高校で何学んだの?

今、自分にこの質問を問うている。

英語、数学、歴史、古典、化学、体育・・・

もっともな回答だ。

おそらく日本の多くの高校生はこのように答えるだろう。



しかし、それはその科目を履修したことを意味しており、決して、 = 学んだ ではないのだ。

では、このように答える人はいるだろうか。

英語では、コミュニケーションスキルと英文作成能力を磨き、

数学では、論理立てて物事を考える方法を学び、

歴史では、何故今の世界がこのようになっているのか、また各国首脳の発言の裏にある意図を見抜く力を養い、

古典では、我々日本人のルーツと文化について心得ました。


おそらくいないだろう、というのが私の考えだ。


何故かというと、そういった学問の本質に迫る前に、テストのための暗記、膨大な範囲、学問の本質を伝えようとしない教師など様々な障害が立ちはだかっているからだ。

よって、これらの科目は、ただ「学校が決めたから、カリキュラムによって決められているから」勉強しなければならない科目なのだ。

そして、これらの科目が何かの役に立った、と感じることは英語くらいしかない。

これは大きな問題だ。






一方で、最近困っていることがある。

例を挙げると、「医学や自分の体のこと」と「お金や保険のこと」

などである。


自分の体や人間の体について知っておくことは大事だ。

特に大学になり、若者はひとり暮らしをする可能性が高いので、その前に病気や風邪、薬などの知識を身に着けておくことは、サバイバルツール、つまり生きる力を身に着けることになる。

しかし、保健や家庭科、生物などでそれらの範囲を極めて部分的に扱ってはいるものの、

体系立てて人間の健康を考えるような科目はない。

もしこういった科目を作れば、生徒たちは自分のこととして、自分の将来のこととして、しっかりと授業を受けてモチベーションも上がるのではないか。

少なくとも、絶対に自分の生活の中で使わないような古典文法を暗記するよりはやる気になれる。


私は大学生になってから、「自律神経失調症」や、「気管支喘息」などの病気を経験したのだが、健康や病気に対する知識がないので、ただただ慌てふためいて、いくつもの病院の扉を叩かざるを得なかった。


医者だけが私達の健康を守るなんてことは、間違っている。

また、薬に関する簡単な知識があれば、ラオスで病にかかった時も、自分に合った適切な薬を薬局で購入することができただろう。





もう一つは、お金や保健、そして租税のこと。

人間生まれてから死ぬまで、とにかくお金が必要だ。

ある情報によると、人は一生で2億円以上のお金を必要とすると書かれていた。

しかし、私たちはお金のことを学校で習うだろうか。

たしかに、現代社会などの授業では、国の予算編成や、需要と供給などの経済のことは学習するかもしれない。


しかし、私たちが将来どこで、いくらくらいのお金が必要となり、どんな保険に加入する必要があり、どのように借金やローンなどを組んでいけばよいのかということは教わらない。


実際に、私は大学院を出て働き始めて、真剣に貯蓄、投資、借金などの言葉と向き合う機会があったが、それらについてあまりにも知らなさ過ぎて、無力さを感じた。

お金に関する本を読んでも、難しい言葉がならべられているだけで、内容は頭に入ってこなかった。

こういった問題にこそ、先生の丁寧な解説とプリントが必要だと思う。

また、最近税の仕事をしている人とお友達になって、いろいろと税の世界について教えてもらっているのだが、その人に出会う前は、税=悪 のように考えてしまっており、「取られるもの」と思っていた。


また、所得税や住民税など基本的な税が取られる意味やどのようにしてその金額が決定されているのかについても、知識がなかった。

しかし、税は現実の問題として深く自分の生活に入り込んでいる。

避けては通ることができないものだ。






このように考えたときに、

これらのことを高校でしっかり勉強することができていたら、

もう少し楽しかっただろうし、今の生活の役にたつのだろうなあと思う。

難解な化学式を暗記するよりも、自らの体のことを知り、

ただ古典を読むだけのために存在している古典文法を暗記するよりも、

基本的な文章の書き方や敬語について勉強し、

重箱の隅を突くような歴史の事象や年号を暗記するよりも、

実社会の中で必要な保健や税について勉強する。



これこそが今の教育に必要なことではないだろうか。

自分たちの生活に必要、関係があるとわかれば生徒も真剣に勉強するだろうし、

学校に行く意味も生まれるんだと思う。

つまり、「勉強のための勉強」ではなく、「生きるための学び」

になる。