往路
基本的に、冬はサイクリングに向かない、とされる。人によっては冬よりも夏のほうがサイクリングに向いていると言うこともあるくらい冬はサイクリングに向かないらしい。その理由は寒さと風だ。
いくら東京周辺が日本の他の場所に比べて暖かいと言えど、真冬になれば最高気温が10度を切るのが当たり前で、日によっては6、7度までしか上がらないこともある。あまり寒いと風邪を引きやすくなる。というのも、寒くても上り坂があるとかなり発汗するので、その先に下り坂が控えている場合、そこで冷えるからだ。また、筋肉も固まっているので冬のほうがケガをしやすくなるとか。
そして次の難敵が風。こちらはひょっとすると寒さよりも強い敵なのかもしれない。というのも向かい風と上り坂が組み合わされば、もう進むことは限りなく難しくなる。どういうわけか自転車は歩きよりも風の影響を受けやすく、少しでも向かい風ならば進むのに1.5倍くらいの力が必要となってしまう。関東地方は冬の晴れた日には北から強い風が吹くことも多く、晴れていても強風でサイクリングを中止しなければならないこともある。
そんな中迎えた1月31日は、上記した寒さも我慢の範囲内だったし、風もほとんどなかった。もう、ここを逃せばいつ行けるんだというくらいの好条件なのを確認して家を出発した。靴下も二重に履いたし、ウインドブレーカー着たし、寒さ対策は万全だ。
まず家から明治通りに出たら、新宿方面へと進む。日曜日の朝の空気というのは、平日と違って、どこか柔らかく感じられるので好きだ。
東新宿までたどり着き左に曲がって、外苑西通りをひたすら真っすぐ進むという予定だったのだが、ここで思わぬ進路変更を余儀なくされる。それは、マラソン大会だ。今日は新宿と四ツ谷を舞台に大規模な大会があるようで明治通りから外苑西通りへと抜けるところが通行止めになっており、警察官に止められて迂回を余儀なくされた。とはいっても、最低限の迂回で済んだ。まずは、明治通り沿い進んだ。ここはマラソン大会と並走しており、3車線あるうちの2車線がマラソン、そして1車線が車の通行となっていたため、マラソンと車の間のわずかなスペースを進む。左側を走っているランナーたちをどんどん抜かす一方で、自分は右側の車に抜かされていくというまさに、ジョギング<自転車<車の速さを証明しているかのようなシーンだった。
友人の一人がこのマラソン大会の応援に来ていると言ったので、いないかどうかチラチラ見るが彼女らしき姿は見当たらない。
明治通りをしばらく進むとマラソンが左方向にカーブしていたので、それにつられて曲がる。先ほどの警察官によると外苑西通りは一部しか通行止めになっていないようなので、そこになんとか乗るために走った。
しばらくすると、再びマラソンと合流するところがあり、そこが外苑西通りだった。マラソンは車道を走っているため、歩道は通行することができ、応援する人を避けながら進んだ。しかし、しばらく行くと道路を渡って反対側に行かねばならないところがあり、マラソンを横切らせてもらった。
一応運営者も、道を横断する人がいるという前提で管理しているのでランナーたちを止めて歩行者を渡らせるのだが、あまりにもランナーがたくさんいすぎてバイトのスタッフたちは右往左往していて、流れを止められない。たしかに、ランナーたちはかなりのスピードで走っているので、少しでもタイミングを間違えれば転倒したりぶつかったりして大事故になりかねない。僕はもう、これは自力で行くしかないと判断して、ランナーが切れた一瞬の隙をついて「通りまーす!!」と大声を出しながらマラソンコースを横切った。間一髪ぶつからずに済んで後ろを振り返ると他の人はまだ誰一人として渡れていなかった。
ここでマラソンとはおさらばして、道をどんどん西へと進んだ。外苑西通りは途中から国道1号線に合流しており、今度は1号線を進んでいく。1号線はかなり太い道なので、歩道と車道の間のスペースを走ることができ、順調に加速した。
