弾丸日光
今年は冬の訪れが遅い。もう十二月だというのに、コートなしで外出できる日が半分ほどを占めている。そんな中、勤務先の高校は早々に冬休みとなった。
僕のような非常勤講師は基本的には一般授業が無い日は出校しなくても良いので十二月の半ばにはほぼ自分自身も冬休み状態となっていたのだった。
しかし、「暇」なんて思うことはなく、むしろこの時間を使ってやりたいことは山ほどあった。例えば現在書いている日記のような小説のような文章の完成、経済の勉強、そしてサイクリングだ。
同時に、この時期は友人や職場との忘年会も多くなる時期であり、週に三日ほど忘年会的なものが入ることもある。
そんな中、十二月の十八、十九の二日間は何もなかったので、そこを利用して例によってサイクリングに出よう、と計画していた。今までは主に海を目指す旅が多かったため、次は埼玉を北に行こうという道のりをイメージしていた。
だいたいの目的地を熊谷のもう少し先に設定しており、実際に行くつもりだった。
ただ、何かの拍子に体の内側の筋肉を傷めてしまったようで、体を動かすと背中や腕に痛みが走った。医者に行くと「筋膜炎」と診断されて、なるべく安静にしておくようにと言われた。年末にはホテルでの住み込みアルバイトも控えていることを考えるとここで無理するわけにはいかず、僕はやむなくサイクリングを断念したのだった。
ただ、自転車に乗ることは不可能だとわかっても、どこかに行くこと自体は可能だった。
むしろ、こういった他の大多数の人が休みではない時というのは観光地などが空いており、出かけるのにはもってこいだ。最近まだまだ関東近郊には行ったことが無い場所が多すぎる・・・と気付き、お出かけ欲は高まっている。
じゃあせっかくなので、電車を使ってどこかへ行こう、と考えた時に浮かんだ候補地は「日光」だった。今まで何度も聞いた地名で、いつか行ってみたいなあ・・・と思っていた土地だった。
海外へは思い切って行ってしまう僕だが、国内となると、一人で行くことの後ろめたさなどからなかなか思い切って行けずに、休日は決まって一人で競馬場という流れになってしまっていた。その流れを断ち切るためにも思い切って決断したのだった。
前日は英会話スクールの同僚との忘年会だったため、帰ったのは終電だった。
その忘年会の時に、同僚の女性教師に「良かったら明日日光行きませんか?」と誘うが当然断られる。別に恋愛のステップにするとかではなく、偶然休みが合って、気も合うので誘ったので変に気がある、と思われないようにしなければ・・・笑
眠ったのが2時近くて、7時30分に目覚ましをセットしたものの、案の定二度寝して起きたのは9時前だった。前日までの曇りと打って変わって、今日は雲一つない冬場れの青空が広がっている。こんな青空の下、どこまでも行けると思ったし、どこまでも行きたいと思った。会ってすぐに恋に落ちるように、僕はこの青空に会ってすぐ、お出かけしたい、遠くに行きたいと感じて急いで支度をした。
日光までは「特急スペーシア」と呼ばれる有料特急を使うのが一般的のようだ。ただ、有料特急と通常快速の間には1340円もの料金差があり、いくら冬のボーナスをもらったばかりとは言っても無視できない価格差であった。
たとえ特急を使うにしても、元気な往路ではなく、疲れた復路に使うことにして、北千住駅まで行った後日光行きの快速電車に乗り込んだ。
北千住、といえば僕にとっては通勤の場所だ。毎週火曜日と木曜日にここにある英会話教室で勤務しているため、千代田線を使っている。一方で、今日利用するのは東武線。千代田線の出口から移動していくと、まるでクリスマス限定の装飾かと疑うようなスカイツリーをモチーフにしたデザインが通路の真ん中に続いており、清潔な白をベースとした地下街にはパン屋さんやケーキ屋さんなどいくつものおしゃれなお店が並んでいた。そこは僕が知る、殺風景な通勤場所である北千住駅とはあまりにもかけ離れており、早くも旅情をかきたてられたのだった。
乗り込んだ列車は「区間快速」。
東武鉄道には特急を除いて急行と快速があるようだが、快速のほうが停車駅は遙かに少ない。北千住を発車した列車は、まるで停車の仕方を忘れてしまったかのように、密集した東京近郊のビル群の中を突き抜けていった。どこまでも続く同じような建物群が、後ろへ、後ろへ、と過ぎ去っていく。その頭上では、いつまでも変わらぬ青空が見守っている。
東京を抜けて東武動物公園を過ぎるころには、それまで両側に見えていた東京都下の街並みも取り払われ、埼玉の田舎の景色が広がる。都心、とは相当広い地域を指すと思っていたが、三十分も走ると自分の地元と変わらぬ風景になってしまうことに軽く衝撃を受ける。
