前日新宿に着いてから私はたくさんの写真を撮った。
夜の新宿、しかもGW真っ只中ということもあり、夜のプラットホームは遊び帰りの人々であふれていた。
そんな人々の希望や春の夜風に漂う夢を乗せて列車は彼らを家路へと運んでゆくのだ。
ホームのあちらこちらで歓声が上がったり、「じゃあな~、お疲れ~」という明らかに仕事終わりではないとわかる声色で話す男女の声がこだましている。
時刻は夜11時30分を過ぎている。
よく街にはそれぞれの顔があると言われる。
たとえば東京全体でいえばビジネス、かつ多様性の街にもなり得るだろう。
それはそもそも東京という街が個性あふれる地区の集合体だからである。
一口に東京といっても新宿、池袋、渋谷、高田馬場という比較的近い4つの街を比較するだけでもその違いを感じることができる。
渋谷は若者の町、池袋は「新しい東京と古い東京の十字路」、高田馬場は学生の街、新宿はありとあらゆる人を受け入れる大きな街といった具合である。
これがまた海のある地区ではがらっと違ったおしゃれな雰囲気を出すこともできるし、銀座のような高級地区も存在する。
しかし、これらの街はそれぞれの時間帯によっても顔色を変えるということがここでは言いたい。
新宿といえば平日は完全なビジネスの街である。
朝の通勤の時間帯ともなればサラリーマンを満載した通勤列車が波のように押し寄せ、わずかなスペースさえも見つけるのは困難である。
昼は主婦、学生などビジネスの主役とはならない人々も新宿にやってくる。
街は多少の落ち着きと色を取り戻し始めるのだ。夜ともなるとそこは完全に遊びの街に変身する。
新宿は歌舞伎町という繁華街を抱えているし、西口、東口ともに多くの飲み屋街が並び、かつおしゃれな地域も存在しており仕事おわりの人々を癒す用意もされている。
今、私が目にしているのはその中の限られた部分でしかないのだ。
しかし、私にはこの光景のひとつひとつが全て貴重である。
この時間になっても5~10分間隔でけたたましく到着する山手線の車両、行き先表示を告げる電光掲示板、各乗り換え案内の表示・・・ 岐阜大垣という田舎に来て初めて知る都会の持つ魅力、人間は失くしたときに初めてそのありがたさを実感するという言葉があるが、今の私がまさにそれだった。
その気持ちを証明するかのように気付くと私はカメラを手にしてまわりの景色がさも貴重であるかのように写真を撮っていた。
山手線の車両にシャッターを向ける、しかし人々はそんな私さえも変な目で見ずに受け入れてくれるのだ。
エスカレーターを使って南口のところまで上がるとそこにはあまり人がいなかった。
いや、そう感じるだけなのかもしれない。
私が知っている新宿南口は朝や夕方の顔である。
思えば新宿に宿泊していない限りこの時間に駅の南口から出て行くこともないのだ。
人々はまばらになっていてそれは大きなコンサートやスポーツの試合が終わって落ち着いたどこかの会場のようだった。
そこを暖かい春の夜風が吹きぬけていく。
キオスクのシャッターは閉まり、その横をカップルが寄り添って歩いていく。
かつて自分が見ていたもの、しかし見えていなかったもの。
その一方で照明だけは無条件で人々を照らし出す、新宿駅のコンコースはこれでもかというほど明るい、しかし刺すような眩しさではない照明が灯っていて乗り換え案内の路線表示はとてもカラフルに彩られている。
改札付近まで進むと今度は30人ほどの団体が2つほどたむろしているのに出遭った。
彼らは学生もしくは新社会人の同窓会という雰囲気で、大きな声で騒いでその別れを惜しんでいた。
その横を都会的な衣装に身を包んだ若い女性3人ほどが颯爽と通り過ぎていく。
かすかに開けた空間には新宿の高層ビルがぼんやりと浮かんでいる。
都会だなああと私は改めて感じた、私が東京を去って1ヶ月、私は東京を見ていなかったが確かにそれはそこに存在していた。
南口を出てもまだかなりの人が歩いている、12時というとまだ夜の入り口に入ったばかりといったところだろうか。
この時間ともなると若いカップル、もしくは若干の怪しげな雰囲気を持った1人の人が目立つようになった。歩道の端には赤い暖簾をなびかせたラーメン屋の屋台が店を開いている。
「誰がこんなところで食べるのだろうか」と思いきやそこで食事をしている人もいる。
近代的な東京にあってこのような屋台は異質だが、逆にその異質さが人々をひきつけているのではないだろうかと思う。
このような店で食べているのは若いカップルもしくは中年以降のおじさんたちである。
多分東京がまだ高度経済成長の階段を登っていた頃にはこういった店が数多く存在していたに違いない。
彼らはその時代に青春を過ごし、今こういった貴重な店を懐かしんでいるのだろう。
これも新宿の夜の顔である。 更に歩いていくとある一角から次々と高速バスが出発していくのが見えた。
東京で遊んだ人、恋人と再会を果たしたがすぐまた離れ離れになる人々を満載して今日の日本全国へと奔走する高速バス。
危険危険といわれる今日この頃ではあるが、やはりロマンを感じずにはいられない。
私は12時15分くらいに新宿ワシントンホテルに到着した、今日は街を楽しんだ1日だった。



