私が「彼女たち」と呼んでいるベテラン非常勤講師陣。私の右側に座っているM先生、K先生、H先生の3人だ。三人とももう40歳は超えており、完全にベテランの域。その左端が26歳の教師になったばかりの私の席というわけだ。そんなものだから、とにかく最初はその3人の行動を観察していた。するとまず、英語科の講師は遅い時間まで残っているということに気付いた。いったい何をやっているのだろうか・・・と思ってみると自作のプリントを集めてチェックして検印を押すという作業をしていた。そもそも自作のプリントを作っていることに驚いた。伝統的な英語の授業とは先生が教科書を片手に和訳を言っていくものだと思っていたからだ。しかもどうやらそれを回収して毎回チェックしているようだ。いったい何故そんな面倒なことをするのだろう、はっきり言って時間の無駄だ!とまで思っていた。
しかし今、私も右習え、で自作のプリントを作って毎回とまではいかないものの回収している。私は彼女たちを真似してそうすることを始めたのだろうか?もちろん答えは違う。授業をしているうちにそのスタイルが良い、というかそれをするしかないということに気付いたのだった。では何故、毎回プリントを回収する必要があるのだろうか。それは極めて単純な理由による。プリントを回収しないと、そもそも集中してそこに書き込んだり、それを使って学ぼうとさえもしない人がいるからだ。プリントを配ると1年生でも2年生でも、「これって提出ですか?」という質問をしてくる人がいる。その質問の意図を性格に図ることはできないが、おそらく提出が無いなら書かなくても良いだろう、という思いがある。実際にはじめのほうはプリントを配りはするものの、回収していなかった。その結果どうなったのかというと、しっかりとやる子はいろいろと書き込んでいるのだが、やらない子はプリントがどこかへ行ってしまった、とか机の上にあるだけで一切それを見ていないという状況になっていた。このような実態があるのに見てみぬふりをするのは教師としていかがなものか・・・と考えた結果、回収するという結論に至った。
回収されるというプレッシャーがあれば、生徒はプリントをしっかりと埋める。それだけではなく、プリントにしっかりと向かっているということは相乗効果も生む。それは私語や騒がしいのが少なくなるということだ。プリントは生徒を紙や机に向かわせることができ、それを埋めなければいけないというプレッシャーを与えるがために、私語をする時間が必然的に減るのだ。更にもう一つ良いことがある。それは生徒個人個人との対話ができるということだ。普段の授業ではこちらから一方的に情報を与える「講義形式」が中心で、生徒が活動する場といったら少ないペアワークの時間くらいである。そういった時間で生徒の進歩を感じたり、何を思っているのか理解することは難しい。そこで英作文の課題などを与えてそれを回収すれば生徒の書いたもの、生徒の産出した英語を読むことができ、そこから共通した間違いを見つけて次の時間の活動に繋げたり、生徒個人個人の興味などを知る生徒理解にもなる。
以上に挙げた3点のメリット(1:生徒をプリントに向かわせることができる 2:私語を減らすことができる 3:生徒を理解することにつながる)があるからこそ、プリントを回収することに意味があるのだと思う。教師を始めた直後は、プリント回収など必要ないし、絶対に自分がやることはないだろうと思っていたのだが、実際ふたを開けてみたら、それが有効であるということに気付いた。こういうことってけっこうたくさんあると思う。自分が現場の教師になって実際の生徒を前にして授業を組み立ててみないとわからないことが。右にいらっしゃる「彼女たち」が、私が挙げた3点の理由からプリントを回収しているのか、そうでないのかはわからないが、そうするにはそれなりの理由があって然るべきだ。
そして、そうなるとプリントを回収することを前提にしてプリント作りをすることができる。今までは回収を前提にしてこなかっただけに、回収するとなると、もっといろんなヴァリエーションが考えられ、それらを読む楽しみも増える。今までは本当に日々の授業をこなすことに手一杯だっただけに、少し余裕が生まれた今、より自分の色を出して、生徒を満足させる授業を作っていきたいと意気込んでいる。
しかし今、私も右習え、で自作のプリントを作って毎回とまではいかないものの回収している。私は彼女たちを真似してそうすることを始めたのだろうか?もちろん答えは違う。授業をしているうちにそのスタイルが良い、というかそれをするしかないということに気付いたのだった。では何故、毎回プリントを回収する必要があるのだろうか。それは極めて単純な理由による。プリントを回収しないと、そもそも集中してそこに書き込んだり、それを使って学ぼうとさえもしない人がいるからだ。プリントを配ると1年生でも2年生でも、「これって提出ですか?」という質問をしてくる人がいる。その質問の意図を性格に図ることはできないが、おそらく提出が無いなら書かなくても良いだろう、という思いがある。実際にはじめのほうはプリントを配りはするものの、回収していなかった。その結果どうなったのかというと、しっかりとやる子はいろいろと書き込んでいるのだが、やらない子はプリントがどこかへ行ってしまった、とか机の上にあるだけで一切それを見ていないという状況になっていた。このような実態があるのに見てみぬふりをするのは教師としていかがなものか・・・と考えた結果、回収するという結論に至った。
回収されるというプレッシャーがあれば、生徒はプリントをしっかりと埋める。それだけではなく、プリントにしっかりと向かっているということは相乗効果も生む。それは私語や騒がしいのが少なくなるということだ。プリントは生徒を紙や机に向かわせることができ、それを埋めなければいけないというプレッシャーを与えるがために、私語をする時間が必然的に減るのだ。更にもう一つ良いことがある。それは生徒個人個人との対話ができるということだ。普段の授業ではこちらから一方的に情報を与える「講義形式」が中心で、生徒が活動する場といったら少ないペアワークの時間くらいである。そういった時間で生徒の進歩を感じたり、何を思っているのか理解することは難しい。そこで英作文の課題などを与えてそれを回収すれば生徒の書いたもの、生徒の産出した英語を読むことができ、そこから共通した間違いを見つけて次の時間の活動に繋げたり、生徒個人個人の興味などを知る生徒理解にもなる。
以上に挙げた3点のメリット(1:生徒をプリントに向かわせることができる 2:私語を減らすことができる 3:生徒を理解することにつながる)があるからこそ、プリントを回収することに意味があるのだと思う。教師を始めた直後は、プリント回収など必要ないし、絶対に自分がやることはないだろうと思っていたのだが、実際ふたを開けてみたら、それが有効であるということに気付いた。こういうことってけっこうたくさんあると思う。自分が現場の教師になって実際の生徒を前にして授業を組み立ててみないとわからないことが。右にいらっしゃる「彼女たち」が、私が挙げた3点の理由からプリントを回収しているのか、そうでないのかはわからないが、そうするにはそれなりの理由があって然るべきだ。
そして、そうなるとプリントを回収することを前提にしてプリント作りをすることができる。今までは回収を前提にしてこなかっただけに、回収するとなると、もっといろんなヴァリエーションが考えられ、それらを読む楽しみも増える。今までは本当に日々の授業をこなすことに手一杯だっただけに、少し余裕が生まれた今、より自分の色を出して、生徒を満足させる授業を作っていきたいと意気込んでいる。