ことばをしらないのはとても残念なことだとおもう。
なにかを伝えるうえでも、反芻するうえでも。
自分のなかでなにかをかんがえるとき、私のあたまのなかでは文章はでてこない。
ほかのひとはどうかしらないけど。
今度きいてみよう。
映像とも画像ともちがうような、記号化されたデータのようなものなのか、いまいちつかみきれないけれど、
ことばをしらないとそのデータみたいなものや、映像みたいなものがひどくモノトーンな世界になる気がする。
思考の深さなんて、はかりようもくらべようもないけれど、なんとなくそんな気がする。
だからすてきなことばを話すひとがすき。
すてきな文章をかくひとがすき。
特別なことばじゃなくても、なぜか惹かれる瞬間てぜったいにある。
死ぬまでに吐けることばは限られている。
すてきなことばも、いやなことばも。
いやなことばすら、すてきに吐く。
きっと忘れるから、きっと消えるから。
紙のうえじゃなくても、大気圏にむかってでも、吐きつづけることは価値のあることだとおもう。