~復路~
このホテルを予約した理由に朝食バイキングが無料なことがある。今では多くのビジネスホテルが朝食無料を実施しえいるが、内容はまちまちである。このホテルリブマックスはもともとの料金が4000円ということもあり、あまり期待していなかったが、それをはるかに上回る豪華な品揃えだった。まず、魚も肉もあり、納豆と卵が用意されている!更に漬物類も豊富で、ご飯が寂しくなることはない。食後のコーヒーの味も悪くなく、心ゆくまで堪能して出発の準備をした。
天気予報によれば、本日は曇りで気温は前日よりも3度以上低くなるということだった。ただ、風は相変わらず弱いという予報だったのでとりあえず胸をなでおろした。途中で江の島に寄るという予定もあったため、朝8時30分にはホテルを出発した。
しかし、もうホテルを出発してすぐに空気の冷たさが全身を襲った。幸い筋肉痛にはなっていなかったものの、差すような痛みが肌と足に突き刺さる。今日は昨日の山がちな国道1号線ではなく、海沿いを走ろうと思っていたのでとりあえず南下して海岸線を目指した。すると、国道134号線という道のすぐ脇に、自転車と歩行者しか通ることができない立派な遊歩道があるのを発見した。これは海岸線に沿って作られており、終始海を見ながら、車の脅威を感じずに走ることができるというサイクラーにとって夢のような道だった。そして看板によればこの道は江の島方面に7キロ以上続いているということだった。
この瞬間はものすごくうれしくなり上機嫌でどんどん道を進んだ。空は相変わらず何日も便秘が続いているように重く、どんよりしているが、それでも海の音を聞きながら進めるのは良かった。月曜日にも関わらず散歩をしている人、走っている人、そして海でサーフィンを楽しむ人は多く、寂しさは感じなかった。この道はそして本当に走りやすい道で、大きな坂もなく、あっという間に7キロを走り切った。
このサイクリングロードの終点は、江の島だった。行く手のすぐ右手に大きな江の島の姿が見え、遠目からでも近代的な展望台の姿を見ることができた。と、ここで思わぬハプニングが発生した。なんと天気予報は雨が降ることはおそらくない、と言っていたにも関わらず空からは冷たい水滴が落ちてきていた。県道305号線を通って江の島に向かう途中もどんどん雨はひどくなり、恐ろしく寒かった。温度計があったので、気温を見てみるとなんと5度しかなかった。5度!しかも日差し無しの5度!!
今までこんな過酷な条件でサイクリングはしたことがなかった。ハンパない寒さの上に更に拍車をかける雨、そして滑りやすくなった道路・・・ただ、昨日の坂で感じたような怒りは不思議と湧いてこなかった。これはある種の諦めだ。人間がつくった 道、というものに対しては怒りが湧くが、相手が天ならばもうなすがままに進むしかないという一種の崇高なる諦めなのだ。幸いなことに、雨は強くなることはなく、島に到着する頃にはかなり弱まっていた。手元のアプリで確認しても、先ほどの雨雲はもう太平洋へと抜けつつあり、あと10分くらいすれば雨は完全に上がるようだった。
一瞬、江の島観光をどうしようかなあと迷ったが、あまり景色が良さそうではなかったことや、一人でしても面白くないと思ったことから、断念してごくごく一部のみを回った。まず、大きな神社に行ってお参りしてとりあえず復路の安全を祈願する。島の奥には展望台やいくつもの自然スポットなど面白そうなものが多かったが、これは次回恋人と来た時の楽しみとしておこう。
自転車のところへ戻ってくると、ちょうど雨が止んだので、再び北へと向かって進むことにする。まずは、北上する国道に乗って藤沢を目指した。途中に大きなドラッグストアがあるのを見つけたのでここでアクエリアスと栄養ドリンクを買った。こんなに寒い日でも激しい運動をするとしっかりと汗はかいており、スポーツドリンクがものすごくおいしく感じられる。栄養ドリンクは後半戦を乗り切るためのリリーフ的な存在として温存する。
ここでルートを確認して再び出発する。しばらく国道を北上した後は県道30号線に進路を取り国道1号線に合流するという箱根駅伝と全く同じコースを辿る。昨日はどんどん遠ざかっていた東京に向かって今日はどんどん近づいてくる。
お馴染みの青い交通案内は、基本的に進行方向にある町の名前が2つ表示されるようになっており、左側に遠い、大きな町が、そして右側に近い、小さな町が表示される。県道30号線から国道1号線に入ってはじめの案内には左側に「日本橋」そして、右側には「戸塚」と書かれていた。前にあるドラマで、日本橋のことをすべての道が始まる地点。ここから日本全国どこへでも行けるように麒麟に翼がついているんだ、という言葉があったのを思い出す。たしかに、この1号線も確かに日本橋へと続いている。そして、だんだんとそこへと近付いていることをドライバーたちに知らせるこの表示こそが、彼らを安心感で包み込むのかもしれない。
国道1号線に入って、まず僕の行く手を阻んだのはかの有名な「遊行寺坂」である。
