今南インド来てます。
その様子をとりあえず旅行記から転記します。
実況中継的な感じなので、誤字・脱字も多いと思いますが、
最終版では訂正するので、とりあえず流して読んでいただければと思います。
一番懸念したのは、出発当日の服装だった。土曜日に見た天気予報によれば日曜日の気温は10度以下で肌寒い一日ということだった。一方で、インドは30度以上の常夏の世界が広がっており、インドの気候は3つに分かれているが、hot, hotter, hottestだ!というくらい暑いらしい。もしダウンジャケットでも着ていこうものならそれはインドで完全なお荷物となってしまうこと確実だろう。だからといって寒いのを我慢して風邪の元になってしまったり、帰って来た時に寒い思いをしなければならないことは避けたい。迷った結果、もう捨てても良いと思っている服を羽織っていって、途中でどうしても邪魔になったら捨てるというものだ。これならば万が一手放すことになっても惜しくないという南米で買ったセーターを一番上に羽織って家を出た。
幸いなのは今日が日曜日だということだ。平日だと通勤客で混雑した列車の中にスーツケースを持って乗らなければならず非常にしんどい。期待通り列車はかなり空いており余裕をもって空港に到着することができた。ちなみに今回の旅行は普段使っているiPhone6を持参することにした。いろいろ予約関連の資料を検索するときにも普段使っているもののほうが使い勝手が良いし、カメラの質も良いので南米のように盗難のリスクも高くない。
今回利用する航空会社は、マレーシア航空。一昨年立て続けに飛行機が墜落したことで一躍有名になってしまったが、あの事故は航空会社に完全な非があったというよりも、様々なアンラッキーが重なった結果なので、それほど危険視する必要もないだろう。成田では至って順調にチェックインして定刻通りに離陸することができた。
ひとつだけ残念な点があったとすれば、フライトマップが出なかったことだ。どうやら機材が故障しているらしく、他の乗客を見渡してもフライトマップを見ている客はいなかった。だから今自分がどこを飛んでいるのか、あとどれくらいで着くのかなど全く見当がつかずに不便だった。安い料金で運航しているだけのことはあり、エコノミークラスはほぼ満席で利用しているのはマレーシア人が中心のようだった。食事は至って普通。到着の直前に「軽食」のサービスがあるとアナウンスがあったので、何がでるのだろう?と思っていたらなんとコンビニで売っているような普通のおにぎりだった!しかもCAが
Which do you like, sandwich or onigiri? と聞いてくるではないか。隣に座っていたマレーシア人は迷いなくおにぎりをリクエストして、飲み物についてもOcha pleaseと言っていた。ティーではなくお茶なんだ・・・というのがびっくりだったが、食べ物を入れるコンテナの中を見てみるとほとんどがおにぎりでサンドイッチのストックが僅かだったので、乗客がおにぎりを多くリクエストするだろうという予想をしているのは明らかだった。マレーシアまでの飛行時間はだいたい7時間30分だったが、食事をしたり映画を観たり、旅行記を書いたり、昼寝をしたり、読書をしているとアッと言う間に過ぎ去った。ヨーロッパやアメリカ東海岸の12時間を超えるフライトはさすがに長すぎると思うが、これくらいならば我慢という言葉を使うまでもなく過ぎ去ってくれる。
マレーシアに到着するとまず熱気に包まれる。機内アナウンスによると気温は32度ということだった。32度といえば日本の夏ではなんでもない気温だが、いきなり冬から常夏の国に飛ぶと、体が20度の温度差に驚く。だがそれも、タラップを歩く一瞬のことですぐに空調の効いたターミナルビルに入ることになる。ここでの待ち時間はものすごく長かった。到着自体が17時30分で、チェンナイに向かう便の出発は22時15分と5時間以上も待たなければならない。
