(前略)

もう一点特筆すべきことが会話の中にあった。

それは、女性の社会進出とメイドという仕組みの切っても切れない関係だ。

リディアが日本の女性はあまり社会進出ができておらず多くの会社では重要なポジションを任せられないのかと聞いてきたが答えは残念ながらイエスでそれは何故かというと、結婚したら子供を産んで専業主婦にならざるを得ないからだと答え、逆に私が質問することはなぜ香港では働き続けることができるのかということだった。


そこにはちゃんと理由がある。

それは、メイドを雇うことで生んだあとも昼間は自分で育てなくともメイドさんが育ててくれるからということだ。

そういえばアメリカなどでもスペイン系のベビーシッターが活躍しているという話を聞くし、女性の社会進出が進んでいる国では保育所の発達もしくはメイドが活躍しているのだ。


これがもし日本でも進めば日本の女性の社会進出は更に進んで真の男女平等が実現して労働人口の向上にもつながるだろう。

つまり、香港の人たちの良いところはある意味責任がないというところだろう。

母親としての責任というよりも、自分がやりたいことを優先させる、つまり権利を追い求めた結果メイドの使用というやり方が定着したというわけである。

この通り、権利を追い求めることは何ら悪いことではない。その結果、人口も増えて経済なども活性化するのだろう。


だが、現在の日本にこれをそのまま持ち込むことは難しいであろう

。それは日本人の英語力に限界があるからである。

香港とフィリピンがメイドを通して良い関係を築けているのは双方がネイティブスピーカーでないにも関わらず第二言語話者として流暢な英語を話すことができるからである。

その結果子育てという一筋縄ではいかないやりとりが可能になり、かつバイリンガルの育成にもつながるのだ。

つまり、人々が権利を追い求めることによって、国全体がプラスの循環を始めている。

よって何も権利を追い求めることが悪いことではなく、それをどうプラスの方向に動かしていくかということが重要なのだ。

香港はそれが最も成功している例といっても良いだろう。


ほとんど全ての人が英語をなんとか話すことができるので旅行者も苦労することが少なかった。





英語を話すことによって、人々が少しでも外に気を向けるようになり世界中の多様な考え方を肌で感じるようになったときにより良い社会が実現することは間違いないだろう。

私は一英会話講師としてその今までの古臭い慣習などをぶち破る次世代の人間の育成に努めたいと考えている。

今まで自分がおかしい、クソだと感じてきたものを教育を通して変えるのだ!そのために高校や大学で英語教師になりたいと思っている。

特に大学で英語の教師になりたいと思っているのは一番影響を与えることができるからである。

そういった考え方を取り入れて、少しでも自分の足で進もうという学生が日本に現れ始めたときに、日本は古くて動きにくくなった鎧を捨て、新たな国際社会のリーダーとして大きな一歩を踏み出すことになるだろう。


その時を私は自分が定年になる前、いやもっと長い目で死ぬ前までに見てみたいという思いがある。

もし、自分の教え子がそのような一員になってくれればそれほど嬉しいことはない。 




Asian Explorer ~Hong Kong~ より抜粋。