この坂は大きくて長い登りとなっており、箱根駅伝の8区の難所として知られている。一体どんなものかと上り始めるが、すぐにギブアップして自転車を引いていった。確かに難所というだけあってものすごく長くて、斜度も急だった。ここを自転車で最初から最後まで登り切るというのはもう至難の業だろうし、そんな奴がいたら心から尊敬したい。自転車を引くのにも疲れたころにやっと坂が終わり、平坦な道が現れた。と思ったのはつかの間で、また緩い傾斜の坂となった。一体、この道はどれほど僕たちを悩ませるのだろうか。
ここからまた、下りと上りが連続する区間をやっとのことで乗り越えて戸塚駅に近付いた。
昨日の教訓を生かして今日はもうある程度の坂があれば躊躇なく自転車を押して歩くことにした。一番体力を奪われたのは何かと思い返してみた時に坂を自力で登ろうとしたことが一番の原因だったように思える。坂は、まともに張り合って自転車で登ろうとすると牙をむいて襲い掛かって来るが、大人しく引いて歩けばそれなりに乗り越えることができる。空は、雨こそ降っていないが相変わらずのどん曇りで、朝から気温が上がっている気配などほとんど感じられなかった。ただ、汗をかきにくいという意味ではこれはかなりありがたかったが・・・
そして戸塚駅こそが、行きに一番自分を苦しめた、と言っても良いポイントだった。なぜかと言えば、線路をまたぐために掘られたトンネルが自転車通行禁止となっており、迂回したのだが、その道がとてつもなく遠回りで複雑だった。もう、あれを通るのは絶対に嫌だと思ったので、その自動車専用の道を突っ切ることにした。その道は、地下トンネルなのでいったん下ってから平坦になり、また地上に向かって上るという構造になっている。
後ろから車が来ていないのを確認して、思い切りスピードを付けてトンネルを下った。おそらく時速40キロは出ていただろう。そして、平坦になったら、思い切り漕いでスピードを維持して坂へと向かった。たしかにキツいものの、下りでつけたスピードを生かして猛スピードで駆け上がる。最後の50メートルくらいはさすがに足が上がってかなりの気力と体力を投入したが、それでも登り切ることができた。あまりにも疲れたのでしばらく自転車を引いて歩いて進んだ。
すると、ふとひとりのおじいさんが歩いているのが目に止まった。おそらく地元の人なのだろう。スーパーの買い物袋と思しきものをぶら下げてゆっくり、ゆっくりと歩いている。ぜいぜい言いながら地下道を駆けあがって来た僕のほうをちらりと見て、「ご苦労さんやなあ」とつぶやいた。たしかに、彼から見れば、僕がやっていることは完全なご苦労様になるだろう。
しかし、ふと、彼に寄り添って自転車を押して町を歩いてみると、その町の日常に思いを馳せることができる。ゆったりと流れる川、月曜休業の看板を掲げるいかにも通そうな人が通うであろう料亭、個人営業の電気屋・・・おそらくここから見える景色は、この老人にとって何十年と変わらぬ日常であり続けた風景なのだろう。自転車で旅をしていると、車と違って、その気になれば住人の日常にふっと入り込むことができるのがいい。25キロものスピードで駆け抜ける区間があるかと思えば、こうしてゆっくりと歩く区間もある。鉄道や車での旅行と違って、自転車の旅行は全てがアレンジ可能だ。この自由奔放さも、サイクリング旅行の大きな魅力のひとつだ。
いつの間にか雨も止んでおり、少しずつではあるが、気温が上がっていくのを感じる。朝平塚を出発したときは、こんな寒い中無事に帰りつけるのかと心配になったが、実際に走ってみて思ったのは、7、8度の気温だと汗もかかないし、日差しを眩しく感じることもないので大変走りやすい、ということだ。心配していた風が吹く気配もなく、今までのところ景色の中の草木が風で揺れているのは見られない。
The rain had already stopped. The temperature is gradually raising as the time goes. When I left Hiratsuka in the morning, I was wondering if I could go back safely. Against my apprehension, I soon realized that temperature like this, 7 or 8 degree Celsius, and cloudy sky can create the best condition for cycling, because I don’t sweat at all. There has been no sign of wind disturbing my journey. Gracing at trees along the street, I haven’t seen them swinging by wind.