連続して走っていると背中に汗をかくのを感じた。ただ、今回は発汗対策としてメッシュ地のアンダーシャツを一番下に着込んでいるので濡れてじとりとして風邪を引くということはなく、安心して走ることができる。
こういった準備も今までのサイクリングを通して学んだ経験だ。しかし、国道1号線は走りやすいが、これといって魅力のない道路だなあとも思った。脇に現れるのはマクドナルド、ファミレス、コンビニ、カーショップなどほとんど同じ店の繰り返しである。中延、馬込・・・変わるのは地名だけだ。むしろこれほど似た風景なのに、それぞれの場所が地名を持つことに果たして意味があるのか、と思うほど周りの景色は淡々としている。
川をいくつか超えると神奈川県に入った。そういえば朝はかなり天気が良く、日差しも届いていたが、横浜に近付くころにはそれらもどこかへ行ってしまい、空はもくもくとした雲の間からわずかに晴れ間が見える程度である。そして、横浜を抜けるのに思ったよりも時間を使ってしまった。はじめに通ろうと計画していた道は、国道1号線だが、どうやら横浜新道という自動車専用道路のようで一般道の1号線に入るにはいったん高島というところまで南下しなければならなかった。
このあたりまで来ると他のサイクラーたちの姿も目立つようになり、ガード下に並んだときには前に3台くらいのクロスバイクが待っていた。日曜日ということで、つかの間の休みを楽しむ大人たちが中心で、ぱっとみたところどのバイクもかなりのブランド物で、様々な装備品が取り付けてあり高そうだった。一方、僕の自転車はタイヤがマウンテンバイク用だと言われたなんちゃってクロスバイクなので、当然彼らが、信号が青になるのと同時にロケットダッシュをきかせるのについていけず、またすぐ離れ離れにになって走った。
そして、ここからの東海道は今までとかなり表情を変えることになる。
だいたい横浜中心部を出て5キロちょい行ったところから「権田坂」と呼ばれるかなり急で長い坂に入る。箱根駅伝でも「2区の難所」と呼ばれている区間で、本当に長い。坂というとだいたい200メートルくらいで終わるのではないかと思うかもしれないが、この権田坂は、地名にもなっているほどで(権田坂一丁目から三丁目まであった)1キロくらいあったのではないだろうか。登り始めて、そろそろ終わるだろうと思うとまだ延々と登りが続いている。途中で少し傾斜が緩む場所があっても一息つけない。少しカーブしたところから先を見ると坂は更に続く。
あまりにも疲れたので坂の途中にある「ファミリーマート権田坂店」に行ってファミチキとおにぎりを買う。ファミマの駐車場は荒れ果てていてとても物を食べる気分になれなかったので、少し先にある公園まで走ることにした。
その公園の入り口も坂の途中に設けられており、やっとのことで到着する。が、しかし、「公園」と名がついているものの、しばらく歩いてもベンチも椅子も何もない、しかもトイレもない!!わざわざ東京からはあはあ言いながらこのキツい坂を登って来た旅人にこの仕打ちかよ!と非常に腹立たしい気分になった。
公園にベンチとトイレを期待するのは別にごくごく普通のことである。しかし、この「横浜市児童遊園地」という名前の公園は何故か動物保護区のようになっており、リスが走り回っているという始末だった。仕方がないので木の根が地面に大きく張り出している場所に腰かけて簡単な食事を済ませる。もう、あの公園には二度と行きたくない、と思うくらい酷い公園だった。千葉に遠征したときには途中に素敵な公園がいくつかあったのと比べると雲泥の差である。
