駿河湾 深く沈んだ 恋心

されど碧きは 今日も変わらず




私の恋心はどうやら駿河湾に沈んだようです。

しかし、不思議とそれほど絶望感や悲壮感はありません。


いや、正確には沈めたとでもいうべきなのかなあ。

とにかく、今はいろいろと考える時期です。


人は経験で成長することができると言う言葉があれば

この経験はまさに私を成長させてくれたと思います。


3年前、ボスボラス海峡に心と称した青きお守りを沈めました

それは、二度と手元には戻ってきていません。


今回は、白き分身を浪間に漂わせることにしました。

それは思い切り投げましたが、どうやら海には沈んでいないようでした。



しばらく漂えば良いんだと思います。

そうしているうちに自然と流れるべき先が見つかるでしょう。

まさにTime will tellなのです。



しかし、今回は私はもう絶望をする必要すらないのです。

それは、心強い味方ができたからです。



それは、自分が社会に対して全うすべき役割とでも言えるでしょうか。

その役割に生かされている、この道で生きたいと最近はますます確信しています。


だって、一見悲壮感に打ちひしがれたような恋心を

一瞬にして海面近くに漂う駿河湾の桜海老のように引き上げる光があるのです。


自分でもおかしいくらい笑顔を作ることができました。

24時間前に悲しいことがあったなんて、私は全て忘れていたのです。


たとえ、そうですねえ、雨が降っていたとしても、今までのように嘆く必要はありません。

むしろそれで十分と考えるべきなのでしょうね。





ただ、私の心はこれで変わってしまったわけではありません。

一度強く刻み込まれた感情というのは、なかなか消えることはなにのです。

地震の断層のように、また何か強い刺激が加わったり、時が経てば、

ふたたび激しく揺れ動くかもしれないのです。




夏の終わりに。