結局、ある種の禁じ手を使ってこの地下道を通ったことにより、往路では20分かかって抜けた戸塚駅を、わずか5分ほどでクリアすることができたのだった。戸塚を抜けるとだいたい時間は11時になっている。いくら朝ビュッフェを食べたといえども、そろそろお腹が空いてくる時刻だ。まるでそれをあおるかのように沿道には様々な飲食店が並んでいる。その中でも、ひときわ僕の目を引いたのはサラダバーがある肉系のレストランだ。特にフォルクスという店は、サラダバー、ライスなどがお代わり自由となっており、僕はがっつり野菜を食べたい気分になってくる。だが、ここでこの誘惑に負けてしまってはいけない。サイクリング途中にお腹がいっぱいになってしまうと脂肪を燃焼させることもできないうえに、腹痛が起きることもある。
道は、相変わらずアップダウンの繰り返しだ。特に戸塚を出てしばらくはどろどろした登りが延々と続く。まだ登っているのか、しつこい!というくらいだらだらと長い坂が続いている。これくらいの坂はいつも、自転車を押すべきか、それともそのまま乗り続けるべきなのかとても悩ましい。乗ったら乗ったで何とかなるのだろうが、後々を考えるとスタミナの消耗は極力避けたい。往路で無理をして足が攣りそうになったのでここは半分以上の区間を押して進んだ。
すると、ここで往路で散々苦しめられた権田坂を味方につけるチャンスが巡って来た。往路が登りだということは、当然復路は下りということだ。登りあれば、下りあり。これはどうやらこの世の中の普遍の法則のようだ。ドルと円の為替市場だって、どちらかの通貨が高くなりっぱなしということはなく、一定の範囲内を行ったり来たりするし、人生でも悪い事があった後は、些細な幸せが大きな幸福感をもたらしてくれる。
ただ、ここで調子に乗ってノーブレーキで行ってしまうことは禁物だ。下りで飛ばすことがいかに悪いことかは、少し前に軽井沢で起きたスキーバスの事故が証明している。だいたいブレーキを30%くらい利かせて坂を下っていく。行きに「もう二度と来るか!」と思って後にした公園の入り口、駐車場がものすごく汚いファミマ、地元客で混雑するスーパーのサミット・・・昨日登りで顔をしかめながら通り過ぎた風景が次々と過ぎ去っていく。車が渋滞しているようなところでは、左側を細心の注意を払って通過していくのが心地よい。自転車は、車と違って都会でも渋滞知らずだ。
坂が始まってから、一度も自分の力で漕ぐことなく権田坂を通過すると、あとは保土ヶ谷を通り過ぎて一気に横浜を目指す。このあたりになるともう坂とは無縁で、スピードを保ったままどんどん進むことができる。
心なしか、往路よりも疲れを感じずにここまで来ることができた。おそらくそれは、坂と闘わなかったからだろう。往路はムキになって叫びながら坂を登ったのだが、復路は無用な戦いを避ける和平の道を選んだ。すると、スタミナを無駄に消費することもなく、快適にサイクリングができるのだ。横浜まで来て、ふと思い立った。
「そうだ、あいつの家に遊びに行こう。」
あいつ、というのは小学校4年生くらいの時から仲が良かった、現在でも繋がっている数少ない幼馴染だ。彼女は今、結婚して東京の大田区大森に住んでいる。前回横浜に行った時も帰りに彼女の家を訪れていろいろと近況報告をしたものだった。おそらく、話すのはその時以来だ。ふたりの間には、1年の時が横たわっている。
「あ、もしもし。今から遊びに行っていい?」
「あ、いいよー。旦那さんいるけどいい?」
「こうちゃんね、全然OK!」
1年ぶりに話すというのに、たったこれだけで家に遊びに行くことが決まった。しかも2時間前に。
というのも、彼女とは、本当にずっと小さい頃から一緒に遊んでいた仲だったからだ。彼女はミャンマー人で、僕が4年生の時に隣の家に引っ越してきたのだが、仲良くなってからはほぼ毎日家に遊びに行った。お姉さんと弟もいて、みんなで外で遊んだり、ゲームをしたりしていた。家族ぐるみの付き合いで、お母さんもよくミャンマー料理をご馳走してくれたし、僕の母も野菜を持って行ったりしていた。幼いころは漠然と、この子と結婚するんだろうなあ、と考えていた。
だが、そんな彼女は2年前に名古屋大学に通う同級生と結婚した。大学院を出て、就職せずの結婚だっただけに周りは反対したが、彼女はそれを突きとおした。僕は当時もう付き合っている人がおり、彼女に対しては幼馴染という気持ちしかなかったため、素直に祝福した。
突然の訪問で、かつ旦那さんまでいるとなったら、手ぶらで行くわけにはいかないと考え、東神奈川駅の近くにあるイオンに寄って横浜名物の「シウマイ」を買った。これを持っていけば何も文句は言われない、という無難なお土産に違いない。
ここでたこ焼きとおにぎりを食べて腹ごしらえを完了させて、国道15号線に出た。ルウの家は京急の大森町という駅の近くにあるので、この海に近い国道を通るほうが、都合が良いのだ。
