これは、一個人の留学体験記だ。私が留学先で見たこと、感じたことをありのままに記しただけだ。よって留学を志すみなさんには、他の人が書いた体験記、先輩の体験談などに触れ、自分なりの視点で留学というものを捉えて欲しい。
2009年8月。ロンドンヒースロー空港に降り立った私は希望に満ちあふれていた。ここから新しい生活、新しい自分が始まるんだと。自分を変える大きなチャンスがやってきてそれを簡単に手に入れられると信じていた。
そもそも私が留学前に思い描いていた留学生活とは、誰が聞いても理想的と言えるもので典型的な留学斡旋団体のホームページに乗っているようなものである。朝の授業では国際色豊かな学生達とディスカッションをし、そのままフレンドリーに外でランチ。午後の大人数講義は留学先で出会った金髪の彼女の隣でノートを取り、夕方になるとスポーツで汗を流す。寮に帰ると家族のようなフラットメイト(寮生)に迎えられ一緒に夕食を作ってその後は飲みながら夜がふけていく・・・
ありえなかった、これを何もせずに手に入れられると思っていた自分は間違っていた。
では、どのような生活が私を待っていたのか軽く触れよう。
一言でいえば暇だった。
授業は週6~7コマ程度、その授業も私が想像していたようなフレンドリーな雰囲気はなく、授業が終わるとみんなそそくさと帰ってしまい取りつく島もなかった。寮に帰ったら帰ったで、イギリス人の学生は固まっていて私の理解のできない速いイギリス英語を喋った。
あまり相手にしてくれなく、夜になると彼らだけでクラブなどへ消えていった。ノリ合わずに行ったとしても楽しめなかった。
サークルもあるのだが、日本と全く違ったもので学生同士のつながりは薄く、時間になるとこれもまたそそくさと帰ってしまった。気づいたら私は一人だった。友達はいなかった。
それと同時に自信もなくなり、自分から行動できずに2カ月が過ぎた。
留学に絶望していた時、一つ気付いた。ここでの生活は日本のそれと全く異なる環境だ。絶対にくじるものか、環境が変われば自分も変わらなければならないと。
何てことはない。日本ではバイト、サークル、授業など自分から動かなくても色々と与えられそのレールに乗っていけばそこそこ充実できるのだ。じゃあどうすればいいのか。自分からこの流れを作ればいいと気付いた。
そう、この状況は角度を変えて見れば暇というのは自分の時間が多いということで、主体性を持ってチャレンジできる絶好のチャンスだったのだ。それから私はとにかく自分から行動した。3つ具体例を挙げよう。1つがLanguage Exchange だ。所属していたJapan Societyに提案し、日本に興味のある学生に日本の文化や日本語を教える活動を始めた。半ば強制的に現地学生と触れあう環境を作ることで文化の壁を越えて相手のことを理解する魅力を感じた。2つ目はスポーツ活動だ。私は3つほどスポーツサークルに所属してそこで声をかけた友達に個人的な練習を頼んだ。これは正解だった。大人数だとすぐに帰ってしまう学生も、少人数だと終わった後に食事をしたりパブでサッカーを観ながらお酒を飲んだりと、学生らしい付き合いができた。ここで出来た友達はとても仲良くなり、一緒に料理を作ったり旅行に行ったりして親友と呼べる関係にもなった。3つ目は勉強だ。とにかく私の当面の目標は英語力の向上で、ディスカッションなどの能力を身につけたいと思っていた。そこで同じような目標を持った留学生を集め、早稲田で使っていた英語の教材で少人数ディスカッションンなども主催した。
このような地道な努力を重ねるにつれて私の周りにはいつの間にか友達の輪ができていた。
暇だと嘆く日々から、いい意味で忙しいと思える毎日を送っていた。
そして迎えた2010年7月23日、とうとう日本へ帰る日がやってきた。特に仲の良かった友達二人が空港まで見送りに来てくれた。ゲートをくぐる時泣きながら友人と抱き合っている自分がいた。この瞬間私は悲しさと同時に留学の成功を確信した。別れるのが辛いということは、それだけ充実していたということなのだ。
私が語れる経験はスペースの関係でこれくらいだ。どうだったろうか、みなさんがイメージする留学生活だったであろうか。留学生活は甘いものではない、何もしないでいると1年は矢のよう速さで過ぎていく。しかし、自分から主体的に行動した時に得られるものは無限大である。私は留学を通して自分を変えることが出来たと確信している。そこで得た主体性は日本へ帰って半年経った今でも自分の中のDNAの一部となり生き続けている。今の生活が充実しているのも留学のおかげだとさえ考えている。