このころになると、車内には旅行者と思われる人々だけが残り席を広く使うことができた。僕は四人が向かい合って座れるコンパートメントのようになった空間を独占してひたすら読書にふけった。読書ほど時間を忘れさせてくれる行為はなく、気付いたら日光まであと10分という位置に来ていた。
鬼怒川温泉にも行く列車なだけあり、横の空間では80歳くらいになろうかという老夫婦が持参したみかんを食べながら旅先の旅館の話に花を咲かせているところだった。年は取っていたが、身だしなみもしっかりしており、きりりとした表情をしているのが印象に残った。
下今市という駅で列車を4両と2両に切り離して、残った2両が日光行きとなった。
金曜日ということもあってか、世界遺産の観光地に向かうにしてはかなり空いている。窓辺からはしなびた雰囲気の一軒家が並んでいるのが見える。パッと見れば30年前に来たかのような風景だが、庭先に停められている最新型のハイブリッドカーが、かろうじてこの空間が同じ時のなかにあるという当たり前の事実を主張している。
大きな三角形の屋根を持つ東武日光の駅に到着すると、まず観光案内所に向かって日光東照宮の場所を尋ねた。
僕はここで初めて、「とうしょうぐう」であることに気付いた。
今まではなんと、「とうしょうぐん」だと思っていたのだ。何故なら、そこが徳川将軍の祀られているところだと聞いていたので、「東将軍」つまり、江戸という日本の中でも東のほうに幕府を構えた将軍のためにある場所だ、と思っていたのだ。
まあでも、それほど大きなミスではないだろう。「とうしょうぐん」と言ったところで、若干早口で言うと、最後の「ん」はほとんど聞こえずに、あたかも「とうしょうぐう」と言っているかのように聞こえるのだから。
そんな日光は、思ったよりも外国人が多かった。はじめは金曜日の訪問ということもあり、おじいさんおばあさんの集団がいることを想像したが、その代わりに外国人の小さな集団がいくつも見られた。だいたいの特徴で、中国系、タイ系、欧米系・・・などとわけていく。でもやはり、一番多いのは中国系の人達だった。
案内所で、東照宮までは歩いてだいたい25分くらい、と聞いたので歩いて行ってみることにした。すると、ここの名物がどうやら「湯葉」だということに気付く。食堂の前には「ゆば料理」などと書かれたのぼりが出ており、メニューを見ても「湯葉丼」やら「湯葉定食」などが目についた。
一体湯葉は美味しいのだろうか・・・と疑問に思い、いったんは750円の日替わりランチを出す中華料理屋へ入ろうと思ったが、やっぱりせっかく日光に来たからにはご当地料理を、と思って「彩ゆば定食」を出す店に入った。この定食は、湯葉そのままというよりは、コロッケ、ソーセージ、しゅうまい、サラダなどに湯葉を混ぜている。
ついランチ時の癖で「あ、ライス大盛りで!」と言ってしまった。
すると、出てきたのは、バカデカいお椀に大盛りになったライスだった。おそらく自分が普段知っている大盛りの2倍はあるのではないかという量に、嬉しさより全部食べられるのか、という不安が先行し、うかつに大盛りを頼んでしまったことを後悔した。しかし、至って普通の定食屋さんである。何故こんな超大盛りが出てきたのかというのは謎。
このライスの重量がおそらく他のおかずを合計したものの2倍はありそうな定食をなんとか平らげて、いよいよ東照宮がある寺社エリアへと入った。
ここは一体が世界遺産として登録されているだけあって、ちょっとした林のようになっているのだが、全体が神々しい雰囲気を漂わせていた。まず階段を登って行くといくつもの「日光詣」と書かれた提灯がぶらさがっていた。その下は石畳でできた階段になっており、脇を人工的な小川が流れている。午後2時を過ぎているということもあり、太陽なもう直接この空間を照り付けておらず、陽が当たっている場所と比べるとワントーン影になった世界の中に沈んでいる。
土日に行った人のブログによると、この参道が人でいっぱいになるらしいのだが、今日は本当にまばらで、視界に入るのはせいぜい3人ほどだった。
ある程度上り切ると、大きな建物が見えた。まるでメーカーの工場のようだと思ったが、それは大規模な改修工事を行うために臨時に作られた建物のようだった。三仏堂平成大修理と書かれており、建物の正面にはおそらく三仏堂のものであろうイメージが大きく描かれていた。しかしその建物は修理用にしてはしっかりし過ぎているような立たずまいで、はじめ遠景から見たところ、「なんで世界遺産の森に工場があるのか?」と間違えてしまうほどだった。
ただし、ここへ入るためには東照宮とは別の入場券を買う必要があるようで断念する。
ここで受付のお姉さんに東照宮の場所を尋ねて歩き出す。日光は東照宮が圧倒的な一番人気(競馬でいうとオッズ1倍台)なのにも関わらず東照宮に関する案内や看板が少ない気がした。
