【ソクラテス】

・複雑さに敬意も払いもせず、少なくとも壺造りほどに細かく考えることもなく、自分の意見を作り上げた人たちの自信に、脅かされてはいけない。「言うまでもない」とか「自然だ」とか大声で言われることが、そのとおりであることは、めったにない、と。

・ある意見が正しいかどうかは、大多数の人に支持されているからとか、長いあいだ重要な人物たちによって信じられてきたからとか、そんなことでは決められない。正しい意見とは、合理的に反駁することが不可能なものである。ある意見は論破できなければ正しい。もし論破できるなら、どんなに多くの人が信じていようとも、どんなに偉い人が信じていようとも、その意見は間違いなく誤りであって、疑った私たちのほうが正しいのだ。

『ソクラテスの思考方法』
① 自信たっぷりに常識だと述べられた意見を据える。 
(例)勇敢に行動することは、戦場で退却しないことを含んでいる。
② そのことを主張する人の自信は脇において、しばらくその意見は誤りだと想像してみる。その意見が正しくない状況とか前後関係がないかどうか探してみる。
(例)勇敢でありながら戦場で退却することは、決してありえないことか?
③ 例外が見つかったら、その定義は誤りか、少なくとも不正確にちがいない。
(例)勇敢であっても、退却することはありうる。
④最初の意見は、例外を考慮に入れる含みを持たなければならぬ。
(例)勇敢に行動することには、戦場で進軍することと退却することとの両方を含むことが出来る。
⑤改善された意見にも、さらに例外が見つかった場合、同じ手順を繰り返すべきだ。真実は(人間に真実なるものを手に入れられるかぎりにおいてだが)論破することが不可能に思える意見にある。そうではない例を見つけることによって、人は真実が何であるか、その理解にさらに近づくのである。

・批判の価値は、批判者の思考の過程しだいによるので、批判者の数や社会的地位によるわけではない。

・ソクラテスは二つの強力な、誤った信念から抜け出す道を、私たちに指し示す―公衆の意見の指示するところには、常に耳を傾けるべきだという誤った信念からと、絶対に耳を傾けてはいけないという誤った信念からと。

【エピクロス】

・肉体の病を追い払わないようなら、医術は何の役にも立たない。それと同じように、魂の苦しみを追い払わないようなら、哲学は無用だ。

・人が全生涯を幸福のうちに生きる助けとして、知恵が与えてくれるものすべての中でも、抜きん出て最大のものは、友情を自分のものにすることである。何かを食べたり飲んだりする前に、慎重に考えるべきことがある。何を食べたり飲んだりするかよりも、誰と食べたり飲んだりするかということだ―友達もいない食事なんて、ライオンか狼の人生ではないか。

・本当の友人は、私たちを世間の評判なんかで評価しない。友人たちが関心を持っているのは、私たちの核となる自我なのだから。理想的な両親と同じに、友人たちの私たちへの愛情は、見てくれや社会的地位なんかに関係なく存続する。だからこそ私たちは、何の気がかりもなく古い服を着ていられるし、今年はほとんど稼げなかったなどとも打ち明けられるのだ。

・我々は日々の生活と政治の牢獄から、我が身を解き放たればならなぬ。

・いざやってきた時には何ものでもないもの(死)について、それがやって来るときを予期して思い悩むのは無駄なことだ。 「メノイケウスへの手紙」

・富はもちろん、誰も惨めにはしそうにない。―もし、金持ちであっても、友人も自由も人生についての分析もない人生では、私たちは絶対に本当の意味で幸福にはなれない。その一方、もし友人も自由も人生の分析もあって、富を摑みそこねた場合、私たちは絶対に不幸にならない

・欲求について見れば,<A 自然で必要なもの>がある。他に<B 自然だが不必要なもの>がある。そしてまた、<C 自然でもなければ・必要でもない欲求>もある。
 <A 自然で必要なもの>・・・友人・自由・考えること(不安を除くために、不安の主な原因である「死、病気、貧乏、迷信」について)・食べ物、雨露をしのぐ屋根・着る物。
 <B 自然だが不必要なもの>・・・良い家・専用の風呂・パーティー・召使い・肉・魚。
 <C 自然でもなければ・必要でもないもの>・・・名声・権力

・少しのもので満足できない人、そんな人が満足できるものなど存在しない。 (断片六九)

