東京、その地に再び舞い戻ることになるとは考えてもいなかった。
自分の東京での生活は、大学4年生をもってして終わったはずだった。
そのあとも東京に来ることがあったが、そこはあくまでも一時的に訪れる場所で、自分の生活の場にはなりようもなかった。
水面下にある自分の記憶を探るような思いで街を歩いたこともあったが、それは実態の伴わぬふわふわとした営みだったに違いない。
しかし、今、実際に私はここにいる。
東京都文京区目白台に住むことに決めたのは、目白台が持つ品の良さ、静けさ、奥深さに心を打たれたからである。
早稲田大学から徒歩10分以内の距離にありながらあのごちゃごちゃした喧噪ともいえる学生街の雰囲気とは無縁で、日本女子大学を要する通りは整然とした並木道となっており、はるか向こうまで見渡すことができるのだ。
かと思えば視線を上げるとその億には新宿副都心のビル群が群れをなしている。
赤い光が規則的に点灯しているのを見ると、巨大な生命体が深い呼吸をしているかのようである。
こんな森のような目白台なのだが、意外と都心へのアクセスも良好である。
なんと池袋まで自転車で10分!
今日もAEONへ自転車でびゅーん。
なんだかイッキに都会の住人になった気分だ、岐阜では考えられない生活がここにある。
私は実は学生時代の4年間にわたって東京に住んでいたのだが、それは本物の東京ではなかったようだ。
西武線で高田馬場から20分の花小金井は、いわゆる東京都下と呼ばれる地域になっており、ベッドタウンとして効率化を求めた街構造になっていた。
西友などの大型スーパー、マクドナルドや松屋などのファーストフードチェーンが幅を利かせて昔からの東京江戸の文化は存在していなかった。
しかし、ここには今まで自分が知らなかった東京が顔をのぞかせている。
街を歩いていて気付くのはその商店の多さである。
通りを歩いていても、「え、こんなところにお店があったの?」
と思わせるくらいつつましく営業している店が多いのだ。
その中にはおしゃれなレストラン、趣がある定食や、一般庶民はなかなか入れなさそうな高級な洋服店なども含まれる。
スーパーも街のサイズに適合してかわいらしくまとまっている。
そう、それらが全部合わさってこの目白台の雰囲気を形成しているのだ。
ちかくにある日用品の店などもう60年くらいはそこで商売をしているような外観をしておりまるで昭和村などのテーマパークにあるアトラクションではないかと思わせるほどである。
ここに来てから散歩をするのがたまらなく楽しくていつも2時間ほどは何の目的もなく外出している。
今日はあてもなく自転車に乗ってさまよって東京ドームまで行ってしまった。
途中で警察官に職務質問されたり、何度か人にぶつかりそうになった。
それでもここ目白台に戻ってきたときの安心感は何だろう。
ずっと、昔からここにいるような気さえしてくる。
しかし、このある種のふわふわした気持ちが支配し、どうも非現実的なのは私がまだ真にこの街の住人になれていないからであろう。
何か月かが経ち、この街に住むのに慣れたとき、目白台が私の目にどう映るか。
それを考えると楽しみだ。
(合格発表前日)
自分の東京での生活は、大学4年生をもってして終わったはずだった。
そのあとも東京に来ることがあったが、そこはあくまでも一時的に訪れる場所で、自分の生活の場にはなりようもなかった。
水面下にある自分の記憶を探るような思いで街を歩いたこともあったが、それは実態の伴わぬふわふわとした営みだったに違いない。
しかし、今、実際に私はここにいる。
東京都文京区目白台に住むことに決めたのは、目白台が持つ品の良さ、静けさ、奥深さに心を打たれたからである。
早稲田大学から徒歩10分以内の距離にありながらあのごちゃごちゃした喧噪ともいえる学生街の雰囲気とは無縁で、日本女子大学を要する通りは整然とした並木道となっており、はるか向こうまで見渡すことができるのだ。
かと思えば視線を上げるとその億には新宿副都心のビル群が群れをなしている。
赤い光が規則的に点灯しているのを見ると、巨大な生命体が深い呼吸をしているかのようである。
こんな森のような目白台なのだが、意外と都心へのアクセスも良好である。
なんと池袋まで自転車で10分!
今日もAEONへ自転車でびゅーん。
なんだかイッキに都会の住人になった気分だ、岐阜では考えられない生活がここにある。
私は実は学生時代の4年間にわたって東京に住んでいたのだが、それは本物の東京ではなかったようだ。
西武線で高田馬場から20分の花小金井は、いわゆる東京都下と呼ばれる地域になっており、ベッドタウンとして効率化を求めた街構造になっていた。
西友などの大型スーパー、マクドナルドや松屋などのファーストフードチェーンが幅を利かせて昔からの東京江戸の文化は存在していなかった。
しかし、ここには今まで自分が知らなかった東京が顔をのぞかせている。
街を歩いていて気付くのはその商店の多さである。
通りを歩いていても、「え、こんなところにお店があったの?」
と思わせるくらいつつましく営業している店が多いのだ。
その中にはおしゃれなレストラン、趣がある定食や、一般庶民はなかなか入れなさそうな高級な洋服店なども含まれる。
スーパーも街のサイズに適合してかわいらしくまとまっている。
そう、それらが全部合わさってこの目白台の雰囲気を形成しているのだ。
ちかくにある日用品の店などもう60年くらいはそこで商売をしているような外観をしておりまるで昭和村などのテーマパークにあるアトラクションではないかと思わせるほどである。
ここに来てから散歩をするのがたまらなく楽しくていつも2時間ほどは何の目的もなく外出している。
今日はあてもなく自転車に乗ってさまよって東京ドームまで行ってしまった。
途中で警察官に職務質問されたり、何度か人にぶつかりそうになった。
それでもここ目白台に戻ってきたときの安心感は何だろう。
ずっと、昔からここにいるような気さえしてくる。
しかし、このある種のふわふわした気持ちが支配し、どうも非現実的なのは私がまだ真にこの街の住人になれていないからであろう。
何か月かが経ち、この街に住むのに慣れたとき、目白台が私の目にどう映るか。
それを考えると楽しみだ。
(合格発表前日)