しかしそれでも門から出て東照宮へと続く大きな参道へと出ることができた。だいたいスキーの超初心者用のゲレンデくらいの角度で登っているのを見て「これは中山競馬場の最後の坂くらいかな?」と、いつも坂が出て来ると競馬場のことを考えてしまうのであった。
ただ、そんな考えはすぐに消えた。ここまでくると、どこまでもまっすぐで背の高い木が参道の両側に整然とならんでいる。上を見上げると、両側には木々が延々と続いており、その真ん中に青空が見えている。それはまるで陸地と川のようにも見え、木々の間からは木漏れ日が砂利で出来た参道に降り注ぎ、不規則的な模様を作り出している。これら全てがどこか現実離れした世界のもののように見えた。
参道を最後まで登り切ると大きな門があり、ここでチケットの確認をして中に入ると、まずあの有名な三猿があった。
イメージだと、こういった有名なものは一番最後に登場するのだが、なんと入って15秒ほどで見つけてしまったことに拍子抜けした。これの元々の意味は余計なことには首を突っ込まないほうが良い、という道徳的なメッセージらしい。
つまり、面倒くさそうな事や裏がありそうなことは、見ずに、人から話を聞いたりせずに、またそのことについて誰かに言わないほうが自分のためになるということらしい。猿たちの表情はとても滑稽かつシニカルだった。
「ただいまお客様の携帯電話で、お写真をお撮りしておりまーす。一枚いかがでしょうか?」
という声が聞こえてきた。よくあるやつだ。こちらのケータイでも撮るが、同時に向こうのカメラでも写真を撮って、それが出来上がったものを見せて高額な値段で売るという戦法を取るやつら。
ただ、今回は一人旅ということもあったので、彼らを利用することにして、こちらからお願いして撮ってもらった。アイフォンで撮った後、おじさんが一眼レフカメラを向けてきた。
「ではこちらのカメラでも一応撮りますのでねー」
一応じゃねえよ、本当はそっちが本命のくせに。
アイフォンで撮った写真は、明らかにわざとずらしたようにデキが良くないものだったが、一眼レフでできた写真は、まるで補正されたかのようにフラッシュも丁度良い具合に決まっており、出来栄えには雲泥の差があった。
確かにこの写真、欲しい。と思ってしまいながらも、うわー、こいつらセコい!と冷静に見直して一枚千円もする高価な写真を買うことはなかった。
こういう商売を見ていつも思うのだが、最初から価格設定を千円なんかにせずに、二百円か三百円にして「プロのカメラマンが、破格で高級写真をお撮りいたします!おひとり様歓迎!」のように宣伝すれば、観光客も安心してこのサービスを利用できるのではないだろうか・・・
「無料でお撮りいたします!」とか言って、後から高額で売りつける方法は、はっきり言って多くの人に知られてしまってきているので、もうそれほど有効には思えないのだ。
ここを通り抜けるといよいよ両側にまるで祭りで出て来る山車のような派手な装飾を施された建物が現れる。よく日光のパンフレットやHPを見た時にその象徴として使われているようなものである。これらはまるで徳川の財力を誇示するかのように黒をベースとしながらも装飾には金が使われており、武士が建立したにしてはきらびやかだった。日本史の知識がほとんどない僕のような人間が見てもこれらの建物はかなり派手だと言うことができる。通常神社と言えば、黒、あっても赤が所々使われているのを想像するが、ここでは先ほどの三猿も含めて、エメラルドのように鮮やかな緑や青、そして金などまるで現実世界をそのまま表しているかのように多彩な建物や彫刻で溢れている。
門をくぐって中に入っていくと、そこは「奥宮」と呼ばれる場所であり、門のところには眠り猫と呼ばれる猫の彫刻があった。これも白、黒、金、緑、赤など本当に様々な色が使われている。かなり有名な作品のようで、目を極限まで細くした猫が座って眠っているという彫刻だった。
そしてその裏側には二羽の踊るスズメの姿がある。それらはとても立体的で今にも羽ばたいてそのまま飛んでいってしまいそうにみえる。偶然近くにいたガイドがしていた話によると、本来食べるものと食べられる者の関係であった猫とスズメが一緒におり、スズメは楽しそうに飛ぶということは、それだけ時代も平和になってきたことを表している、ということだった。
なんと、このどこにでもいそうな動物をたまたま両側に掘っただけなのかと思わせるような彫刻に深い意味があったとは・・・若干後付け感は否めなかったが、正規ガイドの説明だったので納得する。
「奥宮」とは、文字通りかなり奥まったところにある神社のことで、東照宮の奥宮も、先ほどの門からだいたい歩いて5分はかかるだろう距離にあった。途中は何段もの階段が続いており、年配者にとっては厳しいだろう。