それはもう、楽勝と言う言葉が似合っていた。海辺に近いこともあり、15号線は完全なフラットで、道幅もかなり広かった。昼間ということもあり、道も混雑しておらず、理想的なサイクリングの条件だった。天候もだいぶ回復したようで、雲の向こう側に太陽の輪郭が見える時間帯も出てきた。だいたい気温は8度といったところだろうか。
川崎、鶴見、蒲田・・・日本橋の横にある町の名前がだんだんと馴染みのあるものへと近付くにつれて東京が近づいてくることを実感する。川崎競馬場の近くにある多摩川の大橋の上には「東京都」と書かれた大きな看板が、東京に入ったことを教えてくれる。現在時刻は13時30分、ルウには14時に着くと言ってたのでこの調子でいけばちょうど定刻に到着することができぞうだ。
最終的に少し迷ったが、電話したり、1年前の記憶を思い出したりして5分の遅れで家に到着することができた。そして、家に入って驚いた。なんと55インチの巨大なテレビが部屋に鎮座していたのだ!そしてちょうど旦那さんがそのテレビで映画を観ていたところだった。
実は彼に会うのはこれが初めてではない。僕たちは毎年、大晦日の日に一緒に除夜の金を突きに行くことを伝統としており、去年もルウの家族と一緒に行ったのだがその時に旦那さんもついてきており、挨拶を交わしていた。更に、彼らは今年も僕がいないにも関わらず実家まで遊びに来てくれた、と母から聞かされていた。ルウの旦那さんは、見た目も性格もとてもおおらかな人物で、自己主張の強い彼女にはもってこいのタイプだった。現在は、ソニーの子会社でゲームソフトの開発をしているとのことだった。今日は朝から頭痛がするとかで有給を取ったらしいのだが、ぱっと見たところ健康そうにしか見えない。自分が勤める学校の教員ならば、頭痛薬を飲んでマスクをかけて出勤してくるだろう。ゲームの開発会社という会社柄、とりたてて急ぎの仕事などもあまりなさそうだし、比較的有給は取りやすいのではないか、と思った。ただ、もし自分ならば有給=旅行なので、こういった時は頭痛薬に栄養ドリンクで無理にでも出勤して定時退社して回復を期する方法を選ぶだろう。少なくとも休みを取ることはない。
家に入るとちょうどルウがアップルパイを焼いてくれたところだったので、それを食べながらいろいろな話をした。
彼女は、最近書いた漫画が割といい評価をもらえたらしくてそれを読ませてもらった。ストーリー的には、高校生のカップルが、ファーストキスをするタイミングを逃してしまっていてなかなかキスできずに若干気まずい関係になる、というのを女の子の視点から描いた少女マンガだ。はじめのころの彼女の作品を知っているのでそれらから比べると随分進歩したと思うのだが、どうも少女漫画はジャンルとして楽しめないので、若干お世辞を言っているなあと意識しながら褒めていた。
しばらく話して、時計を見るともう3時を過ぎていた。
大森は同じ東京でも、僕が住む護国寺とは反対の方角にあり、ほぼ東京都を縦断することになる。よって、おそらく日が暮れると思われる4時45分までに家に着くためにはそろそろ出発しなければならない。
ルウと旦那さんに御礼を言って家を出ると、辺りは既に薄暗くなっており、車の中にはヘッドライトを灯しているものもあった。今日は日差しがほとんどなく、厚い雲層に覆われているため、日没1時間30分前でもかなり暗くなってしまう。遠出のサイクリングに出かける時にはなるべく夜走りたくなかったので僕は急いで国道15号線を東京方面へと向かった。品川までは、ひたすら京急線の線路の横を並走していく。道はどこまでも平坦で走りやすい。先ほど外に出た時はすぐに暗くなってしまうと心配していたが、薄暗くなるのは早いものの、完全に暗くなることはなく、無事に東京都心までやってくることができた。
ここで、感動的な光景に出くわすことになる。15号線の直進から左斜めに進んで真正面に東京タワーの姿を捉えることができた。赤色のその姿は、何台もの車のテールランプの赤が連なる先がつながっているように、空高く伸びている。このあたりは、港区三田のオフィス街になっており、アイフォンのカメラを片手に物珍しそうにタワーを見つめる僕を後目に、人々はさっさと通り過ぎていく。
東京タワーを見ると、どこか落ち着いた気分にさせられる、と毎回思う。東京タワーが新しい時代のTOKYOを象徴しているならば、こちらは古くから続く江戸東京の象徴に違いない。
16時50分。150キロ分の記憶と共に今回のサイクリング旅行は終了した。明日も自転車通勤をする予定だから、今日はお風呂に浸かって、ストレッチをしてゆっくり休むことにしよう。