クアラルンプール国際空港はとても快適だった。ここまでがかろうじて「文明圏」と呼べるエリアだろうか。空港の中には様々なレストランが並んでいたので僕はちょうど食事の時間ということもあり、地元マレーシア料理を提供する店に入ることにした。空港が見渡せる場所にあるレストランで食べていると、5人くらいの日本人のグループが入って来るところだった。数人でいるとことからもメーカーのエンジニアといった雰囲気で、生ビールで乾杯してから料理を頼んでいた。話の内容からして、ひと仕事終えてこれから日本に帰るようだった。これから単独でインドに突入するこちらとは大違いである。
しかし空港では終始落ち着くことができなかった。まず一つは、空港の電光掲示板にチェンナイ行きの飛行機が3時間ほど遅れており、出発が翌日の2時45分になるという情報があったからだ。出発予定時刻が22時で、そこから更に4時間遅れるとなると向こうに着くのは朝方になってしまう。そうすれば公共交通機関も動いていないし、ホテルにたどり着くこともできない。弱ったなあ、ここは航空会社と交渉してマレーシアで一泊して翌朝チェンナイに向かう券に変更してもらおう、と思ってオフィスを探した。しかし、途中でもう一度電光掲示板を確認して失笑した。遅れているのは、他の航空会社のチェンナイ行きであり、僕が乗る予定のマレーシア航空の便は通常通り運行される、と書かれていたのだった。念のためもう一度確認しておいてよかった。
やっと落ち着いたと思って一応今夜泊まるホテルの詳細を確認していた。すると、ホテル直営のウェブサイトに目を疑う文字があった。”Only Indian nationals are allowed.”直訳すると、「インド人だけが泊まることを許される」となる。これは一体どういうことなのだろうか・・・僕はこのOYO Roomsというホテルを、Expediaを通して予約した。エクスペディアと言えば世界で最も信頼性の高いホテル予約サイトのうちのひとつであり、完全に信頼しきっていた。そのエクスペディアがインド人しか宿泊できないようなホテルを掲載しているのだろうか・・・?
心配になって他のソースを使って検索しようと試みて、Can foreigner stay at OYO rooms?などと打ち込んでみたがそれに関する情報はほとんど出てこなかった。ただ、OYO roomsはチェーンであり、他にもインド人専用のホテルがあるということはわかった。本来ならば空港では何の心配もせずに旅行記を書きたかったが、僕は貴重な時間をほとんどこの情報の検索に費やしてしまうこととなった。「いや、そもそも日本でも日本人専用なんていうホテルや旅館なんてないだろう」とか、「インドはいろいろ特殊なのかもしれない」などという考えが次々と浮かんだが、ネットが遅いことも相まって確証的な情報を得ることはついにできなかった。そこでもう、とりあえずはこのホテルに泊まることにして、タクシーの運転手に電話して外国人は宿泊できるのか聞いてもらうということにした。それでNOと言われれば他のホテルを探すだけだ。
チェンナイへと向かう飛行機は、だいたい30分遅れで出発したのだが、これは少々まずい。なぜならば、ホテルを予約したときに深夜0時までにチェックインしてくれと書かれていたからだ。それを過ぎると予約が取り消されることがあります、と。なんだかんだいって今回もトラブルだらけじゃないか、と思って離れているマレーシアの夜景を見ながら自嘲的に笑った。
飛行自体は一点を除いて快適だった。それは3人掛けの席のひとつ空けて隣に座っていたインド人のおじさんのいびきがうるさかったこと。じいさんは食事を終えるとすぐに寝始めておおきないびきをかき始めた。だんだんと我慢できない大きさになっていったので、手に持っていた枕で叩いてやろうかと思ったがもちろんそんなことをするわけにはいかず、仕方なくリュックから耳栓を取り出してフードを被った。それでも多少は聞こえていたが、機内が暗くなったことも助けて1時間30分ほど眠ることができた。
