7月27日


上京、そんな言葉を口にするのはいつ以来だろうか。
私は金曜日の夜、東京へ向かう列車の中にいた。

窓から眺める景色には相変わらずぱっとしないが人情味のこもった夜景が後ろへ後ろへと飛び去っていく。何年も見慣れてきた光景だ。

思えば、新幹線に乗ることは学生時代の自分にとって区切りを意味していたのかもしれない。

新幹線なんて全国勤務のビジネスマンでない限りそんなに頻繁に使うものではない。

それなりの期間をあけて使うということは、その期間にかなりの経験を積んで地元に戻ってくることを意味していたのだ。



私の場合、東京では日々が刺激の毎日だった。


寮での友人関係とテニスサークルの活動に全てをかけていた大学一年生の時に初めて帰省した際には自分がものすごいスピードで東京から離れていることがなんだか信じられなかった。

そう、心は東京に置いてきているのに、体だけが不可逆的な力によって引き離されている、そんな体験だった。
友が言うには、私は十分東京に慣れることができたのだという、そして、東京という大都会に慣れるという体験を通してかなり成長することができたのではないかと諭してくれた。

その通りだった、帰省するということはその前の何ヶ月かを東京もしくは実家以外の場所で過ごすということになる。

その中では、自分がいまだかつてしたことのない経験、交流、人脈などがあり、若き自分はそれらに対応していこうと必死でもがいて活路を見出しているのだ。

例えば、1年生の春休み、スキー場で必死になって働いてから帰省したときは自分がひとまわり成長できた気がした。

そんな波乱に富んだ生活を送る中で、唯一時間が経っても自分が成長しても変わらない場所、それが新幹線だった。

このあいだ乗った時と見える景色、速さなどほとんどのことが同じである。


しかし、それらの景色がどう見えるのかは自分がどのような状態にあるかによって確かに変わってくるものだ。






今、新幹線の席に座って通り過ぎてく中部地方の夜景をただ見つめる自分は学生時代に比べて成長することができたのだろうか。

学生時代は日常的な縛りもなければ、やらねばならない仕事も少なかった。

そして、毎日は希望という先は見えないが確かに輝いている光の中に包まれていた。

それが今、その光は急速に輝きを失いつつあった。


何事も「先が知れてしまっている」ということは私にとって最大の絶望であり、危機なのだ。

つまり今、自分は将来が決まって安定したことで最大の危機の中を突っ走っているということになる。

そんな状況だから、学生時代に希望の光に包まれていた場所、東京に戻りたくなるのかもしれない。


前回私が東京に行ったのは5月3日。

まだ社会人になってから1ヶ月しか経っていない、フレッシュなころだった。そのころ、私もまだ希望に包まれていた。


(続く)