ここも両側には背の高い杉の木が立ち並んでおり、奥宮への参道に深い影を作っている。日光へ行く、と言った時に母から聞いた話によると、昔からここは「晴れない」ことで有名らしい。すぐに霧がかかったり、天気が悪くなったり。そう言われてみると、若干雨がぱらついていたり、霧があったほうが雰囲気は出るなあと思わせる場所だ。別に晴れなければいけない、という類の観光地ではない。
200段以上の階段を登り切ると、奥宮が見えた。ここの装飾は本宮と異なり、かなり落ち着いたものだ。まず建物全体には銅が塗られており、全体的に茶色い。先ほどの緑や赤などといった派手な色は一切姿を消している。説明によると、この奥宮は、以前は将軍しか入ることができなかった場所ということだった。
おそらく一人になりたい時に、ひそかに祈りを行ったりする場所がここだったのだろう。しとしとと降る雨の中、電気もないこの奥宮は何かについて考えたり、瞑想するにはもってこいの場所に思えた。
このように、とても神々しい日光東照宮だが、それとは裏腹に商売的な一面も持っている。
境内には、至るところに売店があり、それぞれの売店で「限定グッズ」を販売している。奥宮だと、奥宮限定の鈴のようなものがあり、三猿の近くには猿関係のグッズが限定で置かれていた。そして極め付けは、「鳴く竜」のところにあった。
見学の最後に立ち寄った本堂のような場所では、天井に大きな竜の絵が描かれており、その下でおじさんが二つの木を叩いて、竜の腹の部分と顔の部分では出る音が違うのだ、という説明をしていて、顔の近くでたたくとまるで竜が鳴いているような音が出る、といってデモンストレーションをしていた。しかし、僕には明らかに顔の近くで叩く時のほうが大きな力を込めているように見えたので、「インチキか」と思ってしまった。ただ、他の参拝客達は熱心にその話を聞いている。
それが終わると、ある鈴を出してきて、
「これが竜の鳴き声を聞かせてくれる鈴です、毎日聞けばご利益がありますよ。最近新色も出ました。あちらでどうぞ。」と、お守りなどが売られているカウンターを指した。その鈴の音を聞いた場所から出口に出るにはどうしてもその売り場の前を通らなければならないように通路が設計されている。
「干支を教えて下さーい」
売り場にはなんと三人ものスタッフが配置されており、まるで鈴を買うことが前提かのように鬱陶しい声で語りかけてくる。
前を歩いていたデブがそこで立ち止まったせいで、詰まってしまって出口へ向かうのに苦労する。もう半ば強引に肘でデブを横に押しのけてかろうじて出口へ出たが、世界遺産の神社がここまで商売っ気が強いのかと、少々落胆したのだった。
はじめは一時間くらいで見学を終わるかなと思っていたが、だいたい二時間ほど滞在してしまった。もはやマチュピチュと同じくらいの時間滞在してことになるのだが、神社自体はそれだけ期待を上回ったということだろう。時間を見ると15時20分になっており、予定していた36分発の快速電車には乗れそうにもない。
ここから駅まで再び歩いて戻るかバスを使うか考えたが、結局バスを使うことにした。しかし、これが誤算だった。
23分のバスにはギリギリで乗れずに38分のバスを待ったが、かなり遅れており到着したのが43分とかだった。おまけに車内はかなり混んでおり、赤ちゃんがぎゃあぎゃあと泣き叫んでいる。更に悪いことに(To make matters worse)、腹痛に襲われて、狭くてうるさい車内で耐えなければならなかった。やっとのことで車内から脱出して東武日光駅のトイレに向かった。はあ、バスの時刻表くらい確認しておくべきだった・・・反省。
もちろん快速で、といきたいところだが、この日は19時30分から友人と食事する約束があったので、泣く泣く特急券代を払って「特急スペーシア」に乗車した。この列車はスペーシアというだけあって、十分なスペースが用意されており、シートもふかふかで快速電車とは雲泥の差だった。たしかに1300円は痛い出費であったが、ボーナスが入ったばかりの身にとっては大した痛手ではない。
帰り道、ほとんどの駅を通過していく車内から窓辺の景色を眺めていた。
陽が完全に沈んでも空はまだ名残で明るくなっている。ただ、ちょうど大きな山影に太陽が沈んだところだったので、影の具合から辺りは恐ろしいほど暗くなり、周囲は田んぼなのか畑なのか、荒れ地なのかさえもわからない。一方で特急電車は、そんなことまるで関係ないかのように、僅かな揺れと共にただただ東京へ向かって進んでいく。
前日に思い立って、わずか八時間程度の旅だったが、東照宮のすばらしさを発見することができた一日だった(完)