ぱっと機内が明るくなるのと同時に現実に引き戻される。何か夢を見ていたせいで一瞬自分がどこにいるのかわからなくなるが、すぐにここがインドへ向かう飛行機の中であることを思い出す。これからまだ、空港を出てタクシーを拾って無事にホテルへとたどり着く任務が残されていることを考えると少し憂鬱な気分になる。ただ、そういった交渉や不確定要素こそが旅を楽しくする一因でもあるのだが・・・さすがに今回は夜も更け過ぎて少しの恐怖感をおぼえる。
到着するとまず日本円をインドの通貨であるルピーに両替する。なんでもこのルピーという通貨は特殊で、国外への持ち出しが禁止されているようでインドの国内でしか手に入れることができないそうだ。というわけでレートが悪い空港で少々両替せざるを得ない。ここではやはり最小限の金額に留めておきたかったので5000円だけ出すと、Only five thousand??と聞き返された。Yesとだけ言って相手の目を見返すと渋々といった感じで金額を計算してくれてお金を受け取った。レートが悪い悪いと聞いてはいたがその悪さは相当で、だいたい1ルピー17円なのだが、そこでは1ルピーが20円を上回っていた。もっと良いレートを提示すればたくさん両替してやってもいいのに、この足元を見た商売の仕方は気に入らない。
次にホテルへと向かうタクシーを手配しようとしたが、そもそも前述の件もありホテルに宿泊できるかどうかが不明だった。そこで受付のお兄さんにホテルに電話してもらうように頼んだ。ただ、ここで僕はインドの洗礼を受けることになる。それは英語だ。
今まで行った国ではこちらが話すことになる人というのは大なり小なり観光業に携わっている人が中心で、英語を第二言語として学んだ人だった。そういった人々は英語を「勉強」しているのでアメリカ英語やイギリス英語といった標準的な英語の発音で話すことが多いし、こちらの言うことを理解してくれる。ただ、インド人は公用語として日常的に英語を使っているのだが、日常的に使うからこそ母語であるタミル語やヒンドゥー語と混じって独自の訛りが発生する。空港のタクシー手配デスクに居た人ですら、コミュニケーションを取るのにかなり苦労した。なんとか僕がホテルに電話をしてほしいということだけは伝えたところ自分の携帯電話で電話してくれたのだが、「ホテルに日本人が宿泊できるかということと、到着が0時を過ぎても大丈夫か聞いてほしい」という部分は伝わっていなかったようでいきなり電話を渡された。これは自分で事情を説明せよ、ということらしい。
ただ、電話の電波が想像以上に悪く、かつホテルのオーナーの英語はおじさんの英語以上に訛っていたためにほとんど聞き取ることが出来なかった。仕方がないのでおじさんに通訳をお願いして何と言っているのか教えてもらった。それによれば、ホテル側はbooking numberという予約番号が知りたいらしくて、それを聞いているのだということがわかった。ところが印刷して持参した予約票を見てもどこにもそんな番号は記載されていなかった。すると今度は名前を教えてくれと言われたのでゆっくりと説明した。これはどうにか理解してもらえたようで、最終的にYou can come.と言われてホテルに行けることになった。だが、いつもホテルでいろいろと情報収集することを習慣としていた自分にとってこれほどまで英語が通じないスタッフのいるホテルとはいったいどれほど酷いところなのだ?という疑念が生じていた。
こうしてタクシーに乗ったのだが、ここでまたインドのいい加減さを知ることになる。どうやらタクシーを手配してくれたおじさんとタクシー運転手の連携が取れていないようで、運転手からどこに行きたいのか?と散々聞かれた。しかも印刷したホテルの名前と住所を渡したところ、こんなところは知らないと言われる始末。そこでまた、その運転手がケータイを取り出してホテルに電話をすることになった。場所を聞けということなのだろうか・・・ そしてホテルに繋がったらこちらに電話を渡されて、先ほどの訛りの強いホテルのオーナーが言った質問が
Please tell me your booking number.