このホテルを予約した理由に朝食バイキングが無料なことがある。今では多くのビジネスホテルが朝食無料を実施しえいるが、内容はまちまちである。このホテルリブマックスはもともとの料金が4000円ということもあり、あまり期待していなかったが、それをはるかに上回る豪華な品揃えだった。まず、魚も肉もあり、納豆と卵が用意されている!更に漬物類も豊富で、ご飯が寂しくなることはない。食後のコーヒーの味も悪くなく、心ゆくまで堪能して出発の準備をした。
天気予報によれば、本日は曇りで気温は前日よりも3度以上低くなるということだった。ただ、風は相変わらず弱いという予報だったのでとりあえず胸をなでおろした。途中で江の島に寄るという予定もあったため、朝8時30分にはホテルを出発した。
しかし、もうホテルを出発してすぐに空気の冷たさが全身を襲った。幸い筋肉痛にはなっていなかったものの、差すような痛みが肌と足に突き刺さる。今日は昨日の山がちな国道1号線ではなく、海沿いを走ろうと思っていたのでとりあえず南下して海岸線を目指した。すると、国道134号線という道のすぐ脇に、自転車と歩行者しか通ることができない立派な遊歩道があるのを発見した。これは海岸線に沿って作られており、終始海を見ながら、車の脅威を感じずに走ることができるというサイクラーにとって夢のような道だった。そして看板によればこの道は江の島方面に7キロ以上続いているということだった。
この瞬間はものすごくうれしくなり上機嫌でどんどん道を進んだ。空は相変わらず何日も便秘が続いているように重く、どんよりしているが、それでも海の音を聞きながら進めるのは良かった。月曜日にも関わらず散歩をしている人、走っている人、そして海でサーフィンを楽しむ人は多く、寂しさは感じなかった。この道はそして本当に走りやすい道で、大きな坂もなく、あっという間に7キロを走り切った。
このサイクリングロードの終点は、江の島だった。行く手のすぐ右手に大きな江の島の姿が見え、遠目からでも近代的な展望台の姿を見ることができた。と、ここで思わぬハプニングが発生した。なんと天気予報は雨が降ることはおそらくない、と言っていたにも関わらず空からは冷たい水滴が落ちてきていた。県道305号線を通って江の島に向かう途中もどんどん雨はひどくなり、恐ろしく寒かった。温度計があったので、気温を見てみるとなんと5度しかなかった。5度!しかも日差し無しの5度!!
今までこんな過酷な条件でサイクリングはしたことがなかった。ハンパない寒さの上に更に拍車をかける雨、そして滑りやすくなった道路・・・ただ、昨日の坂で感じたような怒りは不思議と湧いてこなかった。これはある種の諦めだ。人間がつくった 道、というものに対しては怒りが湧くが、相手が天ならばもうなすがままに進むしかないという一種の崇高なる諦めなのだ。幸いなことに、雨は強くなることはなく、島に到着する頃にはかなり弱まっていた。手元のアプリで確認しても、先ほどの雨雲はもう太平洋へと抜けつつあり、あと10分くらいすれば雨は完全に上がるようだった。
一瞬、江の島観光をどうしようかなあと迷ったが、あまり景色が良さそうではなかったことや、一人でしても面白くないと思ったことから、断念してごくごく一部のみを回った。まず、大きな神社に行ってお参りしてとりあえず復路の安全を祈願する。島の奥には展望台やいくつもの自然スポットなど面白そうなものが多かったが、これは次回恋人と来た時の楽しみとしておこう。
自転車のところへ戻ってくると、ちょうど雨が止んだので、再び北へと向かって進むことにする。まずは、北上する国道に乗って藤沢を目指した。途中に大きなドラッグストアがあるのを見つけたのでここでアクエリアスと栄養ドリンクを買った。こんなに寒い日でも激しい運動をするとしっかりと汗はかいており、スポーツドリンクがものすごくおいしく感じられる。栄養ドリンクは後半戦を乗り切るためのリリーフ的な存在として温存する。
ここでルートを確認して再び出発する。しばらく国道を北上した後は県道30号線に進路を取り国道1号線に合流するという箱根駅伝と全く同じコースを辿る。昨日はどんどん遠ざかっていた東京に向かって今日はどんどん近づいてくる。
お馴染みの青い交通案内は、基本的に進行方向にある町の名前が2つ表示されるようになっており、左側に遠い、大きな町が、そして右側に近い、小さな町が表示される。県道30号線から国道1号線に入ってはじめの案内には左側に「日本橋」そして、右側には「戸塚」と書かれていた。前にあるドラマで、日本橋のことをすべての道が始まる地点。ここから日本全国どこへでも行けるように麒麟に翼がついているんだ、という言葉があったのを思い出す。たしかに、この1号線も確かに日本橋へと続いている。そして、だんだんとそこへと近付いていることをドライバーたちに知らせるこの表示こそが、彼らを安心感で包み込むのかもしれない。
国道1号線に入って、まず僕の行く手を阻んだのはかの有名な「遊行寺坂」である。