今年は冬の訪れが遅い。もう十二月だというのに、コートなしで外出できる日が半分ほどを占めている。そんな中、勤務先の高校は早々に冬休みとなった。
僕のような非常勤講師は基本的には一般授業が無い日は出校しなくても良いので十二月の半ばにはほぼ自分自身も冬休み状態となっていたのだった。
しかし、「暇」なんて思うことはなく、むしろこの時間を使ってやりたいことは山ほどあった。例えば現在書いている日記のような小説のような文章の完成、経済の勉強、そしてサイクリングだ。
同時に、この時期は友人や職場との忘年会も多くなる時期であり、週に三日ほど忘年会的なものが入ることもある。
そんな中、十二月の十八、十九の二日間は何もなかったので、そこを利用して例によってサイクリングに出よう、と計画していた。今までは主に海を目指す旅が多かったため、次は埼玉を北に行こうという道のりをイメージしていた。
だいたいの目的地を熊谷のもう少し先に設定しており、実際に行くつもりだった。
ただ、何かの拍子に体の内側の筋肉を傷めてしまったようで、体を動かすと背中や腕に痛みが走った。医者に行くと「筋膜炎」と診断されて、なるべく安静にしておくようにと言われた。年末にはホテルでの住み込みアルバイトも控えていることを考えるとここで無理するわけにはいかず、僕はやむなくサイクリングを断念したのだった。
ただ、自転車に乗ることは不可能だとわかっても、どこかに行くこと自体は可能だった。
むしろ、こういった他の大多数の人が休みではない時というのは観光地などが空いており、出かけるのにはもってこいだ。最近まだまだ関東近郊には行ったことが無い場所が多すぎる・・・と気付き、お出かけ欲は高まっている。
じゃあせっかくなので、電車を使ってどこかへ行こう、と考えた時に浮かんだ候補地は「日光」だった。今まで何度も聞いた地名で、いつか行ってみたいなあ・・・と思っていた土地だった。
海外へは思い切って行ってしまう僕だが、国内となると、一人で行くことの後ろめたさなどからなかなか思い切って行けずに、休日は決まって一人で競馬場という流れになってしまっていた。その流れを断ち切るためにも思い切って決断したのだった。
前日は英会話スクールの同僚との忘年会だったため、帰ったのは終電だった。
その忘年会の時に、同僚の女性教師に「良かったら明日日光行きませんか?」と誘うが当然断られる。別に恋愛のステップにするとかではなく、偶然休みが合って、気も合うので誘ったので変に気がある、と思われないようにしなければ・・・笑
眠ったのが2時近くて、7時30分に目覚ましをセットしたものの、案の定二度寝して起きたのは9時前だった。前日までの曇りと打って変わって、今日は雲一つない冬場れの青空が広がっている。こんな青空の下、どこまでも行けると思ったし、どこまでも行きたいと思った。会ってすぐに恋に落ちるように、僕はこの青空に会ってすぐ、お出かけしたい、遠くに行きたいと感じて急いで支度をした。
日光までは「特急スペーシア」と呼ばれる有料特急を使うのが一般的のようだ。ただ、有料特急と通常快速の間には1340円もの料金差があり、いくら冬のボーナスをもらったばかりとは言っても無視できない価格差であった。
たとえ特急を使うにしても、元気な往路ではなく、疲れた復路に使うことにして、北千住駅まで行った後日光行きの快速電車に乗り込んだ。
北千住、といえば僕にとっては通勤の場所だ。毎週火曜日と木曜日にここにある英会話教室で勤務しているため、千代田線を使っている。一方で、今日利用するのは東武線。千代田線の出口から移動していくと、まるでクリスマス限定の装飾かと疑うようなスカイツリーをモチーフにしたデザインが通路の真ん中に続いており、清潔な白をベースとした地下街にはパン屋さんやケーキ屋さんなどいくつものおしゃれなお店が並んでいた。そこは僕が知る、殺風景な通勤場所である北千住駅とはあまりにもかけ離れており、早くも旅情をかきたてられたのだった。
乗り込んだ列車は「区間快速」。
東武鉄道には特急を除いて急行と快速があるようだが、快速のほうが停車駅は遙かに少ない。北千住を発車した列車は、まるで停車の仕方を忘れてしまったかのように、密集した東京近郊のビル群の中を突き抜けていった。どこまでも続く同じような建物群が、後ろへ、後ろへ、と過ぎ去っていく。その頭上では、いつまでも変わらぬ青空が見守っている。
東京を抜けて東武動物公園を過ぎるころには、それまで両側に見えていた東京都下の街並みも取り払われ、埼玉の田舎の景色が広がる。都心、とは相当広い地域を指すと思っていたが、三十分も走ると自分の地元と変わらぬ風景になってしまうことに軽く衝撃を受ける。