・それではなぜ、高価な物品は目を見張るほどの歓びをもたらすことはできないのに、私たちはこんなにも強力に高価な物品に引き寄せられるのだろう?―偏頭痛に悩む人が、自分の頭蓋骨の横にドリルで穴を開けるのに似た誤りのせいである。高価な物品には自分でもよく理解していない欲求に対する、もっともな解決策のように思わせるところがある。

『幸福になるための、獲得目標リスト』
①小さな家、兎小屋ふうであっても。
②友情
③上役や親分風を吹かす連中、そして足の引っ張り合いや競争を避ける。
④考えること
⑤ジョヴァンニ・ベルリーニの描く「聖母」に生き写しの相手。
 幸福を手に入れるのは、確かに難しいかもしれないが、障害がなによりもまず経済的なものであるなどということはない

【セネカ】
・私たちは求めるものが得られないといつでも怒りに圧倒されるわけではない。自分が手に入れる資格があると信じているものが得られないときにだけ、怒るのである。最大の怒りが噴出するのは自分が存在の大原則と感じている感覚を踏みにじられたときだ。

・悪人が悪事を働くからといって、驚くほどのことだろうか?敵が危害を加えたからって、友人が苛々させるからって、息子が失敗をやらかしたからって、召使いが不作法だからって、前例がないほどの出来事だろうか?

・運命の女神があえてやらないことなど何一つない。 (モラル書簡)

・人間とは一体なんでしょう?ほんの少し揺さぶっても、ごく軽く投げても、壊れてしまう容れ物です。・・・弱くて脆い肉体です。むきだしで、自然の状態では身を護るすべもなく、他の人間の助けに頼るしかなくて、それなのに運命の女神のあらゆる悪意にさらされている存在なのです。

・あなたはおっしゃる。―あんなことが起きるとは思ってもいませんでした、と。起きる可能性があることはご存知で、すでに起きた例まで見てらして、それでも起きないようなことが、何事であれ、あるとお思いなんですか?

・セネカが信じる精神像・・・議論とはうなぎのようなものなのだ―どんなに論理的であっても、イメージと文体で固定されないかぎり、精神の弱い把握力ではするりと滑り落ちてしまう。私たちが比喩を必要とするのは、見ることも出来ず、触れることも出来ないものへと感覚を誘導するためで、それ抜きでは忘れられてしまうのである。

・外はすべて狂気の沙汰の騒ぎでもかまいません。心の中に動揺一つない限り。 (モラル書簡 五六)

・自然の法則に、私たちの魂は順応しなければならない。法則に従い、服従しなければならないのです。―あなたが変更させることが出来ないものに対しては、じっと耐え忍ぶのが一番いい。

【モンテーニュ】

・王も哲学者も糞をたれる、貴婦人とてしかり。 (エセー第三巻五章)

・私はひそかに、最も思慮深い男性が性的な体位を取っているところを思い浮かべてみる。すると、こんな男が思慮深いだの賢明だなどと言い張るなんて、何て厚かましいんだろうと思ってしまう。

・異なる種類の存在の基準に合わせて人間の義務を定めるのは、大変に賢いやり方とは言えない。

・どの国にも、他の国では知られていないだけでなく、野蛮で驚きの種になるような習慣や行動がいくらでもある。

・かつて存在した最も賢い人は、何を知っているかと問われて答えた―わたしが知っているただ一つのこと、それは私は何も知らないということだ、と。

・我々はすぐ訊ねる、「彼、ギリシア語かラテン語を知ってるの?」「彼、詩も散文も書けるの?」と。しかし、一番問題になる質問は最後にまわす、「彼、前よりいい人に、賢い人になったの?」、我々は誰が最も多く理解しているかではなく、誰が最も良く理解しているかを問うべきなのだ。我々はただ記憶を満たすために頑張り、理解力も正義不正義の感覚も、空っぽのまま放っておく。

・私が本に求めるのは、自分自身に愉しみと品のいい暇つぶしを与えること、それですべてだ・・・読書をしていて難しい箇所に差し掛かると、爪を噛んで考えるなんて絶対にしない。一度か二度、挑戦してみたあとで、ほったらかす・・・ある本に飽きたら、次の本を手に取るだけだ。