この坂は大きくて長い登りとなっており、箱根駅伝の8区の難所として知られている。一体どんなものかと上り始めるが、すぐにギブアップして自転車を引いていった。確かに難所というだけあってものすごく長くて、斜度も急だった。ここを自転車で最初から最後まで登り切るというのはもう至難の業だろうし、そんな奴がいたら心から尊敬したい。自転車を引くのにも疲れたころにやっと坂が終わり、平坦な道が現れた。と思ったのはつかの間で、また緩い傾斜の坂となった。一体、この道はどれほど僕たちを悩ませるのだろうか。
ここからまた、下りと上りが連続する区間をやっとのことで乗り越えて戸塚駅に近付いた。
昨日の教訓を生かして今日はもうある程度の坂があれば躊躇なく自転車を押して歩くことにした。一番体力を奪われたのは何かと思い返してみた時に坂を自力で登ろうとしたことが一番の原因だったように思える。坂は、まともに張り合って自転車で登ろうとすると牙をむいて襲い掛かって来るが、大人しく引いて歩けばそれなりに乗り越えることができる。空は、雨こそ降っていないが相変わらずのどん曇りで、朝から気温が上がっている気配などほとんど感じられなかった。ただ、汗をかきにくいという意味ではこれはかなりありがたかったが・・・
そして戸塚駅こそが、行きに一番自分を苦しめた、と言っても良いポイントだった。なぜかと言えば、線路をまたぐために掘られたトンネルが自転車通行禁止となっており、迂回したのだが、その道がとてつもなく遠回りで複雑だった。もう、あれを通るのは絶対に嫌だと思ったので、その自動車専用の道を突っ切ることにした。その道は、地下トンネルなのでいったん下ってから平坦になり、また地上に向かって上るという構造になっている。
後ろから車が来ていないのを確認して、思い切りスピードを付けてトンネルを下った。おそらく時速40キロは出ていただろう。そして、平坦になったら、思い切り漕いでスピードを維持して坂へと向かった。たしかにキツいものの、下りでつけたスピードを生かして猛スピードで駆け上がる。最後の50メートルくらいはさすがに足が上がってかなりの気力と体力を投入したが、それでも登り切ることができた。あまりにも疲れたのでしばらく自転車を引いて歩いて進んだ。
すると、ふとひとりのおじいさんが歩いているのが目に止まった。おそらく地元の人なのだろう。スーパーの買い物袋と思しきものをぶら下げてゆっくり、ゆっくりと歩いている。ぜいぜい言いながら地下道を駆けあがって来た僕のほうをちらりと見て、「ご苦労さんやなあ」とつぶやいた。たしかに、彼から見れば、僕がやっていることは完全なご苦労様になるだろう。
しかし、ふと、彼に寄り添って自転車を押して町を歩いてみると、その町の日常に思いを馳せることができる。ゆったりと流れる川、月曜休業の看板を掲げるいかにも通そうな人が通うであろう料亭、個人営業の電気屋・・・おそらくここから見える景色は、この老人にとって何十年と変わらぬ日常であり続けた風景なのだろう。自転車で旅をしていると、車と違って、その気になれば住人の日常にふっと入り込むことができるのがいい。25キロものスピードで駆け抜ける区間があるかと思えば、こうしてゆっくりと歩く区間もある。鉄道や車での旅行と違って、自転車の旅行は全てがアレンジ可能だ。この自由奔放さも、サイクリング旅行の大きな魅力のひとつだ。
いつの間にか雨も止んでおり、少しずつではあるが、気温が上がっていくのを感じる。朝平塚を出発したときは、こんな寒い中無事に帰りつけるのかと心配になったが、実際に走ってみて思ったのは、7、8度の気温だと汗もかかないし、日差しを眩しく感じることもないので大変走りやすい、ということだ。心配していた風が吹く気配もなく、今までのところ景色の中の草木が風で揺れているのは見られない。
The rain had already stopped. The temperature is gradually raising as the time goes. When I left Hiratsuka in the morning, I was wondering if I could go back safely. Against my apprehension, I soon realized that temperature like this, 7 or 8 degree Celsius, and cloudy sky can create the best condition for cycling, because I don’t sweat at all. There has been no sign of wind disturbing my journey. Gracing at trees along the street, I haven’t seen them swinging by wind.
