彼女がいなきゃ充実していない、一緒に群れる友達(という名の生き物)がいなきゃ楽しくない。そんなの誰が決めた。世間という圧倒的な他者が決めた(と思われている)価値観に染められてたまるものか。俺は俺にしかできない楽しみ方を見つけてやるんだ。
東京に初めて来たとき、そして恋人と別れた去年の9月、私はこう誓った。自分が信じられるのは自分自身のみで、自分自身を喜ばせることをしよう。他者や人間関係など所詮は実態の無いもので、ちょっとしたことで何ごともなかったように消えてしまう。実際に、わかりやすい例を挙げよう。今から5年前、私は誰と関わっていたか、どう生きていたのか。おそらく2009年、留学先のイギリスにいた。そこでいた友人、知り合い、恋の対象となった女性は全て今の自分の生活から消えている。この日常の中に彼ら、彼女らの航跡をたどることなどできない。しかし、ひとりだけ、当時からずっと付き合っていた、関わってきた人物がいる。 それは言わずもがな自分自身である。そればかりか、自分自身だけが、この5年間、ひとときも離れることなく、ずっと一緒なのだ。そして、これからも、恐らく多くの人と出会い、別れることもあるだろうが、自分自身とはずっと一緒なのだ。と思うと、人生とはなかなか数奇なる物語ではないか。
さて、前置きはこれくらいにして、今日は何をしたかというと、非常に充実した休日を過ごすことが出来た。まず、朝は遅い。昨日は夜2時くらいまでふざけた作品を仕上げていたので眠ったのが3時ちかくになってからである。よって9時30分に起きた後は、ビスケットだけを食べて修士論文に取り組んだ。Resultsの部分の書き直しや見直しを行っていて、これがけっこう時計の掛かる作業なのだ。しかし、大いなる発見もあった。それは、朝飯を大量に食べないほうが、朝から勉強に集中することができるということだ。ビスケットと野菜ジュース、コーヒーだけだったが、これが3時間ほどはもってくれて、美味しく昼食をいただくこともできたし、何より寝ずに3時間以上集中することが叶ったのは今後に生かしていきたい。昼はスタ丼で食べて帰った。ここからが今日の重要なところだ。実は昨日あたりから、何か外に出かけたいとか海を見たいと思っていたのだが、何せゲリラ豪雨の心配もあり、とても外出どころではなかった。今日は朝から曇っていたが、天気予報によると雨の心配もなく、3連休中最高のお出かけ日和となっていた。さて、問題は目的地だ。ただただ自転車に乗ってまわるなんてことは愚か者のする行いである。行くからには、自転車に乗ることだけが目的ではなく、その先で何かワクワクすることが待っていた方がペダルを漕ぐ足にも力が入るというものだ。 私はかなり前から、城南島公園という羽田空港の近くにある飛行機が見える公園に目をつけていた。しかし時計を見ると昼の3時をゆうにまわっている。今から出発すると、向こうで飛行機を見る時間もなくトンボ帰りになりそうだったので、せめて海が見える場所をということで芝浦ふ島あたりを目標に出発した。
出発してしばらくはいつも通りの道である。場外馬券場へ向かう道をなぞっていって途中からそれて皇居へと向かう道に入る。皇居に近づくとお堀の水がとても美しく、まるでここが都会のど真ん中であるということを一瞬忘れるが、すぐそばには高層ビルが迫っており、まるで皇居を取り囲むように密集している。しかし、今日はそのコントラストが織りなす日本の中心地が私の目的地ではない。更に先へと自転車を向ける。ここからはしかし、今まで一度も足を踏み入れたことが無い未踏の地である。まず現れたのは人が大挙して押しかける銀座の町である。都会的に洗練された町並みと人並みの中をスポーツルックで安い自転車をこぎながらかき分けて進む。幸いにしてサイクリングを楽しむ人は多いのでこの銀座にいても孤独感はない。唯一気を付けることと言えば、人とぶつからないようにすることくらいだ。