このころになると、車内には旅行者と思われる人々だけが残り席を広く使うことができた。僕は四人が向かい合って座れるコンパートメントのようになった空間を独占してひたすら読書にふけった。読書ほど時間を忘れさせてくれる行為はなく、気付いたら日光まであと10分という位置に来ていた。
鬼怒川温泉にも行く列車なだけあり、横の空間では80歳くらいになろうかという老夫婦が持参したみかんを食べながら旅先の旅館の話に花を咲かせているところだった。年は取っていたが、身だしなみもしっかりしており、きりりとした表情をしているのが印象に残った。
下今市という駅で列車を4両と2両に切り離して、残った2両が日光行きとなった。
金曜日ということもあってか、世界遺産の観光地に向かうにしてはかなり空いている。窓辺からはしなびた雰囲気の一軒家が並んでいるのが見える。パッと見れば30年前に来たかのような風景だが、庭先に停められている最新型のハイブリッドカーが、かろうじてこの空間が同じ時のなかにあるという当たり前の事実を主張している。
大きな三角形の屋根を持つ東武日光の駅に到着すると、まず観光案内所に向かって日光東照宮の場所を尋ねた。
僕はここで初めて、「とうしょうぐう」であることに気付いた。
今まではなんと、「とうしょうぐん」だと思っていたのだ。何故なら、そこが徳川将軍の祀られているところだと聞いていたので、「東将軍」つまり、江戸という日本の中でも東のほうに幕府を構えた将軍のためにある場所だ、と思っていたのだ。
まあでも、それほど大きなミスではないだろう。「とうしょうぐん」と言ったところで、若干早口で言うと、最後の「ん」はほとんど聞こえずに、あたかも「とうしょうぐう」と言っているかのように聞こえるのだから。
そんな日光は、思ったよりも外国人が多かった。はじめは金曜日の訪問ということもあり、おじいさんおばあさんの集団がいることを想像したが、その代わりに外国人の小さな集団がいくつも見られた。だいたいの特徴で、中国系、タイ系、欧米系・・・などとわけていく。でもやはり、一番多いのは中国系の人達だった。
案内所で、東照宮までは歩いてだいたい25分くらい、と聞いたので歩いて行ってみることにした。すると、ここの名物がどうやら「湯葉」だということに気付く。食堂の前には「ゆば料理」などと書かれたのぼりが出ており、メニューを見ても「湯葉丼」やら「湯葉定食」などが目についた。
一体湯葉は美味しいのだろうか・・・と疑問に思い、いったんは750円の日替わりランチを出す中華料理屋へ入ろうと思ったが、やっぱりせっかく日光に来たからにはご当地料理を、と思って「彩ゆば定食」を出す店に入った。この定食は、湯葉そのままというよりは、コロッケ、ソーセージ、しゅうまい、サラダなどに湯葉を混ぜている。
ついランチ時の癖で「あ、ライス大盛りで!」と言ってしまった。
すると、出てきたのは、バカデカいお椀に大盛りになったライスだった。おそらく自分が普段知っている大盛りの2倍はあるのではないかという量に、嬉しさより全部食べられるのか、という不安が先行し、うかつに大盛りを頼んでしまったことを後悔した。しかし、至って普通の定食屋さんである。何故こんな超大盛りが出てきたのかというのは謎。
このライスの重量がおそらく他のおかずを合計したものの2倍はありそうな定食をなんとか平らげて、いよいよ東照宮がある寺社エリアへと入った。
ここは一体が世界遺産として登録されているだけあって、ちょっとした林のようになっているのだが、全体が神々しい雰囲気を漂わせていた。まず階段を登って行くといくつもの「日光詣」と書かれた提灯がぶらさがっていた。その下は石畳でできた階段になっており、脇を人工的な小川が流れている。午後2時を過ぎているということもあり、太陽なもう直接この空間を照り付けておらず、陽が当たっている場所と比べるとワントーン影になった世界の中に沈んでいる。
土日に行った人のブログによると、この参道が人でいっぱいになるらしいのだが、今日は本当にまばらで、視界に入るのはせいぜい3人ほどだった。
ある程度上り切ると、大きな建物が見えた。まるでメーカーの工場のようだと思ったが、それは大規模な改修工事を行うために臨時に作られた建物のようだった。三仏堂平成大修理と書かれており、建物の正面にはおそらく三仏堂のものであろうイメージが大きく描かれていた。しかしその建物は修理用にしてはしっかりし過ぎているような立たずまいで、はじめ遠景から見たところ、「なんで世界遺産の森に工場があるのか?」と間違えてしまうほどだった。
ただし、ここへ入るためには東照宮とは別の入場券を買う必要があるようで断念する。
ここで受付のお姉さんに東照宮の場所を尋ねて歩き出す。日光は東照宮が圧倒的な一番人気(競馬でいうとオッズ1倍台)なのにも関わらず東照宮に関する案内や看板が少ない気がした。
