親孝行したい親不孝者のブログ -2ページ目

親孝行したい親不孝者のブログ

家族と仲良く生きて行ければどんなに良いだろう。
でも現実はホームドラマより奇なり。
複雑な事情を抱えてる家族だってたくさいんいる。
それでも家族は家族だから、僕らはなんとか繋がって、いびつな形の愛を必死に受け止めながら、共に生きる道を探している。

なぜ人は争うのか。
友人同士、上司と後輩、地域と地域、国と国、どんなものの間にでも、そこに人がいる限り争いの火種はある。
争うことが、すべて悪いこととは思わない。
でも、争い始める前に一つだけ、自分に、あるいは相手に、きいてみてほしい。
「今争うのは、相手が自分を害するという思いに駆られてではないか」
誰かを守るため、大義のため、そういう思いも少なからずあるだろう。
でもそれらの“正当な”理由に、“自分を傷つけられる前に、相手を亡き者にしてしまえ(あるいは支配してしまえ)”という感情が隠されていないか、よくよく見定めてみて欲しい。
私も、目の前の相手にいらだつことはよくある。語気が荒くなることもある。手をあげたくなることもある。
でもある時ふと思った。「なんで私はこんなにもイライラしているのだろう」と。
突き詰めていくと、苛立つときはだいたい、相手のせいで自分が損をしているような気持ちになっていることが多いことに気づいた。すなわち自分を責められていると感じたり、仕事が遅れてしまうというような具合に。
そして次に、「ではホントに私は損をしているのか、傷つけられているのか」と考えてみると、実はそんなに損をしていることはないのではないかと気づいた。
逆にプラスの効果がもたらされていることもあるということも。
そういう見方が出来るようになってから、苛立つことはぐんと少なくなった。
損をしているという思い込み。
自分が害を受けるという思い込みは、漠然とした恐怖となって、人を争いに駆り立てる。
一方で人は「こういう見方もできるんじゃないか」と視点を変えることで、違った面から良いものを見つけることもできる。

負の感情にとらわれていないか、恐怖の奴隷になってないか。

一分でいい。争う前に、考えることができたら。
お互い、無用に傷つくことを避けられるかもしれない。