過した。彼は奥のほうにおり、他のインド人と話していたが、こちらに気付くと笑顔で手を振ってくれた。その姿からは、敬虔さなどは微塵も感じなかった。

 ただ、本当に体がどうも言うことを聞いてくれない。喉は乾くし、頭はぼんやりとするし、体はほてっているし・・・どうやらこれだけで判断すると熱があるようだ。ただ、ここ5年ほど熱が出て事がないので、熱が出ているかもしれないという考えさえもあまり浮かばなかったようだ。まだ、インドの暑さに慣れていないから、このまましばらく外をうろついて暑さに慣れる必要がある、と考えた僕はそのまま先ほど上から眺めて寺院に入ることにした。
ここはヒンドゥー教の信仰の中心的な寺院であるようで、周辺の地域からバスで信者たちがやってきている。ただ、心が広く、異教徒にも開放しているため、履物を脱いで寺院の中に入った。神社の中はかんり落ち着いた場所で、ゆっくりとヒンドゥーの音楽が流れていた。18時近くなってだんだん涼しくなってきたこともあり、人々は地面に座ったり、腰かけたりして周りと話したり瞑想にふけったりしている。一角にはヤシの木が植えられているところもあり、それが南国の風に揺れている。クラクションが支配する外の世界と比べてとてものんびりとして穏やかな世界がそこには広がっていた。

 しばらく歩いてみたものの、本当に体が重くなってきたため、石段に座って休憩することにした。近くには池があり、多くの魚が泳いでいるのが見える。ああ、なんて落ち着いた場所なのだろう・・・と思っていると、誰かが僕の隣に座って、その友人っぽい人が写真を撮ったではないか。そして、また次の人がやってきて写真んを撮っている。まさか、南インドでは外国人というだけで写真を撮られるのか?と思ってよくよく考えてみたら、先ほどのサドゥーのところで顔に白い粉と赤い粉を振りかけられたのだった。ケータイのカメラで見てみても、たしかに滑稽に感じられる。これはヒンドゥー教徒が付ける模様らしいが、この日本人の僕がやっているのが滑稽だったに違いない。座って、水を飲んでいるうちに少しだけ体力が回復したので、本堂の近くに行ってみることにした。神様がいる本堂の中に入るには、異教徒の僕たちは20ルピー払わなければならない。だが、細かいお金がなかったので、100ルピー差し出すと、また「お釣りはない!」と言われた。おいおい、こんな場所でもお釣りはないのかよ、と思って途方にくれていると「もう、タダで入ってもいいよ」というふうにチェスチャーを示してくれたので、ありがたく入らせてもらうことにした。先ほどは、おつりはない、と言われて20ルピーほど損する結果になったが、今回おつりはないと言われて20ルピーほど得する結果になった。神様の元では、全ての営みは持ちつ持たれつの関係に回帰するのかもしれない。

 中は、それはもうヒンドゥー一色の世界だった。まず、本堂は石でできており、中は非常に薄暗くて暑い。換気の設備がないため、中で燃やした炎の熱がこもってしまい、南国の洞窟のような暑さがあった。そしてその一番奥まったところが洞窟のようになっており、中ではお祈りが行われていた。少ししか見えなかったが、炎が燃えている前で高級なサドゥーが踊りながらお祈りを行っており、その前に人々はひざまづいてお祈りをしている。一方で、そのお祈りを見て外に出るところには、これまたひとりの高級サドゥーが立っており、彼は全ての巡礼者のおでこに例の白い粉をつけていた。僕はもう正直やっていらんと思ったが、大人しくその流れに従って、額を更に白くしたのだった。

 このようにヒンドゥー教の寺院に入るという貴重な経験も終えて、やっとホテルに帰ることができた。夕方になって、町は少し涼しくなったせいかそれまで家の中にいた人々も外に出てきたようで道の交通量は多くなっていた。至るところでクラクションが鳴り、街角では屋台がおいしそうな匂いのする食べ物を売り始めている。そこは、昼間の埃っぽくて熱気だけが支配する世界とは対照的だった。ただ、僕の体ももう限界だった。体は熱く、頭はふらふらし、喉は乾ききっていた。ホテルに戻って部屋に入ると、とりあえず水のシャワーを浴びれるだけ浴びた。すると幾分かは生き返ったような気分になり、意識も少しはっきりとしだした。ただ、だるさと熱にかわって今度は眠気が襲って来た。涼んでいると強烈に眠たくなり、そのままベッドに倒れ込んだ。クーラーを入れたので、心地よい涼しさの中、眠り続けた。普段、東京のアパートでは寝付くのに苦労することがあるのが嘘のように、10秒ほどで眠りに落ちて、また寝て、また起きてを繰り返した。19時に眠って、だいたい21時まではベッドの中にいたようだ。

 21時前に起きた時に、喉の渇きがあったので、食事もかねてビールを飲みに行くことにした。このホテルはバーが併設されているので、1分と動かないうちにビールを口にすることができる。昨日はキングフィッシャーを飲んだが、今日は新しいものに挑戦しようと思ってHYDRABAD5000とういブランドを飲んだ。バーだけあってよく冷えており、最初の一口は今までで飲んだビールでベスト5に入る美味しさだった。だた、またここでインドの酒事情を説明しておくと、インドでは飲酒は一種の悪いこと?と考えられているようで、ホテルのバーも、青い怪しい光が支配する薄暗い空間だった。やってきているのもほとんどが男で、若くて快活な若者というよりは、どこか影をおびたおじさんたちが中心だった。ビールを頼んだら付け合わせで無料のゆで卵とカレー味のスナックがついてきた。これが非常に美味しくてビールが進んだのだった。

 では、怪しいバーなのでぼったくりなのかというと全くそんなことはない。今回はビールに加えてエビ焼きそばも注文して食べたにも関わらず合計は330ルピー(550円弱)だった。計算すると、ビールが200の焼きそばが130なので、先ほどの卵とスナックはまったくのサービスということになる。日本ならば、完全にお通しに該当するもので、しっかりとその料金も請求されるだろうに、インドのバーはとてもサービスが良かった。おそらく明日の夜もこのバーを使うことになるだろう。

 会計を済ませて部屋に戻るとまた先ほどの眠気が襲って来た。ただ、何度も言うように眠気なので気分が悪いとか、どこか痛いだとかそういった類のものでは一切なく、むしろ心地よさすら感じられるほどの眠気だった。だいたい22時過ぎに部屋に戻ってきて、しばらく寝て、一度起きて、水を飲んでまた寝たら時刻は2時だった。なんだかんだいって、外から帰ってきてから6時間ほど寝てしまった計算になる。ただ、これだけ寝て頭は冴えていたかと言われると全くそういうことではないので、再び電気を消して眠りに入ると、今度は朝の7時まで起きることはなかった。