2012年2月。
私はラオスにいた。
社会人になる前にやっておきたいことがあったからだ。
それは「英語を教えるボランティア」である。
知り合いから紹介してもらったボランティア団体に身ひとつで乗り込んだ。
そして、必死に今まで培ってきた英語の知識を駆使して、
わかり易く、楽しく英語を教えようと奮闘した。
最終日に教壇に立った時には、もう一度この場所に立つことはあるのか・・・
と深く考えさせられたのだが、果たしてその機会は一年後にやってきた。
私は自身の夢の実現のために会社を辞めて大学院を受験し、東京で仕事をすることに決めた。
しかし、それまでに時間があったのでもう一度私に英語を教えるという楽しさを教えてくれたラオスを訪問しようと思ったのだった。
そして、今、私はラオスにいる。
一年前、ここを去ったあの日には想像もできなかったことだ。
ノロウイルスにかかりヴィエンチャンの空港を去る時は、
もはやここに降り立つこともないのだろうなあと思っていた。
しかし、今、私はラオスにいる。
あの時、楽しみにしていたこととは全く別の楽しみを今の自分は持っている。
あの時の楽しみはもう返ってこない。
浮かれた、そして無条件で光に満ちた世界は未知の果てへと消えた。
しかし、今自分の前には新たな道が出来つつある。
それを、またここから自分の力で作っていくのだ。
2013年、1月。
だから、今、私はラオスにいる。
私はラオスにいた。
社会人になる前にやっておきたいことがあったからだ。
それは「英語を教えるボランティア」である。
知り合いから紹介してもらったボランティア団体に身ひとつで乗り込んだ。
そして、必死に今まで培ってきた英語の知識を駆使して、
わかり易く、楽しく英語を教えようと奮闘した。
最終日に教壇に立った時には、もう一度この場所に立つことはあるのか・・・
と深く考えさせられたのだが、果たしてその機会は一年後にやってきた。
私は自身の夢の実現のために会社を辞めて大学院を受験し、東京で仕事をすることに決めた。
しかし、それまでに時間があったのでもう一度私に英語を教えるという楽しさを教えてくれたラオスを訪問しようと思ったのだった。
そして、今、私はラオスにいる。
一年前、ここを去ったあの日には想像もできなかったことだ。
ノロウイルスにかかりヴィエンチャンの空港を去る時は、
もはやここに降り立つこともないのだろうなあと思っていた。
しかし、今、私はラオスにいる。
あの時、楽しみにしていたこととは全く別の楽しみを今の自分は持っている。
あの時の楽しみはもう返ってこない。
浮かれた、そして無条件で光に満ちた世界は未知の果てへと消えた。
しかし、今自分の前には新たな道が出来つつある。
それを、またここから自分の力で作っていくのだ。
2013年、1月。
だから、今、私はラオスにいる。