エネルギー補給を終わって何とか坂を登り終えると、今度は長い長い下りに入った。こんな傾斜のある地形によくこんな大きな道を作ったなあと感心するくらい国道1号線は登りと下りの繰り返しである。もう、平坦な直線コースなどほとんどと言って良いほどなく、下りを終えたらまた登りが続いた。もう途中で本当に動けなくなり、足も攣りかけていらだたしさが募って来たので「ああああああ!!!」と自分とこの地形に向かって叫んだ。こんなにも自転車に厳しいコースを用意した自然と、それに打ち克てなかった自分に対する怒りである。「くそおおおおお!!」とか、「ばかやろおおお!!」とか叫んでいるとどんどん心が晴れやかになっていく。それと同時に力もみなぎり、何とか戸塚までたどり着くことができた。
箱根駅伝なら、ここに戸塚中継所があり、次のランナーにタスキを託すのだが、この旅に、ランナーは一人しかいない。
見ると国道1号線が2手に分かれており、一方は「戸塚駅」と書かれていたので、そちらは駅に行く人だけが使うのだろうと思ってそうではないほうを選んだ。
しかし、途中からどうもこれは怪しい、と気付いた。気が付くと道の両側には高速道路にあるような壁のようなものがあり、自動車が走るスピードも80キロを超えているように感じられた。また、どこまで走っても信号がない。そして気付いた。これはどうやら自転車が侵入禁止の道に入ってしまったのだと。そういえば、少し手前に自転車進入禁止の標識があったようななかったような・・・当然走っている自転車も、歩いている人もいなかったので怖くなって引き返すと、若干木に隠れてはいたが、進入禁止の錆びた標識が建てられていた。こりゃあ、わからねーよ、と思い先ほどの地点まで引き返すも、思わぬ距離ロスとなってしまった。
気を取り直して戸塚駅に向かう。すると、ここでもどうやら列車の高架を避けるために地下に潜っている場所があり、自転車と歩行者が侵入できなかった。今度は安全策を取り迂回したが、どうやら迂回路を少し間違えてしまったようで、線路と川を挟んだ反対側に出てしまい、元の1号線に戻るのに20分ほどの時間を要してしまった。これも思わぬタイムロス・・・そんなこんなで何とかGoogle Mapを頼りに1号線に復帰して一路、今日の宿がある平塚を目指す。
今回の旅は、距離自体は70キロと前の千葉に比べて10キロ以上も少ないが、アップダウンが多いことや道が複雑になっていることから、あれ以上走っている気になる。戸塚を超えたら超えたで、また「大坂」なる大きな坂が出現し、ひたすら登りに足を使わされる。「坂なんて嫌いだ、なくなれ、消えろ!!」こう叫ばないともうやっていけないほどに疲れていたので人目もはばからずに大声で叫ぶ。このようにしていると、あの野々村議員が大声で叫んでいた気持ちが少しだけわかるような気がする。やはり、イライラしたときは叫ぶに尽きる。
そしてようやく本日2回目の休憩ポイントのファミマに到着して「速攻元気ゼリー」を買って流し込んだ。もう、先ほどまでの坂の連続で足にかなりダメージを受けており、坂で連続して立漕ぎをすると足が攣るような状態だったので、こうした栄養補給は欠かせない。
すると他にも休憩しているロードバイクが一台。これは僕のよりもかなり高そうなGIANTのものだった。乗っている人も、タバコを吸いながら休憩する余裕が見られる。その人が出発してしばらくして僕も後を追うことにする。すると、道が二手に分かれているところがあり、その男性が右に進路を取ったので僕もそれに従った。
しばらく行ってまたおかしいことに気付く。すごいスピードで走る車、他に走っていない自転車、そして全くない信号・・・あかん、これは自動車専用道路や!なにやってんねん、あいつ、俺を巻き込みよって・・・いや、着いてきたのは僕だからね、こっちが悪いんだよね・・・
だが、いったん入ってしまったら先ほどと違って引き返すことができないので、もう極力前を走る彼とくっついて走った。