おい!さっき知らないから名前を言ったのにまたなんで存在さえもしない番号を聞かれるんだ?と若干腹立たしく思ったのだが、それが無いことを伝えると名前を教えてくれと言われたので先ほどと全く同じ要領で伝えていった。ひょっとすると先ほどとは別のスタッフが電話に出たのかもしれない。というか、ホテルの場所を教えてもらうために電話したはずなのに何故この不毛なやりとりが再び繰り返されることになったのだ?という疑問もある。運転手は依然として釈然としな顔をしていたので、
Go to this address, right away!と指示した。すると、運転手は何も言わなくなり、車を走らせてくれた。一体、先ほどのやりとりは何だったと言うのだ。
おそらくかなり近くまでは来ているであろうという場所になって、運転手は「ごめん、この近くだけどあなたのホテルがどこかわからない」と言ってくる。そして、また支持を仰ぐような目でこちらを見て来る。おいおい、あんたは運転のプロだし、こっちはチェンナイにはじめてくるんだから僕がわかるわけないだろ・・と呆れていると近くにいるおじさんたちに窓ごしでホテルの場所を聞き始めた。だが、周りの人でもそのホテルやホテルがある通りを知っている者などおらず、途方に暮れた。こうして僕たちは完全に詰んだ状態となってしまった。いや、そもそもこれはよくよく考えてみたら自分が悪いのかもしれない。予約したOYO roomsは、地球の歩き方が紹介しているような市の中心部にあるホテルではなく、郊外にあるホテルだった。何故もっとわかりやすい場所にある大きなホテルを予約しなかったんだ・・・という後悔が押し寄せた。以前イタリアに行ったときもミラノ郊外にあるホテルを予約してしまったせいでかなりとんでもないことになってしまっていたのでその時に教訓が全く生かされていない。特に飛行機で訪れた初めての都市では無難に旅行者がよく集まる場所にあるホテルを予約するというのが鉄板のルールであるはずなのに。
だが、今この状況でそんな後悔をしていても始まらない。運転手が頼りにならない以上、自分で何とかするしかないと考えた。そこでタイに行ったときのことを思い出した。タイでは郊外にある友人の家に宿泊したのだが、そこまで行くとき運転手が、場所がよくわからずgoogle mapを使っていたのを思い出した。ただ、もしスマホに地図が入っていたとしたら既に運転手は使っているはずだ。ダメ元で聞くだけ聞いてみようと思ってスマホを見せてもらったところ、アプリ自体は入っていた。そこで、開いてみると初期設定の画面が・・・ということは、この男、タクシー運転手であるにも関わらずgoogle mapを使ったことがないのか?と狐に抓まれたような気持ちになる。カーナビもついてない車でそもそも全ての道が頭に入っているわけないのだから、何故これを今まで一度も使ったことがないのだ? まるで信じられない気持ちだったが、慌てずに彼の携帯電話の初期設定から始めてなんとかマップを起動させることに成功した。そしてホテルの住所を入力するとここからすぐ近くであることが判明した。
Ok, I got the place, so please follow my instruction.
おそらく、旅行をしている中、全く見知らぬ異国の地でタクシードライバーに指示をするなどという状況に直面した旅行者が今までどれだけいただろうか?ここで、AEON時代に教えた道案内が思わぬ形で役立つことになった。Please go down this street. Turn right at the next intersection.
運転手は支持に従って車を走らせる。ゆっくりと、しかし確実にホテルに近付いていく。時計を見ると、もう深夜の1時10分をまわっている。日本時間で言うと4時近くまで起きていた計算になり、体はシャワーとベッドを求めている。そして、5分ほどの走行の後にようやくホテルに到着することができた!ただ、着いて愕然とした。それはホテルというよりもむしろ普通の家だった。直系30センチほどの小さな看板にOYO roomsと書かれているのがなければ必ず見過ごしてしまうことになっただろう。そもそも、何故こんなホテルというよりゲストハウスというようなものがエクスペディアに掲載されているんだろう・・・いろいろと疑念が頭の中に渦巻いたが、とりあえず今すべきことは一刻も早くチェックインして休むことだった。長期の旅行であってもいきなりスタートから躓くことは避けたい。