・街角や市場なら場違いに聞こえる言葉を、哲学者が使う理由はない。

・我々は何を判断するにも、博識で膨れ上がっていないものは平凡でくだらないとみなし、これ見よがしに見せびらかされないと、その豊かさにも決して気付かないのだから。

・私は時折、私自身では巧みに表現できないことを、他のものに代弁してもらうことがある。私の言語能力の弱さと、時には私の知的な弱さのせいで・・・また時には、せっかちな批評の向こう見ずさ加減に手綱をかけるために。せっかちな批評はあらゆる種類の著作に襲い掛かる。とりわけ、まだ存命中の人間の手になる最近の著作に対しては・・・私は自分の弱さを彼らの偉大な名声の蔭に隠すしかなかった。

・どんな風に言えばいいのか、我々には判っている。「これはキケロも言っていることだけど」「これはプラトンの道徳論なんだが」「アリストテレスの言葉どおり」、といった具合に。けれど、我々が言いたい事は何なのか?我々はどう判断しているのか?我々は一体何をしているんだ?オウムだって、我々がやっているようになら、立派にいえるだろう。

・我々は何であれ避けがたいものに苦しむすべてを学ばねばならぬ。人生は世界の調和と同じに、不協和音とさまざまに異なる音色とからなっている。甘美さと鋭さと、長調と単調と、柔らかな音と大きな音と。もし音楽家かそのなかのいくつかだけを好んだとしたら、どんな歌が唄えるというのか?音楽家は音のすべての使い方を知り、すべてを混合しなければなぬ。同じように我々も、善と悪とを扱わねばならぬ、それこそが人生の単一の実体をなすものなのだから。

【ショーペンハウアー】

・天才に恵まれた男は、とうてい社交的にはなれない。実際、どんな対話が、彼自身のモノローグほど、知的で愉しいものになりうるというのだ?

・人生には正真正銘の本質的な価値などない。人生はただ、欲望と幻影によって動きつづけるだけだ。

・恋は最も真剣な仕事さえいつでも妨げ、時には最も偉大な精神さえしばらくは途方に暮れさせる。恋はためらうことなく政治家たちの交渉や、学者たちの研究を邪魔立てする。恋は大臣の書類鞄や、哲学論文の原稿の中にさえ、逢引のメモや巻き毛を滑り込ませるすべを心得ている。恋はときに犠牲にすることを求める―健康を、時には富を、地位を、幸福をさえも。

・結婚するに当たって、個人の利益を追求しても種の利益を追求しても、どちらの場合もまちがいなく、結果はよろしくないように思われる。

【ニーチェ】

・僕にとって何らかの関心がある人間に対しては、苦悩を、悲惨を、病苦を、虐待を、屈辱を、僕は望む。―彼らが深い自己嫌悪を、自己不信の痛みを、敗北の惨めさを知らぬまま過ごさぬ事を、僕は望む。

・満足とは、苦痛を避けることによってではなく、苦痛の役割を良き何ものかに至る当然の避けがたい段階なのだと認めることによって、到達されるべきものなのだ。

・最高の最も実り多い人々や民族の生き方を調べてみるがいい。そのうえで、君自身に聞いてみたまえ、誇らしい高さにまで育つはずの樹は、厳しい気候や嵐に遭わずにすむかどうか。不運や外的な抵抗、ある種の憎しみや嫉妬、頑なさや不信、冷酷さや貪欲や暴力、これらは好ましい条件には数え得られないが、これらを抜きにしては、徳性についてさえ、偉大な成長はまず不可能ではないだろうか。

・歩いているとき生まれた思想だけが何らかの価値を持つ。

・憎悪、羨望、食欲、支配への渇望などの感情は、人生を条件づける感情である。人生という有機的一体の中に、基本的にまた本質的に、存在しているに違いない。

・二つの強力なヨーロッパの麻酔薬、それがアルコールとキリスト教だ。

・私たちをいい気持ちにさせてくれるものすべてが、私たちにとって良いものであるとは限らない。私たちを傷つけるものすべてが、私たちにとって悪いものであるとは限らないのだ。



【四つのイドラ(幻影・偶像)】
・種族のイドラ・・・人間という種族の本性そのものに根ざす先入観・偏見である。このイドラは、人間の精神が持つ生来の歪みに由来する。人間の精神ないし 知性は、「平坦な、拭い消された板」のようなものではなく、いわば「でこぼこの鏡面」のようなものであって、そこには「事物の真実の光線を受け取るため の、清浄で平坦な余地がまったく欠けている」