一応2台走っていた方が車からは目につきやすく安全だろう、というせめてもの策だ。ただ、いったん慣れてしまえばこの「湘南新道」と呼ばれる自動車道路も走りやすかった。まず、信号もなく、歩行者もいないのでかなりスピードが出さること。おそらく40キロくらいは出ていた区間もあっただろう。そして高速運転を前提に作られているので急な坂や下りがないことが挙げられる。ただ、怖い。そう、怖ささえ克服できればなんとかなってしまうのがこの自動車道路なのだと気付いた。
20分ほど走ったらこの自動車道路も終わったのでまた通常の国道1号線に入って平塚を目指した。
このあたりになると、湘南の香りを届けてくれる地名が標識にも現れる。茅ヶ崎、藤沢、平塚、小田原・・・ こうした地名を見ていると本当に自分の足でここまでやってきたのだ、という達成感が生まれてきて何とも言えない気分になる。普通ならば絶対に自転車でなんてこない遠い土地。様々な困難を乗り越えながらも、一歩一歩ペダルを前に踏み出して、何とかたどり着くことができるのだ。サイクリングの醍醐味は何か?と聞かれたときに途中の景色とか、ご当地グルメとか、スピードを感じることとか、いろんな答えがあると思うが、やはりこの目的地に到着して、最後に自転車から降りるものに叶う喜びはない。割と気軽に、しかしハードに達成感を味わえるからこそ、サイクリングが好きなのだろう。(しかもランニングよりは簡単で、しかも遠くまで行ける!)
藤沢を抜けるといよいよ平塚に入る。
今まで来たこともない土地、しかもそれほど有名なものがあるわけでもない土地。それでも、今日ずっと頭の中にあり、僕のゴールだった土地。おそらく一生の思い出に残るだろう土地。そんな土地が、どんどん近づいてくる。道案内の距離表示が6キロ、4キロとなり、道路の両脇には立派な松の木が生えているのが見えだした。もう、本当に近くまで来ている。
それと同時に足も限界にきていた。当初の予想よりもかなりハードだったコース。東海道、と聞くと岐阜県出身の僕は、中央道と比較してしまい「平坦な道」というイメージが強かったが、それは太平洋岸に出てからの話で、東京から神奈川を抜けるところはアップダウンの繰り返しだった。はじめのほうは余力もあり、休憩なしで2時間ほど漕いだが、もう今は完全に体力ではなく、気力に頼って走っているという状態だった。
そして、目の前にじゃらんで確認した東横インが見えてきた。ついにゴールだ!早速自転車をちょうど目の前にあった駐輪スペースに停めてチェックインする。時刻は15時5分をまわったところ。よし、余裕で間に合う!
部屋に入ってテレビをつけたのと、東京10Rがスタートしたのは同時だった。
そう、僕がこれほどまで急いでいたのは何がなんでも15時にチェックインして競馬中継を見るためだった。東横インは16時チェックインだったので諦めてこちらのリブマックスというグレードの低いビジネスホテルにしたのもチェックイン時間の都合だった。結局4000円ほどの負けだったが、やはり競馬はやめられない。
そういえば、ちょうど2年前のこの時期に横浜までサイクリングに行ったことを思い出した。あの日は少し出遅れたこともあるが、なんと横浜で一泊したのだ。今思うと余裕で走れる距離だが、あの頃は初めての遠出ということもあり、かなり頑張った気になっていたし、それ以上行く勇気が出なかった。それが今回は、横浜は途中の通過地点に過ぎず、そこから更に同じくらいかそれ以上の距離を走って平塚までやって来た。しみじみと成長したなあ、と感じる。二年前は平塚まで行くなどとても怖くてできなかった。それが日々の通学サイクリングや、ジムでのトレーニング、そして千葉遠征などを通して経験と自信を得てここまでやってきた。たかが趣味の、しかも小さなことかもしれない。それでも、こうして具体的な成長を感じられるというのはかなり嬉しい。
そんな頑張った自分へのご褒美として、近くのラーメン屋さんで脂っこいラーメンの大盛りを頼んで、消費カロリーを台無しにしてしまったのである。