結局、ある種の禁じ手を使ってこの地下道を通ったことにより、往路では20分かかって抜けた戸塚駅を、わずか5分ほどでクリアすることができたのだった。戸塚を抜けるとだいたい時間は11時になっている。いくら朝ビュッフェを食べたといえども、そろそろお腹が空いてくる時刻だ。まるでそれをあおるかのように沿道には様々な飲食店が並んでいる。その中でも、ひときわ僕の目を引いたのはサラダバーがある肉系のレストランだ。特にフォルクスという店は、サラダバー、ライスなどがお代わり自由となっており、僕はがっつり野菜を食べたい気分になってくる。だが、ここでこの誘惑に負けてしまってはいけない。サイクリング途中にお腹がいっぱいになってしまうと脂肪を燃焼させることもできないうえに、腹痛が起きることもある。
道は、相変わらずアップダウンの繰り返しだ。特に戸塚を出てしばらくはどろどろした登りが延々と続く。まだ登っているのか、しつこい!というくらいだらだらと長い坂が続いている。これくらいの坂はいつも、自転車を押すべきか、それともそのまま乗り続けるべきなのかとても悩ましい。乗ったら乗ったで何とかなるのだろうが、後々を考えるとスタミナの消耗は極力避けたい。往路で無理をして足が攣りそうになったのでここは半分以上の区間を押して進んだ。
すると、ここで往路で散々苦しめられた権田坂を味方につけるチャンスが巡って来た。往路が登りだということは、当然復路は下りということだ。登りあれば、下りあり。これはどうやらこの世の中の普遍の法則のようだ。ドルと円の為替市場だって、どちらかの通貨が高くなりっぱなしということはなく、一定の範囲内を行ったり来たりするし、人生でも悪い事があった後は、些細な幸せが大きな幸福感をもたらしてくれる。
ただ、ここで調子に乗ってノーブレーキで行ってしまうことは禁物だ。下りで飛ばすことがいかに悪いことかは、少し前に軽井沢で起きたスキーバスの事故が証明している。だいたいブレーキを30%くらい利かせて坂を下っていく。行きに「もう二度と来るか!」と思って後にした公園の入り口、駐車場がものすごく汚いファミマ、地元客で混雑するスーパーのサミット・・・昨日登りで顔をしかめながら通り過ぎた風景が次々と過ぎ去っていく。車が渋滞しているようなところでは、左側を細心の注意を払って通過していくのが心地よい。自転車は、車と違って都会でも渋滞知らずだ。
坂が始まってから、一度も自分の力で漕ぐことなく権田坂を通過すると、あとは保土ヶ谷を通り過ぎて一気に横浜を目指す。このあたりになるともう坂とは無縁で、スピードを保ったままどんどん進むことができる。
心なしか、往路よりも疲れを感じずにここまで来ることができた。おそらくそれは、坂と闘わなかったからだろう。往路はムキになって叫びながら坂を登ったのだが、復路は無用な戦いを避ける和平の道を選んだ。すると、スタミナを無駄に消費することもなく、快適にサイクリングができるのだ。横浜まで来て、ふと思い立った。
「そうだ、あいつの家に遊びに行こう。」
あいつ、というのは小学校4年生くらいの時から仲が良かった、現在でも繋がっている数少ない幼馴染だ。彼女は今、結婚して東京の大田区大森に住んでいる。前回横浜に行った時も帰りに彼女の家を訪れていろいろと近況報告をしたものだった。おそらく、話すのはその時以来だ。ふたりの間には、1年の時が横たわっている。
「あ、もしもし。今から遊びに行っていい?」
「あ、いいよー。旦那さんいるけどいい?」
「こうちゃんね、全然OK!」
1年ぶりに話すというのに、たったこれだけで家に遊びに行くことが決まった。しかも2時間前に。
というのも、彼女とは、本当にずっと小さい頃から一緒に遊んでいた仲だったからだ。彼女はミャンマー人で、僕が4年生の時に隣の家に引っ越してきたのだが、仲良くなってからはほぼ毎日家に遊びに行った。お姉さんと弟もいて、みんなで外で遊んだり、ゲームをしたりしていた。家族ぐるみの付き合いで、お母さんもよくミャンマー料理をご馳走してくれたし、僕の母も野菜を持って行ったりしていた。幼いころは漠然と、この子と結婚するんだろうなあ、と考えていた。
だが、そんな彼女は2年前に名古屋大学に通う同級生と結婚した。大学院を出て、就職せずの結婚だっただけに周りは反対したが、彼女はそれを突きとおした。僕は当時もう付き合っている人がおり、彼女に対しては幼馴染という気持ちしかなかったため、素直に祝福した。
突然の訪問で、かつ旦那さんまでいるとなったら、手ぶらで行くわけにはいかないと考え、東神奈川駅の近くにあるイオンに寄って横浜名物の「シウマイ」を買った。これを持っていけば何も文句は言われない、という無難なお土産に違いない。
