せっかく博士後期入試試験も終わったことだし、少し自分の留学生活について書いてみようと思うに至った。まずは主なイベントをまとめてみたいのだが、テーマとして、WTC(英語でコミュニケーションをしようとする意思)が上がった場面を振り返ってみたい。修士論文ではどのようなトピックを学生に与えればWTCを向上させることができるのかというテーマについて実際のタスクを与えて、それなりの発見もあったのだが、それでもやはりコントロールされた条件の中で出た結果なので、人工的と言わざるを得ない。じゃあ、もっと自然な条件の中で、どのような場面でWTCが上がったのか考えることこそ、背景まで考慮に入れた社会文化的なアプローチになるのではないかと思う。

1.留学して1カ月後の旅行で
イギリスに留学してからESLクラスに入り1カ月ほど経って、慣れきたことだしどこかに旅行しようということになった。はじめは友人Mと2人で行くことを計画していたのだが、その友人が学部を変更したいか何かで行けなくなり、私一人で行くことになったのだ。目的地はスコットランド。なるべく一日を有効に使いたいということで朝早い時間帯の列車のチケットを予約しておいた。バーミンガムという中西部の町から北部の町へと向かう特急列車を予約しておいたのだ。
しかし、ここで私はとんでもないミスをしていたということに後から気付く。バーミンガムからのチケットを買ったは良いがまずは大学の近くのコヴェントリーという駅からバーミンガムまで行かなければならない。しかし、コヴェントリーまで行く手段が無かったというのがまず一つ。出発日が日曜日だったために列車のスケジュールが平日とがらりと変わって本数が少なくなり、始発の列車の時間も1時間以上も遅かった。そしてバスも動いておらず、大学のキャンパスから駅に出る手段すらない!という状況だった。いったいどうしたら良いのかと途方に暮れたが、高いのでタクシーだけは使いたくなかった私は歩くことにした。コヴェントリーは遠いので、大学に近い小さなキャンリーという駅に向かうことにした。比較的時間に余裕は持たせてあったが、それでものんびりはできなかったのでとにかく走った。とても重たいリュックを背負いながら走った。そして汗びっしょりになりながらキャンリーの駅に到着したのは良いが、まだ誰も人がいないという現状だった。そう、コヴェントリーからバーミンガムに向かう列車がまだ動き出していなかったのだ。とにかくここでも焦って必死になりながら私は駅がオープンするのを待った。すると、20分ほど待つとハゲたイギリス人のおじさんがやってきて駅のシャッターを開けた。私は待っていましたとばかりにこのおじさんにすがろうと話しかけようとした。
しかし、ロスした時間を考えると今からバーミンガムの駅に到着して予約していた電車に乗るのはかなり厳しいようだった。大学の旅行会社で予約したチケット(たしか8000円以上は払ったはず)を持っていたのでそれを何とか使いたい、少なくとも新しく全部買い直しだけは避けたかったのでできるだけこのおじさんの助けが必要だ・・・しかし、チケットの買い方はかなり込み入っていて、事情も込み入っているので説明できるのだろうか、しかも英語で・・・こういった言語不安がイッキに押し寄せて話しかけるのにも実は1分くらい時間を要した。頭の中で慎重にリハーサルを重ねてやっとのことでexcuse meにこぎつけたのだ。
その時は時間が迫っていたのに加えて、相手が知らない人、しかも大学外の人だったのでもうかなり混乱して何回も聞き返されたりした。しかし、このおじさんはかなりいい人で私のことを理解しようと努めて、その中で26歳以下の学生が使えるスチューデントパスのようなものがあることも案内してくれたのだ。結局30分ほどかかったが私は最小限の損失でスケジュールを組み立てなおすことに成功して、目的地までのチケットを手にすることができた。つまり、とても難しいコミュニケーションタスクをまったく教育的でないコンテクストで成し遂げることができた。たしかにお金や時間的な損失は少なくなかったし、非常に疲れるやり取りではあったが、この出来事は今でも私の中で留学の一大イベントとして残っている。これは自分の英語力を使って初めてトラブルを解決した。つまり社会的な文脈の中で英語が役に立ったのだと実感する出来事だったのだ。また、これは成功体験である。振り返ってみると、留学の中で、「あの難しいことを説明できたんだから」と、その後あまりためらわずにコミュニケーションを開始したり、続けたりすることができるようになったと思う。だから、この意味でもWTCは過去の成功体験がそれを決定する要因の一つなのではないだろうか。また、その成功させたタスクが難しければ難しいほど大きな自信になる。こんなところだ。その後も一人旅をする中でツアーバスに置いていかれたり、ホステルの予約が取れていなかったりと様々なトラブルが発生した。それに対して私は一つずつ英語を使ってコミュニケーションを図り対処していったのだ。これらはより大きな自信へとつながった。だから、一人旅に出るというのもコミュニケーションの必要性を高めるという意味で、自分で強制的にWTCを高めざるを得ない状況を作り出すというストラテジーなのではないかと思う。