銀座を抜けると汐留の高層ビル群の足元を進むことになる。ここは上の遊歩道を歩くことは多々あったが、この一番したの一般道を進む経験は今までほとんどなく、これらを見上げながら進むのは面白い経験になった。ここからは人通りがかなり少なくなり、海が近づいてくる。まず海と緑の織りなす都会のオアシスとして知られる浜離宮を左手に見ることになる。ここは上から見るよりもはるかに立体的で圧倒的な森の存在感を私達に向けてくる。その横を流れる小川はやけにきれいで、まるで田舎にあるそれのようでこの都会に会っては意外性のある存在になっていた。その川に釣り糸を垂らしながら、「何十年も・・・」と話しているおじいさんの声が一瞬耳に入って、またはるか後方へと過ぎ去っていく。おそらくこの川の歴史でも語っているのだろうか。ここからは海の気配を左手に感じながらの走行が続く。東京にあっても海の近くとなると、都心部と比べてその雰囲気は一点する。風が海風となり、海を連想されるような文字(例えば海運とか、埠頭とか、フェリー)がところどころに並び、レインボーブリッジに向けて道路はだんだんと準備がされていく。川が海へと注ぐ橋からはちらりちらりとその青き姿をとらえることも叶うようになる。しかし、肝心の海沿いに一番近い道は通行が禁止されていて、我々一般人は行くことができない。結局私がたどり着いた先は、レインボーブリッジの麓だった。
今まで知る由もなかったのだが、実はレインボーブリッジって、歩いて渡ることができるのだ。またこれも豆知識だが、自転車を押して渡ることもできる。(ただこの場合は、逆走禁止で、渡りきらねばならない)迷った結果、せっかくここまで来たんだからということでレインボーブリッジに挑戦することにした。自転車は走行禁止なので、後輪に台車を取り付けなければ通行できない。いったいどんなところを歩くのかと思って乗り込むと、そこは車が高速で行き交う一般道の横のスペースだった。かなりのスピードでやってくる車の横をおびえながら通らなければならないので、ベストな遊歩道とは言えないものの、そこから眺める景色はやはり格別だ。左手にはお台場を眺めることができ、右手には、東京のプレビューを頂ける。何百メートルか歩くごとに写真を撮りたくなってしまうほどの豪快な眺めである。
そういえば、気付けば今日は海の日。
私は海を見たくてここへ来たのかもしれません。
お台場でぼんやりとしばらく海を眺めて、夏を思いました。
今年こそはいい夏にしてやろうとか、そんなことはもう思いません。
ただ、ただ自分なりの価値を積み上げていくだけです。
東京に初めて来たとき、そして恋人と別れた去年の9月、私はこう誓った。自分が信じられるのは自分自身のみで、自分自身を喜ばせることをしよう。他者や人間関係など所詮は実態の無いもので、ちょっとしたことで何ごともなかったように消えてしまう。実際に、わかりやすい例を挙げよう。今から5年前、私は誰と関わっていたか、どう生きていたのか。おそらく2009年、留学先のイギリスにいた。そこでいた友人、知り合い、恋の対象となった女性は全て今の自分の生活から消えている。この日常の中に彼ら、彼女らの航跡をたどることなどできない。しかし、ひとりだけ、当時からずっと付き合っていた、関わってきた人物がいる。 それは言わずもがな自分自身である。そればかりか、自分自身だけが、この5年間、ひとときも離れることなく、ずっと一緒なのだ。そして、これからも、恐らく多くの人と出会い、別れることもあるだろうが、自分自身とはずっと一緒なのだ。と思うと、人生とはなかなか数奇なる物語ではないか。
さて、前置きはこれくらいにして、今日は何をしたかというと、非常に充実した休日を過ごすことが出来た。まず、朝は遅い。昨日は夜2時くらいまでふざけた作品を仕上げていたので眠ったのが3時ちかくになってからである。よって9時30分に起きた後は、ビスケットだけを食べて修士論文に取り組んだ。Resultsの部分の書き直しや見直しを行っていて、これがけっこう時計の掛かる作業なのだ。しかし、大いなる発見もあった。それは、朝飯を大量に食べないほうが、朝から勉強に集中することができるということだ。ビスケットと野菜ジュース、コーヒーだけだったが、これが3時間ほどはもってくれて、美味しく昼食をいただくこともできたし、何より寝ずに3時間以上集中することが叶ったのは今後に生かしていきたい。昼はスタ丼で食べて帰った。ここからが今日の重要なところだ。実は昨日あたりから、何か外に出かけたいとか海を見たいと思っていたのだが、何せゲリラ豪雨の心配もあり、とても外出どころではなかった。