そういえば最近講談社のオンラインマガジン、現代ビジネスの記事で「どうした早稲田」という記事があった。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/31620
この記事によると最近の早稲田大学の学生はおとなしくなってしまったというのだ。
昔は授業をさぼって麻雀したり、酒を飲んで騒いでいたのだが、最近早稲田からそういったパワーが奪われつつあるという記事であった。私はそれは見当違いも甚だしいと思う。
だいたい、麻雀は他に楽しみがなかった過去の遺物と化していると思う。私は麻雀を本格的にやったことがないのでどうこう言える立場にあるかは微妙であるが、だいたい麻雀をやっている時、人間は一切生産的になれない。
ただのゲームだからである。そこから学ぶもの、得るものはないと思う。更に金を賭けたりいかさまなども起こる可能性もあり、ともすると友人関係さえも崩しかねないと思う。
もっとも、まだインターネットやDVD、更には海外旅行やボランティアなどが一般的でなかった時代にはこうした楽しみも必要だったのかもしれない。
だから、麻雀の店が激減したのは、早稲田生に元気がなくなったり、早稲田らしさがなくなったのではなくて、ただ時代の変化とともに必要なくなっただけなのである。それを早稲田に対する批判めいた文章と一緒に書いてまるで麻雀を正当化するような文章を書いた講談社を私は強く批判する。
一方で、酒という点に関しては飲みは今の学生においても健在だと思う。ただ、昔のように毎日飲むというようなことがなくなっただけなのだと思う。
これは一般常識であるが、酒を常習的に飲むことはもちろん体に悪いし、サイフにも悪い。毎日酒ばかり飲んでいて「金がない」と苦学生を演じるのは愚の骨頂である。
そして講談社の更に悪いところはこの酒のことさえも早稲田らしさがなくなったと批判めいて書いてあることだ。酒をあまり飲まなくなった、それは素晴らしいことではないか。その時間を勉強、読書、スポーツ、アルバイトなどの有意義な活動に使うことができるようになったことを意味するのだから、全く批判される理由などない。
むしろ酒をよく飲むことが早稲田らしいという主張にも問題があると考える。酒をよく飲む飲まないというのは別に大学の名前で決まるわけではないと思っている。
むしろそれは個人差である。早稲田のような大学でなくても酒を好んで飲む連中はたくさんいる。むしろバカな大学の方が酒を飲んでいるのではないだろうか。
一方で酒を飲まなくなったという主張自体も見当違いに聞こえる。私の知る限りテニスサークルの連中はよく酒を飲む。まんぷく亭などの飲み会場で大騒ぎして高田馬場のロータリーでのたむろして騒いでいることがある。
その中にはロータリーの銅像に登って叫んだりするいわゆる「無茶なこと」をする連中もいる。もちろん私はそういったことが早稲田らしいとは全く思っていないし、そういったことは愚かなことだと思っている。
更には私の友人でも例えばAなどはよく飲み会を主催しているようだ。商社に内定している彼はよく私を飲みに誘ってくれるし、ツイッターでの報告などを見ても飲みに関するものが多く見られる。他にもこんな友人を数人知っているので仮にその記事を書いた人の意見を「早稲田らしさ」として受け入れるにしても早稲田らしさが消えているという主張は正しくないように思える。
一方で早稲田らしさは形を変えて受け継がれていると思う。Aに代表されるように、早稲田の学生は他の大学の学生に比べてチャレンジ精神が旺盛だと思っている
おそらく海外の大学に留学している学生の年間数は日本一だし、インターンシップやボランティアにも積極的に参加してるのが早稲田生である。また、他にも早稲田にはおぼっちゃんが少ないと言われるようにたいていの学生がアルバイトをしている。
アルバイトは社会に出る前の最高の社会勉強の手段である。だから早稲田生は勉強だけでなくて、こういった大学外の勉強にも力を入れているという意味でチャレンジ精神が旺盛なのだ。
そしてまた議論をもとに戻してしまうのだが、私は「OO大学はXXなところ」と大学名だけでその大学や大学に属している人々の特徴を判断する時代は終わったのだと思う。
昔は確か学生が情報取集する場所や影響を受ける場所は大学が中心であった。昔から受け継がれてきた校風があり、先輩達もみなそんな校風に染まっているだから、新入生もその影響を受けて同じようになっていくということが昔は普通だったようだ。
しかし、現代は状況は全く変わってしまった。我々個人が情報を集める場所は今やインターネットが主になった。そして、活動の範囲も広くなったと思う。大学のサークル意外にも気軽にいろんなところでアルバイトができるよになり、ボランティア団体なども世代を超えて広がりつつある
。更に一部の学生は海外旅行や海外留学を経験してそういったものからも大きく影響を受けるようになった。
また、同じ早稲田大学といっても学部ごとにカラーは全く違ってくる。早稲田大学で例を取ると法学部と国際教養学部では他の大学ではないかというほどに差があると思う。
法学部は留学などしないし、割と「根拠がOOだから、・・・である」といった理論的な会話を得意とするし、将来目指す道も弁護士、公務員、銀行員など国内が中心である。
一方国際教養学部は外国人留学生をはじめとしていろんなバックグラウンドを持つ学生が集まり、しかも日本人には1年間の留学が義務付けられている。
だから、考え方も人それぞれであり、理論ではなく、経験や感覚に基づいて話すことが多いように思える。将来もグローバルに活躍できる商社、メーカーが主な就職先になる。
これがもっと学部の数が増えたら統一した校風というのはますます薄れていくと思う。たしかに私個人として早稲田のばんからな校風が嫌いではない。
それは熱い、ガッツがある、個性的という臙脂色に凝縮されたあのスピリットである。しかし、それは全ての学生にあてはまるわけではもちろんないし、そうあるべきだとも思っていない。
現に私の寮に住む友人のKは挑戦という言葉からほど遠く、いつも部屋でゲームをしたり、麻雀をしたりしている。それに加えてアルバイトもしていないし、海外旅行にも消極的である。
しかし、彼は温厚であることから後輩にも慕われており、友人も多い。しかし、このように全く違う価値観を持った私たちは同じ早稲田大学に属しているのだ。
だから現代ビジネスに載せられたあの記事はナンセンスであり、早稲田をバカにしているとしか思えない。
まあ、一つ言えるのはあの記事に対してこんなに感情的に批判できる私は早稲田大学が大好きだということだ。