ラオスに来て1週間以上が過ぎた。
会社に勤めていては、絶対に取れないような休み。
ちょっと前までは、「日本人としてハードワーキングでないことは恥だ!」
と考えていた。
しかし、ここに来てからはもうそんなことは思わない。
個々人には、個々人の価値観があり、世界はその様々な価値観により支えらている。
ここでニュージーランド人の女性(笑)とカナダ人の老人と話した。
2人とも、日本の会社員のライフスタイルのことをcrazyと言っていた。
私もそう思う。
何故、何故、一日12時間働かなければならないのか。
しかも全然楽しくなく、ストレスが多い仕事をしなければならないのか。
誰かが決めたのか、日本人はそれをやらなければならないと。
更に、この労働時間の話をすると、カナダ人のおじいさんは、
「だから日本はいろんな優れた技術を生み出してきたわけだ」
と すごく納得していた。
たしかにそれには賛成する。
20年くらい前までは、12時間以上労働なんて常識だったらしい。
逆に言うとそこまでやって優れた技術が生まれない方がおかしい。
でも、そんなに働く日本人はもっとおかしい と。
自己実現のために働くのなら納得がいく。
たくさん働いて、それが少しでも夢の実現につながるならだ。
しかし、日本人だからといって、いい大学を卒業して英語がしゃべれるからといって
それがハードワーキングを自分に強制する理由になり得るだろうか。
今まで、私はそういった小さな常識を自分に課していたのだと思う。
自分で自分の人生を決め付けて、それに苦しめられていた。
しかし、それがいかに愚かなことかがわかった。
今、ラオスでしていることと言ったら
朝、起きて散歩する。
昼までにだいたい3~4時間は勉強する。
昼食べたあとは、2~3時間読書等をして、
夕方は語学学校で英語を教えている。
英語を教えることは最高に楽しい。
そのための勉強、研究なら苦痛でない。
そして、他の旅行者と話しながら夕飯を食べて、
また2時間ほど勉強してから寝る。
完全に自由気ままに生きている。
社会人をしていた自分を思い出そうと思っても、
記憶に霧がかかっていてなかなかリアルに思い出せない。
つまり、自分にとっての暗黒時代となっているのだ。
しかし、ローマがその暗黒時代から立ち直ったように、
人生にも暗黒時代は必要なのかもしれない。
会社に勤めていては、絶対に取れないような休み。
ちょっと前までは、「日本人としてハードワーキングでないことは恥だ!」
と考えていた。
しかし、ここに来てからはもうそんなことは思わない。
個々人には、個々人の価値観があり、世界はその様々な価値観により支えらている。
ここでニュージーランド人の女性(笑)とカナダ人の老人と話した。
2人とも、日本の会社員のライフスタイルのことをcrazyと言っていた。
私もそう思う。
何故、何故、一日12時間働かなければならないのか。
しかも全然楽しくなく、ストレスが多い仕事をしなければならないのか。
誰かが決めたのか、日本人はそれをやらなければならないと。
更に、この労働時間の話をすると、カナダ人のおじいさんは、
「だから日本はいろんな優れた技術を生み出してきたわけだ」
と すごく納得していた。
たしかにそれには賛成する。
20年くらい前までは、12時間以上労働なんて常識だったらしい。
逆に言うとそこまでやって優れた技術が生まれない方がおかしい。
でも、そんなに働く日本人はもっとおかしい と。
自己実現のために働くのなら納得がいく。
たくさん働いて、それが少しでも夢の実現につながるならだ。
しかし、日本人だからといって、いい大学を卒業して英語がしゃべれるからといって
それがハードワーキングを自分に強制する理由になり得るだろうか。
今まで、私はそういった小さな常識を自分に課していたのだと思う。
自分で自分の人生を決め付けて、それに苦しめられていた。
しかし、それがいかに愚かなことかがわかった。
今、ラオスでしていることと言ったら
朝、起きて散歩する。
昼までにだいたい3~4時間は勉強する。
昼食べたあとは、2~3時間読書等をして、
夕方は語学学校で英語を教えている。
英語を教えることは最高に楽しい。
そのための勉強、研究なら苦痛でない。
そして、他の旅行者と話しながら夕飯を食べて、
また2時間ほど勉強してから寝る。
完全に自由気ままに生きている。
社会人をしていた自分を思い出そうと思っても、
記憶に霧がかかっていてなかなかリアルに思い出せない。
つまり、自分にとっての暗黒時代となっているのだ。
しかし、ローマがその暗黒時代から立ち直ったように、
人生にも暗黒時代は必要なのかもしれない。