今日は朝から曇っていたが、天気予報によると雨の心配もなく、3連休中最高のお出かけ日和となっていた。さて、問題は目的地だ。ただただ自転車に乗ってまわるなんてことは愚か者のする行いである。行くからには、自転車に乗ることだけが目的ではなく、その先で何かワクワクすることが待っていた方がペダルを漕ぐ足にも力が入るというものだ。 私はかなり前から、城南島公園という羽田空港の近くにある飛行機が見える公園に目をつけていた。しかし時計を見ると昼の3時をゆうにまわっている。今から出発すると、向こうで飛行機を見る時間もなくトンボ帰りになりそうだったので、せめて海が見える場所をということで芝浦ふ島あたりを目標に出発した。
出発してしばらくはいつも通りの道である。場外馬券場へ向かう道をなぞっていって途中からそれて皇居へと向かう道に入る。皇居に近づくとお堀の水がとても美しく、まるでここが都会のど真ん中であるということを一瞬忘れるが、すぐそばには高層ビルが迫っており、まるで皇居を取り囲むように密集している。しかし、今日はそのコントラストが織りなす日本の中心地が私の目的地ではない。更に先へと自転車を向ける。ここからはしかし、今まで一度も足を踏み入れたことが無い未踏の地である。まず現れたのは人が大挙して押しかける銀座の町である。都会的に洗練された町並みと人並みの中をスポーツルックで安い自転車をこぎながらかき分けて進む。幸いにしてサイクリングを楽しむ人は多いのでこの銀座にいても孤独感はない。唯一気を付けることと言えば、人とぶつからないようにすることくらいだ。
銀座を抜けると汐留の高層ビル群の足元を進むことになる。ここは上の遊歩道を歩くことは多々あったが、この一番したの一般道を進む経験は今までほとんどなく、これらを見上げながら進むのは面白い経験になった。ここからは人通りがかなり少なくなり、海が近づいてくる。まず海と緑の織りなす都会のオアシスとして知られる浜離宮を左手に見ることになる。ここは上から見るよりもはるかに立体的で圧倒的な森の存在感を私達に向けてくる。その横を流れる小川はやけにきれいで、まるで田舎にあるそれのようでこの都会に会っては意外性のある存在になっていた。その川に釣り糸を垂らしながら、「何十年も・・・」と話しているおじいさんの声が一瞬耳に入って、またはるか後方へと過ぎ去っていく。おそらくこの川の歴史でも語っているのだろうか。ここからは海の気配を左手に感じながらの走行が続く。東京にあっても海の近くとなると、都心部と比べてその雰囲気は一点する。風が海風となり、海を連想されるような文字(例えば海運とか、埠頭とか、フェリー)がところどころに並び、レインボーブリッジに向けて道路はだんだんと準備がされていく。川が海へと注ぐ橋からはちらりちらりとその青き姿をとらえることも叶うようになる。しかし、肝心の海沿いに一番近い道は通行が禁止されていて、我々一般人は行くことができない。結局私がたどり着いた先は、レインボーブリッジの麓だった。
今まで知る由もなかったのだが、実はレインボーブリッジって、歩いて渡ることができるのだ。またこれも豆知識だが、自転車を押して渡ることもできる。(ただこの場合は、逆走禁止で、渡りきらねばならない)迷った結果、せっかくここまで来たんだからということでレインボーブリッジに挑戦することにした。自転車は走行禁止なので、後輪に台車を取り付けなければ通行できない。いったいどんなところを歩くのかと思って乗り込むと、そこは車が高速で行き交う一般道の横のスペースだった。かなりのスピードでやってくる車の横をおびえながら通らなければならないので、ベストな遊歩道とは言えないものの、そこから眺める景色はやはり格別だ。左手にはお台場を眺めることができ、右手には、東京のプレビューを頂ける。何百メートルか歩くごとに写真を撮りたくなってしまうほどの豪快な眺めである。
そういえば、気付けば今日は海の日。
私は海を見たくてここへ来たのかもしれません。
お台場でぼんやりとしばらく海を眺めて、夏を思いました。
今年こそはいい夏にしてやろうとか、そんなことはもう思いません。
ただ、ただ自分なりの価値を積み上げていくだけです。