これを読んで少しでも留学したいと思った学生は留学センターの扉を叩いてみるとよい、世界への門戸は開かれている。
2009年8月。ロンドンヒースロー空港に降り立った私は希望に満ちあふれていた。ここから新しい生活、新しい自分が始まるんだと。自分を変える大きなチャンスがやってきてそれを簡単に手に入れられると信じていた。
そもそも私が留学前に思い描いていた留学生活とは、誰が聞いても理想的と言えるもので典型的な留学斡旋団体のホームページに乗っているようなものである。朝の授業では国際色豊かな学生達とディスカッションをし、そのままフレンドリーに外でランチ。午後の大人数講義は留学先で出会った金髪の彼女の隣でノートを取り、夕方になるとスポーツで汗を流す。寮に帰ると家族のようなフラットメイト(寮生)に迎えられ一緒に夕食を作ってその後は飲みながら夜がふけていく・・・
ありえなかった、これを何もせずに手に入れられると思っていた自分は間違っていた。
では、どのような生活が私を待っていたのか軽く触れよう。
一言でいえば暇だった。
授業は週6~7コマ程度、その授業も私が想像していたようなフレンドリーな雰囲気はなく、授業が終わるとみんなそそくさと帰ってしまい取りつく島もなかった。寮に帰ったら帰ったで、イギリス人の学生は固まっていて私の理解のできない速いイギリス英語を喋った。
あまり相手にしてくれなく、夜になると彼らだけでクラブなどへ消えていった。ノリ合わずに行ったとしても楽しめなかった。
サークルもあるのだが、日本と全く違ったもので学生同士のつながりは薄く、時間になるとこれもまたそそくさと帰ってしまった。気づいたら私は一人だった。友達はいなかった。
それと同時に自信もなくなり、自分から行動できずに2カ月が過ぎた。
留学に絶望していた時、一つ気付いた。ここでの生活は日本のそれと全く異なる環境だ。絶対にくじるものか、環境が変われば自分も変わらなければならないと。
何てことはない。日本ではバイト、サークル、授業など自分から動かなくても色々と与えられそのレールに乗っていけばそこそこ充実できるのだ。じゃあどうすればいいのか。自分からこの流れを作ればいいと気付いた。
そう、この状況は角度を変えて見れば暇というのは自分の時間が多いということで、主体性を持ってチャレンジできる絶好のチャンスだったのだ。それから私はとにかく自分から行動した。3つ具体例を挙げよう。1つがLanguage Exchange だ。所属していたJapan Societyに提案し、日本に興味のある学生に日本の文化や日本語を教える活動を始めた。半ば強制的に現地学生と触れあう環境を作ることで文化の壁を越えて相手のことを理解する魅力を感じた。2つ目はスポーツ活動だ。私は3つほどスポーツサークルに所属してそこで声をかけた友達に個人的な練習を頼んだ。これは正解だった。大人数だとすぐに帰ってしまう学生も、少人数だと終わった後に食事をしたりパブでサッカーを観ながらお酒を飲んだりと、学生らしい付き合いができた。ここで出来た友達はとても仲良くなり、一緒に料理を作ったり旅行に行ったりして親友と呼べる関係にもなった。3つ目は勉強だ。とにかく私の当面の目標は英語力の向上で、ディスカッションなどの能力を身につけたいと思っていた。そこで同じような目標を持った留学生を集め、早稲田で使っていた英語の教材で少人数ディスカッションンなども主催した。
このような地道な努力を重ねるにつれて私の周りにはいつの間にか友達の輪ができていた。
暇だと嘆く日々から、いい意味で忙しいと思える毎日を送っていた。
そして迎えた2010年7月23日、とうとう日本へ帰る日がやってきた。特に仲の良かった友達二人が空港まで見送りに来てくれた。ゲートをくぐる時泣きながら友人と抱き合っている自分がいた。この瞬間私は悲しさと同時に留学の成功を確信した。別れるのが辛いということは、それだけ充実していたということなのだ。
私が語れる経験はスペースの関係でこれくらいだ。どうだったろうか、みなさんがイメージする留学生活だったであろうか。留学生活は甘いものではない、何もしないでいると1年は矢のよう速さで過ぎていく。しかし、自分から主体的に行動した時に得られるものは無限大である。私は留学を通して自分を変えることが出来たと確信している。そこで得た主体性は日本へ帰って半年経った今でも自分の中のDNAの一部となり生き続けている。今の生活が充実しているのも留学のおかげだとさえ考えている。
これを読んで少しでも留学したいと思った学生は留学センターの扉を叩いてみるとよい、世界への門戸は開かれている。