ここでたこ焼きとおにぎりを食べて腹ごしらえを完了させて、国道15号線に出た。ルウの家は京急の大森町という駅の近くにあるので、この海に近い国道を通るほうが、都合が良いのだ。
それはもう、楽勝と言う言葉が似合っていた。海辺に近いこともあり、15号線は完全なフラットで、道幅もかなり広かった。昼間ということもあり、道も混雑しておらず、理想的なサイクリングの条件だった。天候もだいぶ回復したようで、雲の向こう側に太陽の輪郭が見える時間帯も出てきた。だいたい気温は8度といったところだろうか。
川崎、鶴見、蒲田・・・日本橋の横にある町の名前がだんだんと馴染みのあるものへと近付くにつれて東京が近づいてくることを実感する。川崎競馬場の近くにある多摩川の大橋の上には「東京都」と書かれた大きな看板が、東京に入ったことを教えてくれる。現在時刻は13時30分、ルウには14時に着くと言ってたのでこの調子でいけばちょうど定刻に到着することができぞうだ。
最終的に少し迷ったが、電話したり、1年前の記憶を思い出したりして5分の遅れで家に到着することができた。そして、家に入って驚いた。なんと55インチの巨大なテレビが部屋に鎮座していたのだ!そしてちょうど旦那さんがそのテレビで映画を観ていたところだった。
実は彼に会うのはこれが初めてではない。僕たちは毎年、大晦日の日に一緒に除夜の金を突きに行くことを伝統としており、去年もルウの家族と一緒に行ったのだがその時に旦那さんもついてきており、挨拶を交わしていた。更に、彼らは今年も僕がいないにも関わらず実家まで遊びに来てくれた、と母から聞かされていた。ルウの旦那さんは、見た目も性格もとてもおおらかな人物で、自己主張の強い彼女にはもってこいのタイプだった。現在は、ソニーの子会社でゲームソフトの開発をしているとのことだった。今日は朝から頭痛がするとかで有給を取ったらしいのだが、ぱっと見たところ健康そうにしか見えない。自分が勤める学校の教員ならば、頭痛薬を飲んでマスクをかけて出勤してくるだろう。ゲームの開発会社という会社柄、とりたてて急ぎの仕事などもあまりなさそうだし、比較的有給は取りやすいのではないか、と思った。ただ、もし自分ならば有給=旅行なので、こういった時は頭痛薬に栄養ドリンクで無理にでも出勤して定時退社して回復を期する方法を選ぶだろう。少なくとも休みを取ることはない。
家に入るとちょうどルウがアップルパイを焼いてくれたところだったので、それを食べながらいろいろな話をした。
彼女は、最近書いた漫画が割といい評価をもらえたらしくてそれを読ませてもらった。ストーリー的には、高校生のカップルが、ファーストキスをするタイミングを逃してしまっていてなかなかキスできずに若干気まずい関係になる、というのを女の子の視点から描いた少女マンガだ。はじめのころの彼女の作品を知っているのでそれらから比べると随分進歩したと思うのだが、どうも少女漫画はジャンルとして楽しめないので、若干お世辞を言っているなあと意識しながら褒めていた。
しばらく話して、時計を見るともう3時を過ぎていた。
大森は同じ東京でも、僕が住む護国寺とは反対の方角にあり、ほぼ東京都を縦断することになる。よって、おそらく日が暮れると思われる4時45分までに家に着くためにはそろそろ出発しなければならない。
ルウと旦那さんに御礼を言って家を出ると、辺りは既に薄暗くなっており、車の中にはヘッドライトを灯しているものもあった。今日は日差しがほとんどなく、厚い雲層に覆われているため、日没1時間30分前でもかなり暗くなってしまう。遠出のサイクリングに出かける時にはなるべく夜走りたくなかったので僕は急いで国道15号線を東京方面へと向かった。品川までは、ひたすら京急線の線路の横を並走していく。道はどこまでも平坦で走りやすい。先ほど外に出た時はすぐに暗くなってしまうと心配していたが、薄暗くなるのは早いものの、完全に暗くなることはなく、無事に東京都心までやってくることができた。
ここで、感動的な光景に出くわすことになる。15号線の直進から左斜めに進んで真正面に東京タワーの姿を捉えることができた。赤色のその姿は、何台もの車のテールランプの赤が連なる先がつながっているように、空高く伸びている。このあたりは、港区三田のオフィス街になっており、アイフォンのカメラを片手に物珍しそうにタワーを見つめる僕を後目に、人々はさっさと通り過ぎていく。
東京タワーを見ると、どこか落ち着いた気分にさせられる、と毎回思う。東京タワーが新しい時代のTOKYOを象徴しているならば、こちらは古くから続く江戸東京の象徴に違いない。
16時50分。150キロ分の記憶と共に今回のサイクリング旅行は終了した。明日も自転車通勤をする予定だから、今日はお風呂に浸かって、ストレッチをしてゆっくり休むことにしよう。