しかしそれでも門から出て東照宮へと続く大きな参道へと出ることができた。だいたいスキーの超初心者用のゲレンデくらいの角度で登っているのを見て「これは中山競馬場の最後の坂くらいかな?」と、いつも坂が出て来ると競馬場のことを考えてしまうのであった。
ただ、そんな考えはすぐに消えた。ここまでくると、どこまでもまっすぐで背の高い木が参道の両側に整然とならんでいる。上を見上げると、両側には木々が延々と続いており、その真ん中に青空が見えている。それはまるで陸地と川のようにも見え、木々の間からは木漏れ日が砂利で出来た参道に降り注ぎ、不規則的な模様を作り出している。これら全てがどこか現実離れした世界のもののように見えた。
参道を最後まで登り切ると大きな門があり、ここでチケットの確認をして中に入ると、まずあの有名な三猿があった。
イメージだと、こういった有名なものは一番最後に登場するのだが、なんと入って15秒ほどで見つけてしまったことに拍子抜けした。これの元々の意味は余計なことには首を突っ込まないほうが良い、という道徳的なメッセージらしい。
つまり、面倒くさそうな事や裏がありそうなことは、見ずに、人から話を聞いたりせずに、またそのことについて誰かに言わないほうが自分のためになるということらしい。猿たちの表情はとても滑稽かつシニカルだった。
「ただいまお客様の携帯電話で、お写真をお撮りしておりまーす。一枚いかがでしょうか?」
という声が聞こえてきた。よくあるやつだ。こちらのケータイでも撮るが、同時に向こうのカメラでも写真を撮って、それが出来上がったものを見せて高額な値段で売るという戦法を取るやつら。
ただ、今回は一人旅ということもあったので、彼らを利用することにして、こちらからお願いして撮ってもらった。アイフォンで撮った後、おじさんが一眼レフカメラを向けてきた。
「ではこちらのカメラでも一応撮りますのでねー」
一応じゃねえよ、本当はそっちが本命のくせに。
アイフォンで撮った写真は、明らかにわざとずらしたようにデキが良くないものだったが、一眼レフでできた写真は、まるで補正されたかのようにフラッシュも丁度良い具合に決まっており、出来栄えには雲泥の差があった。
確かにこの写真、欲しい。と思ってしまいながらも、うわー、こいつらセコい!と冷静に見直して一枚千円もする高価な写真を買うことはなかった。
こういう商売を見ていつも思うのだが、最初から価格設定を千円なんかにせずに、二百円か三百円にして「プロのカメラマンが、破格で高級写真をお撮りいたします!おひとり様歓迎!」のように宣伝すれば、観光客も安心してこのサービスを利用できるのではないだろうか・・・
「無料でお撮りいたします!」とか言って、後から高額で売りつける方法は、はっきり言って多くの人に知られてしまってきているので、もうそれほど有効には思えないのだ。
ここを通り抜けるといよいよ両側にまるで祭りで出て来る山車のような派手な装飾を施された建物が現れる。よく日光のパンフレットやHPを見た時にその象徴として使われているようなものである。これらはまるで徳川の財力を誇示するかのように黒をベースとしながらも装飾には金が使われており、武士が建立したにしてはきらびやかだった。日本史の知識がほとんどない僕のような人間が見てもこれらの建物はかなり派手だと言うことができる。通常神社と言えば、黒、あっても赤が所々使われているのを想像するが、ここでは先ほどの三猿も含めて、エメラルドのように鮮やかな緑や青、そして金などまるで現実世界をそのまま表しているかのように多彩な建物や彫刻で溢れている。
門をくぐって中に入っていくと、そこは「奥宮」と呼ばれる場所であり、門のところには眠り猫と呼ばれる猫の彫刻があった。これも白、黒、金、緑、赤など本当に様々な色が使われている。かなり有名な作品のようで、目を極限まで細くした猫が座って眠っているという彫刻だった。
そしてその裏側には二羽の踊るスズメの姿がある。それらはとても立体的で今にも羽ばたいてそのまま飛んでいってしまいそうにみえる。偶然近くにいたガイドがしていた話によると、本来食べるものと食べられる者の関係であった猫とスズメが一緒におり、スズメは楽しそうに飛ぶということは、それだけ時代も平和になってきたことを表している、ということだった。
なんと、このどこにでもいそうな動物をたまたま両側に掘っただけなのかと思わせるような彫刻に深い意味があったとは・・・若干後付け感は否めなかったが、正規ガイドの説明だったので納得する。
「奥宮」とは、文字通りかなり奥まったところにある神社のことで、東照宮の奥宮も、先ほどの門からだいたい歩いて5分はかかるだろう距離にあった。途中は何段もの階段が続いており、年配者にとっては厳しいだろう。