基本的に、冬はサイクリングに向かない、とされる。人によっては冬よりも夏のほうがサイクリングに向いていると言うこともあるくらい冬はサイクリングに向かないらしい。その理由は寒さと風だ。
いくら東京周辺が日本の他の場所に比べて暖かいと言えど、真冬になれば最高気温が10度を切るのが当たり前で、日によっては6、7度までしか上がらないこともある。あまり寒いと風邪を引きやすくなる。というのも、寒くても上り坂があるとかなり発汗するので、その先に下り坂が控えている場合、そこで冷えるからだ。また、筋肉も固まっているので冬のほうがケガをしやすくなるとか。
そして次の難敵が風。こちらはひょっとすると寒さよりも強い敵なのかもしれない。というのも向かい風と上り坂が組み合わされば、もう進むことは限りなく難しくなる。どういうわけか自転車は歩きよりも風の影響を受けやすく、少しでも向かい風ならば進むのに1.5倍くらいの力が必要となってしまう。関東地方は冬の晴れた日には北から強い風が吹くことも多く、晴れていても強風でサイクリングを中止しなければならないこともある。
そんな中迎えた1月31日は、上記した寒さも我慢の範囲内だったし、風もほとんどなかった。もう、ここを逃せばいつ行けるんだというくらいの好条件なのを確認して家を出発した。靴下も二重に履いたし、ウインドブレーカー着たし、寒さ対策は万全だ。
まず家から明治通りに出たら、新宿方面へと進む。日曜日の朝の空気というのは、平日と違って、どこか柔らかく感じられるので好きだ。
東新宿までたどり着き左に曲がって、外苑西通りをひたすら真っすぐ進むという予定だったのだが、ここで思わぬ進路変更を余儀なくされる。それは、マラソン大会だ。今日は新宿と四ツ谷を舞台に大規模な大会があるようで明治通りから外苑西通りへと抜けるところが通行止めになっており、警察官に止められて迂回を余儀なくされた。とはいっても、最低限の迂回で済んだ。まずは、明治通り沿い進んだ。ここはマラソン大会と並走しており、3車線あるうちの2車線がマラソン、そして1車線が車の通行となっていたため、マラソンと車の間のわずかなスペースを進む。左側を走っているランナーたちをどんどん抜かす一方で、自分は右側の車に抜かされていくというまさに、ジョギング<自転車<車の速さを証明しているかのようなシーンだった。
友人の一人がこのマラソン大会の応援に来ていると言ったので、いないかどうかチラチラ見るが彼女らしき姿は見当たらない。
明治通りをしばらく進むとマラソンが左方向にカーブしていたので、それにつられて曲がる。先ほどの警察官によると外苑西通りは一部しか通行止めになっていないようなので、そこになんとか乗るために走った。
しばらくすると、再びマラソンと合流するところがあり、そこが外苑西通りだった。マラソンは車道を走っているため、歩道は通行することができ、応援する人を避けながら進んだ。しかし、しばらく行くと道路を渡って反対側に行かねばならないところがあり、マラソンを横切らせてもらった。
一応運営者も、道を横断する人がいるという前提で管理しているのでランナーたちを止めて歩行者を渡らせるのだが、あまりにもランナーがたくさんいすぎてバイトのスタッフたちは右往左往していて、流れを止められない。たしかに、ランナーたちはかなりのスピードで走っているので、少しでもタイミングを間違えれば転倒したりぶつかったりして大事故になりかねない。僕はもう、これは自力で行くしかないと判断して、ランナーが切れた一瞬の隙をついて「通りまーす!!」と大声を出しながらマラソンコースを横切った。間一髪ぶつからずに済んで後ろを振り返ると他の人はまだ誰一人として渡れていなかった。
ここでマラソンとはおさらばして、道をどんどん西へと進んだ。外苑西通りは途中から国道1号線に合流しており、今度は1号線を進んでいく。1号線はかなり太い道なので、歩道と車道の間のスペースを走ることができ、順調に加速した。