・洞窟のイドラ・・・人間個々人が持つくぼみに由来する先入観・偏見である。狭い範囲の世界しか知らない人間が、時にとんでもない勘違いをしでかすよう に、自分の特殊な素質や習慣や教育に頼る者は、誤謬の落とし穴にはまり込む。人間は誰でもこのような「自然の光を遮る穴」を持っている。

・市場のイドラ・・・言葉の使用に伴って生じる先入観・偏見である。ベーコンによれば、言葉は元来、人間相互のコミュニケーショーンの場(市場)で形成さ れた便宜的なものにすぎない。したがってそれは明確な概念規定をあらかじめ持つようなものではないから、それが事物の探求に使用されるときには、そこにお びただしい混乱をもたらし、知性の妨げをするのである。

・劇場のイドラ・・・伝統的な哲学説を権威化し、盲信することによって生じる偏見・先入観である。「哲学説が受け入れられ見いだされた数だけ、架空的で舞台的な世界を作り出すお芝居が生み出され演じられたと我々は考える」

ところで、そうしたイドラから知性を解放するために、ベーコンがさしあたり要求したのは、各人が【原則として疑ってかかり、人間のことがらについては悪いほうに解するのをたてまえとする政策的細心さ】を持つ、ということであった。

・「知識が多ければ悩みが多く、知識を増すものは憂いを増す」 ソロモン

・「むなしいだましごとの哲学で人のとりこにされないように気をつけよ」 聖パウロ
 第一は、「死滅性を忘れるほど、知識を喜びとしてはならない。」
 第二は、「自分に休息と満足を与え、不快や不満を招かないように知識を用いよ」
 第三は、「自然の考察によって、不遜にも神の秘密に到達しようとしてはならない」

・「真理を買え、これを売ってはならない。知恵と知識とをも買え」 ソロモン

・プラトンは、祖国の退廃した道徳に同調してゆけないのを悟って、官職や役につくことを拒絶して、「祖国はあたかも親のように遇せられるべきである。すなわち、いい逆らうべきではなく、へり下って説得するべきである」

・書物は、真理と道理以外には後援者を持つべきではない。

・「俗悪な新奇の語と偽りの知識による反対論とをさけなさい。」 聖パウロ 
聖パウロは、疑わしい偽りの知識の目印として二つのものを指摘しているが、その一つは、用語の新奇とめずらしさであり、もう一つは独断的な主張であって、それは必然的に反対論を引き起こし、したがって問題や論争を起こすからである。

・「学びつつある間は信じなければならない。」という規則は正しいけれども、その裏として、学んだあとでは判断しなければならない」と言わねばならない。というのは、弟子は完全に教え込まれるまでは、一時的に師のいうことを信じて、自分の判断を下すことをさしひかえねばならぬだけであって、完全に自由を放棄したり、永遠に拘束されたりせねばならぬわけではないからである。それゆえ、この点の結論として、私は偉大な創始者たちがその当然の権利、すなわち、さらに深く真理の正体を暴く権利を奪われないようにしなければならないとだけ言っておこう。

・古いものを好む保守的なひとは、新しいものがつけ加わる変革を憎み、新しいものを好む急進的なひとは、ただ付け加えるだけでは満足できず、古いものを抹殺せずにはおかないのである。~それに、じつをいうと、「時代の古いということは、世界の若かったことである」。世界が年をとっている現代こそ古い時代なのであって、我々自身から「逆算して」古いと考える時代が古い時代であるのではない。

・「わずかなことしか考慮しない人々は、容易に意見を言えるものだ」 アリストテレス

・「愛するものが傷つけるのはまことからであるが、悪意あるものが口付けするのは偽りからである」 箴言27の6

・学問のないものは、自分の持っている長所を存分に発揮し、たくみに用いることは覚えるが、長所を増すために大いに学ぼうとはしない。また、欠点を隠し、偽る術は覚えるが、それを改善するために大いに学ぼうとはしない。彼は絶えず刈り続けてはいるが、決して鎌を研ぐことをしない、へたな草刈人に似ている。他方、学問のあるものは、これとはちがった生き方をし、たえず、かれの精神を用い働かせると同時に、それをためなおし改善する。

・知識と学問との楽しみと喜びについていえば、それは他のどんな楽しみと喜びにもはるかに勝っている。~我々は、他のすべての楽しみには、飽くということがあり、それらは慣れた後では、新鮮味がなくなる事を知っている。この事から良くわかるように、それらの快楽は快楽のまがいものにすぎないのであって、快楽なのではない。そして、めあたらしさが気に入ったのであって、その本性が気に入ったのではなかったのである。