ここも両側には背の高い杉の木が立ち並んでおり、奥宮への参道に深い影を作っている。日光へ行く、と言った時に母から聞いた話によると、昔からここは「晴れない」ことで有名らしい。すぐに霧がかかったり、天気が悪くなったり。そう言われてみると、若干雨がぱらついていたり、霧があったほうが雰囲気は出るなあと思わせる場所だ。別に晴れなければいけない、という類の観光地ではない。
200段以上の階段を登り切ると、奥宮が見えた。ここの装飾は本宮と異なり、かなり落ち着いたものだ。まず建物全体には銅が塗られており、全体的に茶色い。先ほどの緑や赤などといった派手な色は一切姿を消している。説明によると、この奥宮は、以前は将軍しか入ることができなかった場所ということだった。
おそらく一人になりたい時に、ひそかに祈りを行ったりする場所がここだったのだろう。しとしとと降る雨の中、電気もないこの奥宮は何かについて考えたり、瞑想するにはもってこいの場所に思えた。
このように、とても神々しい日光東照宮だが、それとは裏腹に商売的な一面も持っている。
境内には、至るところに売店があり、それぞれの売店で「限定グッズ」を販売している。奥宮だと、奥宮限定の鈴のようなものがあり、三猿の近くには猿関係のグッズが限定で置かれていた。そして極め付けは、「鳴く竜」のところにあった。
見学の最後に立ち寄った本堂のような場所では、天井に大きな竜の絵が描かれており、その下でおじさんが二つの木を叩いて、竜の腹の部分と顔の部分では出る音が違うのだ、という説明をしていて、顔の近くでたたくとまるで竜が鳴いているような音が出る、といってデモンストレーションをしていた。しかし、僕には明らかに顔の近くで叩く時のほうが大きな力を込めているように見えたので、「インチキか」と思ってしまった。ただ、他の参拝客達は熱心にその話を聞いている。
それが終わると、ある鈴を出してきて、
「これが竜の鳴き声を聞かせてくれる鈴です、毎日聞けばご利益がありますよ。最近新色も出ました。あちらでどうぞ。」と、お守りなどが売られているカウンターを指した。その鈴の音を聞いた場所から出口に出るにはどうしてもその売り場の前を通らなければならないように通路が設計されている。
「干支を教えて下さーい」
売り場にはなんと三人ものスタッフが配置されており、まるで鈴を買うことが前提かのように鬱陶しい声で語りかけてくる。
前を歩いていたデブがそこで立ち止まったせいで、詰まってしまって出口へ向かうのに苦労する。もう半ば強引に肘でデブを横に押しのけてかろうじて出口へ出たが、世界遺産の神社がここまで商売っ気が強いのかと、少々落胆したのだった。
はじめは一時間くらいで見学を終わるかなと思っていたが、だいたい二時間ほど滞在してしまった。もはやマチュピチュと同じくらいの時間滞在してことになるのだが、神社自体はそれだけ期待を上回ったということだろう。時間を見ると15時20分になっており、予定していた36分発の快速電車には乗れそうにもない。
ここから駅まで再び歩いて戻るかバスを使うか考えたが、結局バスを使うことにした。しかし、これが誤算だった。
23分のバスにはギリギリで乗れずに38分のバスを待ったが、かなり遅れており到着したのが43分とかだった。おまけに車内はかなり混んでおり、赤ちゃんがぎゃあぎゃあと泣き叫んでいる。更に悪いことに(To make matters worse)、腹痛に襲われて、狭くてうるさい車内で耐えなければならなかった。やっとのことで車内から脱出して東武日光駅のトイレに向かった。はあ、バスの時刻表くらい確認しておくべきだった・・・反省。
もちろん快速で、といきたいところだが、この日は19時30分から友人と食事する約束があったので、泣く泣く特急券代を払って「特急スペーシア」に乗車した。この列車はスペーシアというだけあって、十分なスペースが用意されており、シートもふかふかで快速電車とは雲泥の差だった。たしかに1300円は痛い出費であったが、ボーナスが入ったばかりの身にとっては大した痛手ではない。
帰り道、ほとんどの駅を通過していく車内から窓辺の景色を眺めていた。
陽が完全に沈んでも空はまだ名残で明るくなっている。ただ、ちょうど大きな山影に太陽が沈んだところだったので、影の具合から辺りは恐ろしいほど暗くなり、周囲は田んぼなのか畑なのか、荒れ地なのかさえもわからない。一方で特急電車は、そんなことまるで関係ないかのように、僅かな揺れと共にただただ東京へ向かって進んでいく。
前日に思い立って、わずか八時間程度の旅だったが、東照宮のすばらしさを発見することができた一日だった(完)