連続して走っていると背中に汗をかくのを感じた。ただ、今回は発汗対策としてメッシュ地のアンダーシャツを一番下に着込んでいるので濡れてじとりとして風邪を引くということはなく、安心して走ることができる。
こういった準備も今までのサイクリングを通して学んだ経験だ。しかし、国道1号線は走りやすいが、これといって魅力のない道路だなあとも思った。脇に現れるのはマクドナルド、ファミレス、コンビニ、カーショップなどほとんど同じ店の繰り返しである。中延、馬込・・・変わるのは地名だけだ。むしろこれほど似た風景なのに、それぞれの場所が地名を持つことに果たして意味があるのか、と思うほど周りの景色は淡々としている。
川をいくつか超えると神奈川県に入った。そういえば朝はかなり天気が良く、日差しも届いていたが、横浜に近付くころにはそれらもどこかへ行ってしまい、空はもくもくとした雲の間からわずかに晴れ間が見える程度である。そして、横浜を抜けるのに思ったよりも時間を使ってしまった。はじめに通ろうと計画していた道は、国道1号線だが、どうやら横浜新道という自動車専用道路のようで一般道の1号線に入るにはいったん高島というところまで南下しなければならなかった。
このあたりまで来ると他のサイクラーたちの姿も目立つようになり、ガード下に並んだときには前に3台くらいのクロスバイクが待っていた。日曜日ということで、つかの間の休みを楽しむ大人たちが中心で、ぱっとみたところどのバイクもかなりのブランド物で、様々な装備品が取り付けてあり高そうだった。一方、僕の自転車はタイヤがマウンテンバイク用だと言われたなんちゃってクロスバイクなので、当然彼らが、信号が青になるのと同時にロケットダッシュをきかせるのについていけず、またすぐ離れ離れにになって走った。
そして、ここからの東海道は今までとかなり表情を変えることになる。
だいたい横浜中心部を出て5キロちょい行ったところから「権田坂」と呼ばれるかなり急で長い坂に入る。箱根駅伝でも「2区の難所」と呼ばれている区間で、本当に長い。坂というとだいたい200メートルくらいで終わるのではないかと思うかもしれないが、この権田坂は、地名にもなっているほどで(権田坂一丁目から三丁目まであった)1キロくらいあったのではないだろうか。登り始めて、そろそろ終わるだろうと思うとまだ延々と登りが続いている。途中で少し傾斜が緩む場所があっても一息つけない。少しカーブしたところから先を見ると坂は更に続く。
あまりにも疲れたので坂の途中にある「ファミリーマート権田坂店」に行ってファミチキとおにぎりを買う。ファミマの駐車場は荒れ果てていてとても物を食べる気分になれなかったので、少し先にある公園まで走ることにした。
その公園の入り口も坂の途中に設けられており、やっとのことで到着する。が、しかし、「公園」と名がついているものの、しばらく歩いてもベンチも椅子も何もない、しかもトイレもない!!わざわざ東京からはあはあ言いながらこのキツい坂を登って来た旅人にこの仕打ちかよ!と非常に腹立たしい気分になった。
公園にベンチとトイレを期待するのは別にごくごく普通のことである。しかし、この「横浜市児童遊園地」という名前の公園は何故か動物保護区のようになっており、リスが走り回っているという始末だった。仕方がないので木の根が地面に大きく張り出している場所に腰かけて簡単な食事を済ませる。もう、あの公園には二度と行きたくない、と思うくらい酷い公園だった。千葉に遠征したときには途中に素敵な公園がいくつかあったのと比べると雲泥の差である。