・ソロモンも、「もし刃物が鋭くなかったら、それだけ余計に力がいる。ところが知恵は力をかしてくれる」と見事に書きとめているが、それは、手段の工夫あるいは選択のほうが、懸命の努力あるいはその積み重ねよりも有効だという意味であるからである。

・「あらゆる慣習と先例とについて、それらがおこった時代を考えよ。もしその時代が知恵のない、あるいは無知な時代であるなら、その慣習は権威をおとし、疑わしいものとなる」

・「人間には、愛してしかも賢明であることは許されていない」  プブリウス・シルス

・アリストテレスが、「すべてのものの本性はもっとも小さな部分にもっともよく見られる」と言っているのは至言である。彼は、国家の本性を、まず家族と、どこの小さな家にも見受けられる、夫婦、親子、主従の簡単な結合とに探ろうとしているのである。  

・~記憶という、人間の精神の小室、あるいは居間、あるいは執務室の一つに対応する、学問の部門である、歴史については、これだけにしておこう。

・理解力が鈍いようであれば、数学はそれを鋭くし、きょろきょろするようであれば、落ち着かせ、感覚にべったりであれば、引き離すからである。

・「舌が耳に語るように、身振りは目に語る」 (国王の贈り物)

・道徳が発達しつつある時代に栄える術は武術であり、道徳が発達の頂点に達した時代の術は学術であり、道徳が衰えかけている時代の術は愉楽の術であるゆえ、私はこの現代という時代は、やや下り坂になっているのではないかと思うからである。私は、愉楽の術と手品とは対をなすと思う。というのは、感官を欺くことは感官の喜びの一つであるからである。気晴らしのための遊戯についていえば、それらは社会生活と教育に属すると思う。

・「時代的に古いものも、時代にあわなくなってしまったときには、新しいものなのだ」

・知識が現在伝達されているのをみると、伝達する者と受け取る者とは、いわば示し合わせて過ちを犯しているからである。すなわち、知識を伝達する者は、最もよく信ぜられるような形で伝えようとして、最もよく検討されるような形で伝えようとは欲しないし、知識を受け取る者は、将来なされそうな探求を望むというよりは、むしろすぐに納得できることを望み、したがって、間違わないことを欲するというよりは、むしろ疑わないことを欲する。そして、名声を求めるために、著者はその弱点を暴露しないようにするし、怠惰のために弟子は自分の力量を知るにいたらないのである。

・「若者たちは幸福であるが、しかしただ、希望によってそうなっているだけである。」 アリストテレス

・「君は同じ事を何回行うかを考えてみよ。食うこと、眠ること、遊ぶことが永久の循環をして次々と続く。人が死のうと思うのは、ただ、勇気があったり、みじめであったり、思慮があったりするためだけでなく、同じ事をするのに飽き飽きしたためであることもある」 (セネカ 『手紙』)

・「目的のない人生は退屈であてどがない」 セネカ

・キケロ『クルエンティウスの弁護』は、人民を海に、演説家を風になぞらえるならわしがあったが、それというのは、風が動かし波立てなければ、海はひとりでに穏やかに静かになるように、煽動演説家が動かしかきたてなければ、人民は平穏で御しやすいものであるからである。

【精神の鍛錬を賢明に規制する教則】
・はじめに、難しすぎるか、やさしすぎるような仕事を引き受けないように気をつけよということである。というのは、あまり難しいと、自信のない人の場合には落胆させ、自信のある人の場合には甘く見る考えとそれゆえ怠け心をおこさせ、どちらのひとの場合にも、長続きできそうもない期待を抱かせ、こうしてついに不満を生み、また反対に、あまりたやすいと、なにか大きな仕事をなしとげ征服する期待をわかせないからである。

・「若者たちは道徳哲学を聴講するに適していない、それというのはかれらが感情のわきたつような熱がおさまってはいず、時と経験によって円熟していないからである」 アリストテレス

・「他のすべての感情は、精神をふるいおこしはするが、しかし、それは我を忘れるとか、不正常なみっともない状態によってである。ところが、愛だけは、精神をふるいおこしはするが、それにもかかわらず同時に精神を落ち着かせしずめるのである。」 (クセノフォン 饗宴)