夜の新宿、しかもGW真っ只中ということもあり、夜のプラットホームは遊び帰りの人々であふれていた。
そんな人々の希望や春の夜風に漂う夢を乗せて列車は彼らを家路へと運んでゆくのだ。
ホームのあちらこちらで歓声が上がったり、「じゃあな~、お疲れ~」という明らかに仕事終わりではないとわかる声色で話す男女の声がこだましている。
時刻は夜11時30分を過ぎている。
よく街にはそれぞれの顔があると言われる。
たとえば東京全体でいえばビジネス、かつ多様性の街にもなり得るだろう。
それはそもそも東京という街が個性あふれる地区の集合体だからである。
一口に東京といっても新宿、池袋、渋谷、高田馬場という比較的近い4つの街を比較するだけでもその違いを感じることができる。
渋谷は若者の町、池袋は「新しい東京と古い東京の十字路」、高田馬場は学生の街、新宿はありとあらゆる人を受け入れる大きな街といった具合である。
これがまた海のある地区ではがらっと違ったおしゃれな雰囲気を出すこともできるし、銀座のような高級地区も存在する。
しかし、これらの街はそれぞれの時間帯によっても顔色を変えるということがここでは言いたい。
新宿といえば平日は完全なビジネスの街である。
朝の通勤の時間帯ともなればサラリーマンを満載した通勤列車が波のように押し寄せ、わずかなスペースさえも見つけるのは困難である。
昼は主婦、学生などビジネスの主役とはならない人々も新宿にやってくる。
街は多少の落ち着きと色を取り戻し始めるのだ。夜ともなるとそこは完全に遊びの街に変身する。
新宿は歌舞伎町という繁華街を抱えているし、西口、東口ともに多くの飲み屋街が並び、かつおしゃれな地域も存在しており仕事おわりの人々を癒す用意もされている。
今、私が目にしているのはその中の限られた部分でしかないのだ。
しかし、私にはこの光景のひとつひとつが全て貴重である。
この時間になっても5~10分間隔でけたたましく到着する山手線の車両、行き先表示を告げる電光掲示板、各乗り換え案内の表示・・・ 岐阜大垣という田舎に来て初めて知る都会の持つ魅力、人間は失くしたときに初めてそのありがたさを実感するという言葉があるが、今の私がまさにそれだった。
その気持ちを証明するかのように気付くと私はカメラを手にしてまわりの景色がさも貴重であるかのように写真を撮っていた。
山手線の車両にシャッターを向ける、しかし人々はそんな私さえも変な目で見ずに受け入れてくれるのだ。
エスカレーターを使って南口のところまで上がるとそこにはあまり人がいなかった。
いや、そう感じるだけなのかもしれない。
私が知っている新宿南口は朝や夕方の顔である。
思えば新宿に宿泊していない限りこの時間に駅の南口から出て行くこともないのだ。
人々はまばらになっていてそれは大きなコンサートやスポーツの試合が終わって落ち着いたどこかの会場のようだった。
そこを暖かい春の夜風が吹きぬけていく。
キオスクのシャッターは閉まり、その横をカップルが寄り添って歩いていく。
かつて自分が見ていたもの、しかし見えていなかったもの。
その一方で照明だけは無条件で人々を照らし出す、新宿駅のコンコースはこれでもかというほど明るい、しかし刺すような眩しさではない照明が灯っていて乗り換え案内の路線表示はとてもカラフルに彩られている。
改札付近まで進むと今度は30人ほどの団体が2つほどたむろしているのに出遭った。
彼らは学生もしくは新社会人の同窓会という雰囲気で、大きな声で騒いでその別れを惜しんでいた。
その横を都会的な衣装に身を包んだ若い女性3人ほどが颯爽と通り過ぎていく。
かすかに開けた空間には新宿の高層ビルがぼんやりと浮かんでいる。
都会だなああと私は改めて感じた、私が東京を去って1ヶ月、私は東京を見ていなかったが確かにそれはそこに存在していた。
南口を出てもまだかなりの人が歩いている、12時というとまだ夜の入り口に入ったばかりといったところだろうか。
この時間ともなると若いカップル、もしくは若干の怪しげな雰囲気を持った1人の人が目立つようになった。歩道の端には赤い暖簾をなびかせたラーメン屋の屋台が店を開いている。
「誰がこんなところで食べるのだろうか」と思いきやそこで食事をしている人もいる。
近代的な東京にあってこのような屋台は異質だが、逆にその異質さが人々をひきつけているのではないだろうかと思う。
このような店で食べているのは若いカップルもしくは中年以降のおじさんたちである。
多分東京がまだ高度経済成長の階段を登っていた頃にはこういった店が数多く存在していたに違いない。
彼らはその時代に青春を過ごし、今こういった貴重な店を懐かしんでいるのだろう。
これも新宿の夜の顔である。 更に歩いていくとある一角から次々と高速バスが出発していくのが見えた。
東京で遊んだ人、恋人と再会を果たしたがすぐまた離れ離れになる人々を満載して今日の日本全国へと奔走する高速バス。
危険危険といわれる今日この頃ではあるが、やはりロマンを感じずにはいられない。
私は12時15分くらいに新宿ワシントンホテルに到着した、今日は街を楽しんだ1日だった。