1.2分析
この経験は自分の経験に基づいているが、一応分析を加えてみたい。まず、このやりとりは必要に迫られてのコミュニケーションだったということ。一人旅をしており、駅には私と駅員さんしかいない。そんな状況の中ではこの人とコミュニケーションをするしかなかった。更に相手はもちろん私と初めて会うわけだし、私のことなど一切知らないのでこちらが何をしたいかということをはっきりと伝える必要性がある。だから、ある意味情報に差があるinformation gapのタスクだと言うことができるだろう。もう一つの理由は「お金」が関わっているということだ。今ここでコミュニケーションをしなければ私には大きな損失が出てしまうし、旅行に出発することすらできなくなってしまう。このような必要性に迫られて、私は会話を開始するという行為に至った。だから、この場合は、英語を話そうという気持ちは周りの環境によって生まれたものであると言うことができる。
いったん会話を開始すれば自分の持つ文法能力や単語力を駆使して、できるだけ空いてにわかってもらおうと努め、相手の英語を聞こうと努力した。そして結果として何とか形として新しいチケットと学割パスを手にすることができたのだった。この一回だけで英語力が上がったのかというと、そういうわけではない。むしろ大事なのは、英語を使ってコミュニケーションが取れたという自信につながったということだろう。自信が出ると何故良いのか、それは次のコミュニケーションへとつながるからである。英語力自体はほとんど変わらなかったとしても、「あの時できたんだから」という自信が私たちを次なるコミュニケーションへと駆り立てるというわけだ。こうやって、毎回少しずつの自信と会話を積み重ねていくことでだんだんと英語力というものはついていくのではないだろうか。一方で、できなかったとしたら・・・それがWTCを下げる要因になることは間違いないだろう。では、そのような状況に陥ったらどうやってそれを乗り越えるのだろうか。この点については各自のストラテジーについてもっと研究していきたいと思った。

1.3 どう教育に生かすのか
では、問題はどのようにしてこのようなポジティブな循環を英語教育の中で作り出していくのかということだ。まず、1.1で挙げたような成功体験を聞くと、留学していたからできたのだと言われてしまい、結局は留学に行かないとできない、つまり日本で英語なんて勉強できないという批判へとつながってしまう。だから、留学のエピソードだけ推して英語がうまくなりますよと言ったところで、それはただの留学経験者の意見であって、英語教育を専攻とする者の知見ではない。前述のエピソードで見られたことはある程度の英語力がないと叶わない。つまり、このようなコミュニケーションを成功させるためにはそれまでに英語力を持っていなければならないということだ。ほとんど英語を話したことのない初心者がこのような状況に出くわしたところで戸惑ってしまい、自信を無くすだけだ。よって、上で述べた、

成功体験をする → 英語を話そうとする意思が上がる → 楽しくなってより勉強する → もっと話してみたくなる → 更なるコミュニケーションへ乗り出す → 成功体験