こちらがガイドしてやったのに、何故かチップを要求する運転手に200円だけ渡してお別れを告げてホテル内へと入る。そして思った。これはどう考えてもホテルというよりゲストハウス、いや普通の家だと笑 更にフロントらしき場所に行くと、別のインド人がいて、”You are so late!!!”と怒られた。たしかにそうだ、1時間以上も遅刻したのだから、詫びなければならない。ただ、単純にsorryと言うには、様々な事情が背後に控え過ぎている。とりえあず”Sorry, my airplane was delayed”.と言ったら”okay, I know.”と単純に引き下がった。いろいろあったが、とりえあず2時には寝ることができたし、これらのトラブルもインド旅行の語り草になれば、それはそれで最高の思い出となるだろう。
その様子をとりあえず旅行記から転記します。
実況中継的な感じなので、誤字・脱字も多いと思いますが、
最終版では訂正するので、とりあえず流して読んでいただければと思います。
一番懸念したのは、出発当日の服装だった。土曜日に見た天気予報によれば日曜日の気温は10度以下で肌寒い一日ということだった。一方で、インドは30度以上の常夏の世界が広がっており、インドの気候は3つに分かれているが、hot, hotter, hottestだ!というくらい暑いらしい。もしダウンジャケットでも着ていこうものならそれはインドで完全なお荷物となってしまうこと確実だろう。だからといって寒いのを我慢して風邪の元になってしまったり、帰って来た時に寒い思いをしなければならないことは避けたい。迷った結果、もう捨てても良いと思っている服を羽織っていって、途中でどうしても邪魔になったら捨てるというものだ。これならば万が一手放すことになっても惜しくないという南米で買ったセーターを一番上に羽織って家を出た。
幸いなのは今日が日曜日だということだ。平日だと通勤客で混雑した列車の中にスーツケースを持って乗らなければならず非常にしんどい。期待通り列車はかなり空いており余裕をもって空港に到着することができた。ちなみに今回の旅行は普段使っているiPhone6を持参することにした。いろいろ予約関連の資料を検索するときにも普段使っているもののほうが使い勝手が良いし、カメラの質も良いので南米のように盗難のリスクも高くない。
今回利用する航空会社は、マレーシア航空。一昨年立て続けに飛行機が墜落したことで一躍有名になってしまったが、あの事故は航空会社に完全な非があったというよりも、様々なアンラッキーが重なった結果なので、それほど危険視する必要もないだろう。成田では至って順調にチェックインして定刻通りに離陸することができた。
ひとつだけ残念な点があったとすれば、フライトマップが出なかったことだ。どうやら機材が故障しているらしく、他の乗客を見渡してもフライトマップを見ている客はいなかった。だから今自分がどこを飛んでいるのか、あとどれくらいで着くのかなど全く見当がつかずに不便だった。安い料金で運航しているだけのことはあり、エコノミークラスはほぼ満席で利用しているのはマレーシア人が中心のようだった。食事は至って普通。到着の直前に「軽食」のサービスがあるとアナウンスがあったので、何がでるのだろう?と思っていたらなんとコンビニで売っているような普通のおにぎりだった!しかもCAが
Which do you like, sandwich or onigiri? と聞いてくるではないか。隣に座っていたマレーシア人は迷いなくおにぎりをリクエストして、飲み物についてもOcha pleaseと言っていた。ティーではなくお茶なんだ・・・というのがびっくりだったが、食べ物を入れるコンテナの中を見てみるとほとんどがおにぎりでサンドイッチのストックが僅かだったので、乗客がおにぎりを多くリクエストするだろうという予想をしているのは明らかだった。マレーシアまでの飛行時間はだいたい7時間30分だったが、食事をしたり映画を観たり、旅行記を書いたり、昼寝をしたり、読書をしているとアッと言う間に過ぎ去った。ヨーロッパやアメリカ東海岸の12時間を超えるフライトはさすがに長すぎると思うが、これくらいならば我慢という言葉を使うまでもなく過ぎ去ってくれる。