エネルギー補給を終わって何とか坂を登り終えると、今度は長い長い下りに入った。こんな傾斜のある地形によくこんな大きな道を作ったなあと感心するくらい国道1号線は登りと下りの繰り返しである。もう、平坦な直線コースなどほとんどと言って良いほどなく、下りを終えたらまた登りが続いた。もう途中で本当に動けなくなり、足も攣りかけていらだたしさが募って来たので「ああああああ!!!」と自分とこの地形に向かって叫んだ。こんなにも自転車に厳しいコースを用意した自然と、それに打ち克てなかった自分に対する怒りである。「くそおおおおお!!」とか、「ばかやろおおお!!」とか叫んでいるとどんどん心が晴れやかになっていく。それと同時に力もみなぎり、何とか戸塚までたどり着くことができた。
箱根駅伝なら、ここに戸塚中継所があり、次のランナーにタスキを託すのだが、この旅に、ランナーは一人しかいない。
見ると国道1号線が2手に分かれており、一方は「戸塚駅」と書かれていたので、そちらは駅に行く人だけが使うのだろうと思ってそうではないほうを選んだ。
しかし、途中からどうもこれは怪しい、と気付いた。気が付くと道の両側には高速道路にあるような壁のようなものがあり、自動車が走るスピードも80キロを超えているように感じられた。また、どこまで走っても信号がない。そして気付いた。これはどうやら自転車が侵入禁止の道に入ってしまったのだと。そういえば、少し手前に自転車進入禁止の標識があったようななかったような・・・当然走っている自転車も、歩いている人もいなかったので怖くなって引き返すと、若干木に隠れてはいたが、進入禁止の錆びた標識が建てられていた。こりゃあ、わからねーよ、と思い先ほどの地点まで引き返すも、思わぬ距離ロスとなってしまった。
気を取り直して戸塚駅に向かう。すると、ここでもどうやら列車の高架を避けるために地下に潜っている場所があり、自転車と歩行者が侵入できなかった。今度は安全策を取り迂回したが、どうやら迂回路を少し間違えてしまったようで、線路と川を挟んだ反対側に出てしまい、元の1号線に戻るのに20分ほどの時間を要してしまった。これも思わぬタイムロス・・・そんなこんなで何とかGoogle Mapを頼りに1号線に復帰して一路、今日の宿がある平塚を目指す。
今回の旅は、距離自体は70キロと前の千葉に比べて10キロ以上も少ないが、アップダウンが多いことや道が複雑になっていることから、あれ以上走っている気になる。戸塚を超えたら超えたで、また「大坂」なる大きな坂が出現し、ひたすら登りに足を使わされる。「坂なんて嫌いだ、なくなれ、消えろ!!」こう叫ばないともうやっていけないほどに疲れていたので人目もはばからずに大声で叫ぶ。このようにしていると、あの野々村議員が大声で叫んでいた気持ちが少しだけわかるような気がする。やはり、イライラしたときは叫ぶに尽きる。
そしてようやく本日2回目の休憩ポイントのファミマに到着して「速攻元気ゼリー」を買って流し込んだ。もう、先ほどまでの坂の連続で足にかなりダメージを受けており、坂で連続して立漕ぎをすると足が攣るような状態だったので、こうした栄養補給は欠かせない。
すると他にも休憩しているロードバイクが一台。これは僕のよりもかなり高そうなGIANTのものだった。乗っている人も、タバコを吸いながら休憩する余裕が見られる。その人が出発してしばらくして僕も後を追うことにする。すると、道が二手に分かれているところがあり、その男性が右に進路を取ったので僕もそれに従った。
しばらく行ってまたおかしいことに気付く。すごいスピードで走る車、他に走っていない自転車、そして全くない信号・・・あかん、これは自動車専用道路や!なにやってんねん、あいつ、俺を巻き込みよって・・・いや、着いてきたのは僕だからね、こっちが悪いんだよね・・・
だが、いったん入ってしまったら先ほどと違って引き返すことができないので、もう極力前を走る彼とくっついて走った。