この流れを作るということが重要になってくる。しかし、ここでもはじめの成功体験のためには英語力があることが前提となる。そのためには、今、「教室外のコミュニケーション」という文脈で述べた上のサイクルを、「教室内」で実現できるような教育的努力をすることが必要になってくる。要はいかに成功体験を作り出すかということである。では、そもそも何をもって成功体験とするかを定義することが必要になってくるのではないか。
 成功体験とは、実際に自分の英語が「通じた」と実感することではないだろうか。この点についても誰と、どこで会話すれば「通じた」と思えるかには個人差があると思うが、私の場合は、少なくとも日本人の同級生とかではだめだった。少なくとも「先生」とか、「外国人」であることが必要だった。そういった人たちと、話す中で、自分が言ったことが通じて相手に納得してもらったり、笑顔を見せてもらえたりしたときに「ああ、通じた」と思えて自信になったのだ。しかし、このように「通じた」と思える状況をどうしたら英語教育の中で作り出すことができるのだろうか。このヒントとなるものは、私が小学校、中学校時代に通っていたNOVAにあった。NOVAではレッスンとは別に全ての生徒が利用できる(有料)VOICEルームというものがあった。このヴォイスルームとは何かというと、リラックスして話せる雰囲気の部屋で、その中には世界地図があったり、いろんな写真が貼られていたり、雑誌があったりと、いろいろと話題にできそうなものがあふれている。そこへ、外国人教師がひとり入ってきて、生徒と自由なトピックでおしゃべりをするというものだ。基本的にあまり人数制限はなく、生徒同士で好きなことを話すのでも大丈夫な感じなので、本当に自由にわりとナチュラルスピードで会話が弾んでいた。レッスンではないので、あまり間違いを直したり、ホワイトボードに書いたりするなどの教育的な行為は行われず、おしゃべりの時間といった感じだ。中にはずっと聞いていたり、雑誌を読んでコーヒーを飲んでいる人もいた。私は当時あまりしゃべれなかったので、主に聞いているだけだったが、それでもたまに興味のあることが話されると何とか話してみようと試みてそれができたときはとても嬉しかった。そしていつも1時間という時間の中で何回話せたかを母親に報告したりしていたものだ。
これはある意味理想的なコミュニケーションの場ではないだろうか。そしてその中で外国人なり、自分より上手な人と会話して「通じた」と実感することがより積極的なコミュニケーションへと駆り立て、より良い表現をしたり言いたいことを言うための勉強へと向かわせるのだ。
 私はこのVOICEが本当に好きだったが、残念ながら勤務先ではこのような仕組みはない。外国人と話せる機会といえば、「ロビートーク」と言われる授業と授業の合間の時間だが、それでも5~10分と短く、しかもロビーは込み合うために十分とは言えない状況だ。だから、私はVOICEのようなチャットルームを開室すれば利益にもなるし、生徒の成功体験も後押しできると思っている。何も勤務先のような英会話スクールだけではなく、学校教育の場面にもこのVOICEは取り入れることが可能だと思う。
ある授業で都内の私立高校のALTの起用方法が紹介されていて、その学校では、ALTは生徒と一対一の会話をすることが仕事だという。どのようにしているのかというと、基本的に授業は日本人の先生が通常どおり進めて、教室の外か別室でALTが待機していて、授業の中で一人ずつその部屋に行って3分間くらいALTとあるテーマについて話すということになっている。シンプルだが、生徒にとってはその時間はみっちりとインタラクションをすることができ、少しではあっても、英語が通じたという成功体験が積める良い場になっている。また、他の生徒に失敗などを見られる経験がないため、割と安心して英語を話せるそうだ。SLAの理論にもインプットよりもインタラクションの方が修得につながるということがわかっているので、是非このような取り組みがもっと広がっていくと良いと思う。私の教育実習した学校では、ALTは前に立って盛り上げたり、英作文を添削するという役割しか担っていなかったので、もっと違った使い方ができるのに・・・と思っていた。結論としては徹底的にコミュニケーションをする場を作り出し、日ごろの勉強の成果をアウトプットする場を提供する。そして、生徒の成功体験を後押しして、より英語を話そうという意思を高める必要があると思われる。