マレーシアに到着するとまず熱気に包まれる。機内アナウンスによると気温は32度ということだった。32度といえば日本の夏ではなんでもない気温だが、いきなり冬から常夏の国に飛ぶと、体が20度の温度差に驚く。だがそれも、タラップを歩く一瞬のことですぐに空調の効いたターミナルビルに入ることになる。ここでの待ち時間はものすごく長かった。到着自体が17時30分で、チェンナイに向かう便の出発は22時15分と5時間以上も待たなければならない。
クアラルンプール国際空港はとても快適だった。ここまでがかろうじて「文明圏」と呼べるエリアだろうか。空港の中には様々なレストランが並んでいたので僕はちょうど食事の時間ということもあり、地元マレーシア料理を提供する店に入ることにした。空港が見渡せる場所にあるレストランで食べていると、5人くらいの日本人のグループが入って来るところだった。数人でいるとことからもメーカーのエンジニアといった雰囲気で、生ビールで乾杯してから料理を頼んでいた。話の内容からして、ひと仕事終えてこれから日本に帰るようだった。これから単独でインドに突入するこちらとは大違いである。
しかし空港では終始落ち着くことができなかった。まず一つは、空港の電光掲示板にチェンナイ行きの飛行機が3時間ほど遅れており、出発が翌日の2時45分になるという情報があったからだ。出発予定時刻が22時で、そこから更に4時間遅れるとなると向こうに着くのは朝方になってしまう。そうすれば公共交通機関も動いていないし、ホテルにたどり着くこともできない。弱ったなあ、ここは航空会社と交渉してマレーシアで一泊して翌朝チェンナイに向かう券に変更してもらおう、と思ってオフィスを探した。しかし、途中でもう一度電光掲示板を確認して失笑した。遅れているのは、他の航空会社のチェンナイ行きであり、僕が乗る予定のマレーシア航空の便は通常通り運行される、と書かれていたのだった。念のためもう一度確認しておいてよかった。
やっと落ち着いたと思って一応今夜泊まるホテルの詳細を確認していた。すると、ホテル直営のウェブサイトに目を疑う文字があった。”Only Indian nationals are allowed.”直訳すると、「インド人だけが泊まることを許される」となる。これは一体どういうことなのだろうか・・・僕はこのOYO Roomsというホテルを、Expediaを通して予約した。エクスペディアと言えば世界で最も信頼性の高いホテル予約サイトのうちのひとつであり、完全に信頼しきっていた。そのエクスペディアがインド人しか宿泊できないようなホテルを掲載しているのだろうか・・・?
心配になって他のソースを使って検索しようと試みて、Can foreigner stay at OYO rooms?などと打ち込んでみたがそれに関する情報はほとんど出てこなかった。ただ、OYO roomsはチェーンであり、他にもインド人専用のホテルがあるということはわかった。本来ならば空港では何の心配もせずに旅行記を書きたかったが、僕は貴重な時間をほとんどこの情報の検索に費やしてしまうこととなった。「いや、そもそも日本でも日本人専用なんていうホテルや旅館なんてないだろう」とか、「インドはいろいろ特殊なのかもしれない」などという考えが次々と浮かんだが、ネットが遅いことも相まって確証的な情報を得ることはついにできなかった。そこでもう、とりあえずはこのホテルに泊まることにして、タクシーの運転手に電話して外国人は宿泊できるのか聞いてもらうということにした。それでNOと言われれば他のホテルを探すだけだ。
チェンナイへと向かう飛行機は、だいたい30分遅れで出発したのだが、これは少々まずい。なぜならば、ホテルを予約したときに深夜0時までにチェックインしてくれと書かれていたからだ。それを過ぎると予約が取り消されることがあります、と。なんだかんだいって今回もトラブルだらけじゃないか、と思って離れているマレーシアの夜景を見ながら自嘲的に笑った。
飛行自体は一点を除いて快適だった。それは3人掛けの席のひとつ空けて隣に座っていたインド人のおじさんのいびきがうるさかったこと。じいさんは食事を終えるとすぐに寝始めておおきないびきをかき始めた。だんだんと我慢できない大きさになっていったので、手に持っていた枕で叩いてやろうかと思ったがもちろんそんなことをするわけにはいかず、仕方なくリュックから耳栓を取り出してフードを被った。それでも多少は聞こえていたが、機内が暗くなったことも助けて1時間30分ほど眠ることができた。