一応2台走っていた方が車からは目につきやすく安全だろう、というせめてもの策だ。ただ、いったん慣れてしまえばこの「湘南新道」と呼ばれる自動車道路も走りやすかった。まず、信号もなく、歩行者もいないのでかなりスピードが出さること。おそらく40キロくらいは出ていた区間もあっただろう。そして高速運転を前提に作られているので急な坂や下りがないことが挙げられる。ただ、怖い。そう、怖ささえ克服できればなんとかなってしまうのがこの自動車道路なのだと気付いた。
20分ほど走ったらこの自動車道路も終わったのでまた通常の国道1号線に入って平塚を目指した。
このあたりになると、湘南の香りを届けてくれる地名が標識にも現れる。茅ヶ崎、藤沢、平塚、小田原・・・ こうした地名を見ていると本当に自分の足でここまでやってきたのだ、という達成感が生まれてきて何とも言えない気分になる。普通ならば絶対に自転車でなんてこない遠い土地。様々な困難を乗り越えながらも、一歩一歩ペダルを前に踏み出して、何とかたどり着くことができるのだ。サイクリングの醍醐味は何か?と聞かれたときに途中の景色とか、ご当地グルメとか、スピードを感じることとか、いろんな答えがあると思うが、やはりこの目的地に到着して、最後に自転車から降りるものに叶う喜びはない。割と気軽に、しかしハードに達成感を味わえるからこそ、サイクリングが好きなのだろう。(しかもランニングよりは簡単で、しかも遠くまで行ける!)
藤沢を抜けるといよいよ平塚に入る。
今まで来たこともない土地、しかもそれほど有名なものがあるわけでもない土地。それでも、今日ずっと頭の中にあり、僕のゴールだった土地。おそらく一生の思い出に残るだろう土地。そんな土地が、どんどん近づいてくる。道案内の距離表示が6キロ、4キロとなり、道路の両脇には立派な松の木が生えているのが見えだした。もう、本当に近くまで来ている。
それと同時に足も限界にきていた。当初の予想よりもかなりハードだったコース。東海道、と聞くと岐阜県出身の僕は、中央道と比較してしまい「平坦な道」というイメージが強かったが、それは太平洋岸に出てからの話で、東京から神奈川を抜けるところはアップダウンの繰り返しだった。はじめのほうは余力もあり、休憩なしで2時間ほど漕いだが、もう今は完全に体力ではなく、気力に頼って走っているという状態だった。
そして、目の前にじゃらんで確認した東横インが見えてきた。ついにゴールだ!早速自転車をちょうど目の前にあった駐輪スペースに停めてチェックインする。時刻は15時5分をまわったところ。よし、余裕で間に合う!
部屋に入ってテレビをつけたのと、東京10Rがスタートしたのは同時だった。
そう、僕がこれほどまで急いでいたのは何がなんでも15時にチェックインして競馬中継を見るためだった。東横インは16時チェックインだったので諦めてこちらのリブマックスというグレードの低いビジネスホテルにしたのもチェックイン時間の都合だった。結局4000円ほどの負けだったが、やはり競馬はやめられない。
そういえば、ちょうど2年前のこの時期に横浜までサイクリングに行ったことを思い出した。あの日は少し出遅れたこともあるが、なんと横浜で一泊したのだ。今思うと余裕で走れる距離だが、あの頃は初めての遠出ということもあり、かなり頑張った気になっていたし、それ以上行く勇気が出なかった。それが今回は、横浜は途中の通過地点に過ぎず、そこから更に同じくらいかそれ以上の距離を走って平塚までやって来た。しみじみと成長したなあ、と感じる。二年前は平塚まで行くなどとても怖くてできなかった。それが日々の通学サイクリングや、ジムでのトレーニング、そして千葉遠征などを通して経験と自信を得てここまでやってきた。たかが趣味の、しかも小さなことかもしれない。それでも、こうして具体的な成長を感じられるというのはかなり嬉しい。
そんな頑張った自分へのご褒美として、近くのラーメン屋さんで脂っこいラーメンの大盛りを頼んで、消費カロリーを台無しにしてしまったのである。