・「(悪い)友達は時間の泥棒だ」

・「あなたはその仕事にすばやい人を見たことがあるか。そのような人は王の前に立つようになって、卑しい人々の
あいだにはいないだろう」 (箴言22の29)  ここに述べられているのは、栄進のためのあらゆる徳のうちで、命ぜられたことをすばやく果たすのが最善であって、それというのは、目上の人はしばしば自分の使っている人間があまりに深遠であったり、あるいはあまりに有能であったりすることを好まず、すばやく勤勉であることを好むからである。

・「すべての勤労には富裕があるが、言葉の最も多いところにはしばしば貧困がある」 (箴言 14の23)  
ここには、怠惰と貧困のある所には、言葉と議論が最も多いということが指摘されている。

・「水に眺める人の姿がうつるように、知恵のある人には人々の心があきらかにうつる。」 (箴言 27の19)

・「知恵ある人は、どんな習俗にも適応してゆく」 (オウィディウス 『恋愛術』)

・「ペテン師は、騙していっそう大きな利益を収めるために、まず小さなことで信用を得ておく」 (リウィウス『ローマ史』)

・噂から間接に人々を知ることについていえば、人々の弱点と欠点はその敵から、彼らの美点と能力はその友人から、かれらのしきたりと近づきやすい潮時とはその召使から、彼らの考えと意見は彼らが最も多く議論するその親しい友人からもっともよく知られる。一般的な風評は大した価値がなく、目上のものや同輩のする評価には信用がおけない。というのは、人間はそういう人たちにはむしろ仮面をかぶるからである。

・「身近な人々からでる噂のほうが正しい」 (キケロ 『執政選挙運動』)

・人間はぜひ、自分自身の才能と美点を、それからまた、その欠点と障害を公平に観察し、そしてつぎのような観察を行わなければならない。
 第一に、自分の本性なりたちが時代の一般情勢に向いているかどうかを考察し、もしそれがぴったりあっていると知れば、その時は、すべての事において、いっそう大きい活動範囲と自由を自分に与えるが、もしそれが自分に向かず性に合わぬと分かれば、その時は、人生行路の全般にわたって、いっそう用心深く、引っ込んで控えめにならなければならない。第二に、自分の本性が(ある)職業と人生行路に適しているかどうかを考察し、そしてそれに従って、もしまだ職業についていないなら、(自分に最も適した職業を)選び、もし既に(自分に適していない職業に)ついているなら、もっとも早い機会に辞めなければならない。第三に、自分の競争者が少なく、自分が最も目立ちそうな航路をとらなければならない。第四に、友人と子分を選ぶにあたっては、自分の本性の成り立ちに応じて選ばなければならない。第五に、他人がするのをみて、自分もそのとおりできると思う場合にも、模範にならってどう振舞うかに特別に注意を払わなければならない。

・「悪徳はしばしば徳の近くに隠れている」 (オウィディウス 『恋愛術』)

・たいていの物事において、人々はよく思い違いをして、もっとも偉い人の援助を獲得することが最善であると考えるのであるが、物事を最も早く上手くやりとげるには、もっとも偉い人ではなく、もっとも適した人の援助を獲得すべきなのである。

・人は一々の行動において、注意力を上手く指導して、求めるものを最上級品で手に入れられない場合でも、なお二級品あるいは三級品で手に入れられるように、その目標に順位をつけておき、また、目指すものがかけらほども得られない場合でも、なおそれに払った労力を何か他のものに利用し、また、それをさしあたって何にも利用できない場合でも、なおそれに将来の何かの種子とし、また、それから何の効果も実質的な利益も見出せない場合でも、なおそれによっては少しは人によく思われるようになどしなければならないからである。それゆえ、一々の行動についてどれほど効果があったかと自分に勘定書を請求して、たとえ少しのものでも刈り取り、主力を注いで心がけたものに達しえなかった場合でも、とり乱して途方にくれないようにしなければならない。というのは、一つずつの行動に全精神をうちこむほど知恵のないはなしはないからである。それというのも、そういうことをする人は、無数の好機を失うが、そのような好機はたまたまおとずれるものであり、さしあたって推し進めている仕事のためよりものちに必要とする仕事のために幾倍か適当で好都合なものであるから。そしてそれゆえに、人々は、「あなたがたはそれもしなければならないが、、その他のこともせずにおいてはならない。」  (マタイによる福音書) というあの規則を完全に守らなければならないのである。