ぱっと機内が明るくなるのと同時に現実に引き戻される。何か夢を見ていたせいで一瞬自分がどこにいるのかわからなくなるが、すぐにここがインドへ向かう飛行機の中であることを思い出す。これからまだ、空港を出てタクシーを拾って無事にホテルへとたどり着く任務が残されていることを考えると少し憂鬱な気分になる。ただ、そういった交渉や不確定要素こそが旅を楽しくする一因でもあるのだが・・・さすがに今回は夜も更け過ぎて少しの恐怖感をおぼえる。
到着するとまず日本円をインドの通貨であるルピーに両替する。なんでもこのルピーという通貨は特殊で、国外への持ち出しが禁止されているようでインドの国内でしか手に入れることができないそうだ。というわけでレートが悪い空港で少々両替せざるを得ない。ここではやはり最小限の金額に留めておきたかったので5000円だけ出すと、Only five thousand??と聞き返された。Yesとだけ言って相手の目を見返すと渋々といった感じで金額を計算してくれてお金を受け取った。レートが悪い悪いと聞いてはいたがその悪さは相当で、だいたい1ルピー17円なのだが、そこでは1ルピーが20円を上回っていた。もっと良いレートを提示すればたくさん両替してやってもいいのに、この足元を見た商売の仕方は気に入らない。
次にホテルへと向かうタクシーを手配しようとしたが、そもそも前述の件もありホテルに宿泊できるかどうかが不明だった。そこで受付のお兄さんにホテルに電話してもらうように頼んだ。ただ、ここで僕はインドの洗礼を受けることになる。それは英語だ。
今まで行った国ではこちらが話すことになる人というのは大なり小なり観光業に携わっている人が中心で、英語を第二言語として学んだ人だった。そういった人々は英語を「勉強」しているのでアメリカ英語やイギリス英語といった標準的な英語の発音で話すことが多いし、こちらの言うことを理解してくれる。ただ、インド人は公用語として日常的に英語を使っているのだが、日常的に使うからこそ母語であるタミル語やヒンドゥー語と混じって独自の訛りが発生する。空港のタクシー手配デスクに居た人ですら、コミュニケーションを取るのにかなり苦労した。なんとか僕がホテルに電話をしてほしいということだけは伝えたところ自分の携帯電話で電話してくれたのだが、「ホテルに日本人が宿泊できるかということと、到着が0時を過ぎても大丈夫か聞いてほしい」という部分は伝わっていなかったようでいきなり電話を渡された。これは自分で事情を説明せよ、ということらしい。
ただ、電話の電波が想像以上に悪く、かつホテルのオーナーの英語はおじさんの英語以上に訛っていたためにほとんど聞き取ることが出来なかった。仕方がないのでおじさんに通訳をお願いして何と言っているのか教えてもらった。それによれば、ホテル側はbooking numberという予約番号が知りたいらしくて、それを聞いているのだということがわかった。ところが印刷して持参した予約票を見てもどこにもそんな番号は記載されていなかった。すると今度は名前を教えてくれと言われたのでゆっくりと説明した。これはどうにか理解してもらえたようで、最終的にYou can come.と言われてホテルに行けることになった。だが、いつもホテルでいろいろと情報収集することを習慣としていた自分にとってこれほどまで英語が通じないスタッフのいるホテルとはいったいどれほど酷いところなのだ?という疑念が生じていた。
こうしてタクシーに乗ったのだが、ここでまたインドのいい加減さを知ることになる。どうやらタクシーを手配してくれたおじさんとタクシー運転手の連携が取れていないようで、運転手からどこに行きたいのか?と散々聞かれた。しかも印刷したホテルの名前と住所を渡したところ、こんなところは知らないと言われる始末。そこでまた、その運転手がケータイを取り出してホテルに電話をすることになった。場所を聞けということなのだろうか・・・ そしてホテルに繋がったらこちらに電話を渡されて、先ほどの訛りの強いホテルのオーナーが言った質問が
Please tell me your booking number.
おい!さっき知らないから名前を言ったのにまたなんで存在さえもしない番号を聞かれるんだ?と若干腹立たしく思ったのだが、それが無いことを伝えると名前を教えてくれと言われたので先ほどと全く同じ要領で伝えていった。ひょっとすると先ほどとは別のスタッフが電話に出たのかもしれない。というか、ホテルの場所を教えてもらうために電話したはずなのに何故この不毛なやりとりが再び繰り返されることになったのだ?という疑問もある。運転手は依然として釈然としな顔をしていたので、
Go to this address, right away!と指示した。すると、運転手は何も言わなくなり、車を走らせてくれた。一体、先ほどのやりとりは何だったと言うのだ。
おそらくかなり近くまでは来ているであろうという場所になって、運転手は「ごめん、この近くだけどあなたのホテルがどこかわからない」と言ってくる。そして、また支持を仰ぐような目でこちらを見て来る。おいおい、あんたは運転のプロだし、こっちはチェンナイにはじめてくるんだから僕がわかるわけないだろ・・と呆れていると近くにいるおじさんたちに窓ごしでホテルの場所を聞き始めた。だが、周りの人でもそのホテルやホテルがある通りを知っている者などおらず、途方に暮れた。こうして僕たちは完全に詰んだ状態となってしまった。いや、そもそもこれはよくよく考えてみたら自分が悪いのかもしれない。予約したOYO roomsは、地球の歩き方が紹介しているような市の中心部にあるホテルではなく、郊外にあるホテルだった。何故もっとわかりやすい場所にある大きなホテルを予約しなかったんだ・・・という後悔が押し寄せた。以前イタリアに行ったときもミラノ郊外にあるホテルを予約してしまったせいでかなりとんでもないことになってしまっていたのでその時に教訓が全く生かされていない。特に飛行機で訪れた初めての都市では無難に旅行者がよく集まる場所にあるホテルを予約するというのが鉄板のルールであるはずなのに。
だが、今この状況でそんな後悔をしていても始まらない。運転手が頼りにならない以上、自分で何とかするしかないと考えた。そこでタイに行ったときのことを思い出した。タイでは郊外にある友人の家に宿泊したのだが、そこまで行くとき運転手が、場所がよくわからずgoogle mapを使っていたのを思い出した。ただ、もしスマホに地図が入っていたとしたら既に運転手は使っているはずだ。ダメ元で聞くだけ聞いてみようと思ってスマホを見せてもらったところ、アプリ自体は入っていた。そこで、開いてみると初期設定の画面が・・・ということは、この男、タクシー運転手であるにも関わらずgoogle mapを使ったことがないのか?と狐に抓まれたような気持ちになる。カーナビもついてない車でそもそも全ての道が頭に入っているわけないのだから、何故これを今まで一度も使ったことがないのだ? まるで信じられない気持ちだったが、慌てずに彼の携帯電話の初期設定から始めてなんとかマップを起動させることに成功した。そしてホテルの住所を入力するとここからすぐ近くであることが判明した。
Ok, I got the place, so please follow my instruction.
おそらく、旅行をしている中、全く見知らぬ異国の地でタクシードライバーに指示をするなどという状況に直面した旅行者が今までどれだけいただろうか?ここで、AEON時代に教えた道案内が思わぬ形で役立つことになった。Please go down this street. Turn right at the next intersection.
運転手は支持に従って車を走らせる。ゆっくりと、しかし確実にホテルに近付いていく。時計を見ると、もう深夜の1時10分をまわっている。日本時間で言うと4時近くまで起きていた計算になり、体はシャワーとベッドを求めている。そして、5分ほどの走行の後にようやくホテルに到着することができた!ただ、着いて愕然とした。それはホテルというよりもむしろ普通の家だった。直系30センチほどの小さな看板にOYO roomsと書かれているのがなければ必ず見過ごしてしまうことになっただろう。そもそも、何故こんなホテルというよりゲストハウスというようなものがエクスペディアに掲載されているんだろう・・・いろいろと疑念が頭の中に渦巻いたが、とりあえず今すべきことは一刻も早くチェックインして休むことだった。長期の旅行であってもいきなりスタートから躓くことは避けたい。
こちらがガイドしてやったのに、何故かチップを要求する運転手に200円だけ渡してお別れを告げてホテル内へと入る。そして思った。これはどう考えてもホテルというよりゲストハウス、いや普通の家だと笑 更にフロントらしき場所に行くと、別のインド人がいて、”You are so late!!!”と怒られた。たしかにそうだ、1時間以上も遅刻したのだから、詫びなければならない。ただ、単純にsorryと言うには、様々な事情が背後に控え過ぎている。とりえあず”Sorry, my airplane was delayed”.と言ったら”okay, I know.”と単純に引き下がった。いろいろあったが、とりえあず2時には寝ることができたし、これらのトラブルもインド旅行の語り草になれば、それはそれで最高の思い出となるだろう。