・不正な術についていえば、もし人が悪い規則でも自分用の規則にしたいというのなら、マキアヴェルリの「徳そのものではなく、ただ徳の外観を得ることにつとめるべきである。徳の信用は助けとなるが、徳の活用は邪魔になるからである」 (君主論17-8)という原則とか、あるいは彼の、「人間は恐怖によらなければうまく動かすことが出来ないと決めてかからねばならない。それゆえ、誰もかれもを危険にさらされたままに、身分を低く、困窮状態にしておく―イタリア人のいわゆるいばらの種をまく―ようにつとめねばならぬ。

・「味方も滅ぼせ、敵が一緒に滅ぶかぎり。」  (キケロ デイオタルス王の弁護)

・「子供はあめ玉で、大人は誓約で騙すべきである。」 (プルタルコス 『リサンドロス伝』)

・「幸運は女性に似たところがあって、しつこく求婚すれば、それだけ遠ざかってゆく。」  (カール五世)
【群集心理の特徴】
・共通の動因を持つことで同質性を増し、集団性の中に埋没して匿名的な状況に入ることで社会的抑制が低下して過激な傾向が助長される。
・同質性が高まり、個人と他者の境界が曖昧になるため他者からの暗示を受けやすくなる。
・情緒的な訴求が、論理的な示唆よりも単純であるがゆえに受容されやすくなる。
・情緒性が高まると論理的な判断、抑制力を失い、批判や論理の場が少なくなる。
・多数の人間がともに何らかの行動を起こす場合、匿名性の強い状況下では責任感が分散し、無責任性へとつながる傾向がある。

【自尊心(self-esteem)】
 自尊心とは、自分の価値、能力、適性などの肯定的な自己評価があることを意味し、自尊感情、自己価値、自己評価などとも称され、自分の能力に対する自信、あるいは所属集団からの承認をもとに起きる。精神分析では自我(ego) と超自我(super-ego)がバランスを保っている状態とされ、自尊心がなくなるとうつ病状態を示すが、うぬぼれなどは過剰な自尊でうつ状態を防御しようとする働きといえる。自尊心が低い人間の特徴は当惑しやすく恥ずかしがりで、説得に乗りやすく、他人への承認欲求が強い。また自己卑下、劣等感などを持ちやすい。逆に自尊心が高すぎると虚栄心を持ちやすい。このような自尊感情と他者への態度には正の相関があるとされる。つまり、自分に対して肯定的な感情を持つ人は一般的に他者に対しても肯定的であり、反対に自己を否定的に見ている人は一般的に他者へも否定的なのである。

【個人の政治参加の三類型】

 ・未分化型(parochial)・・・未分化型は最も原始的な方向性であり、このような社会では特別な政治的規制というものがなく、人々は政治「体制」に何の期待もしてない。つまり政治体制の存在にまったく気付いていない、もしくはいたとしてもごくわずかだということだ。自分の国が世界のどこにあり、どんな歴史を持つかという知識もなく、そのため感情も意見も持ち得ない。もちろん政府の機能、法律、政策なども全く知らず、自分の権利や国に対する義務なども分からないので政治参加の必要性など感じない。

 ・臣民型(subject)・・・個人の権力に仕えるものとして忠誠を持って統治者に奉仕し、それに対して報酬を受けるとするものである。自分の国やその歴史についての知識はきちんと持ち、それを誇りとも思っている。司法や警察、政府の機能についての知識もあるが、自分自身で体制を変えられるとか積極的に参加できるとまでは考えない。あくまでも受動的に存在するのである。イギリスはいまだに君主制を守っているので従属型のようでもあるが、現在のイギリスの政治文化には活動的な側面もある。

 ・参加型(participant)・・・社会の構成員が体制全体、政治、行政の構造と過程を明らかに主導している場合であり、アメリカの活動的な政治文化や伝統は参加型の最もよい例といえよう。


【産業革命とその影響】
 マルクスとエンゲルスは、主な発達の決定的要因は個人の中ではなく、より大きな体制の中の階級同士の相互関係にあると論じた。つまり中世の領主制に対してはブルジョワジーが反抗し、ブルジョワジーと資本主義に対しては、プロレタリアートが反抗するというものだ。~「大衆」の搾取に関しては搾取される側が搾取されていることに気付いた時、それが階級間の抗争を生むものとして捉えられている。

 産業革命後には、高度産業社会の発展と交通手段の発達が、工場労働者を都市に集中させ、同時に村落共同体の分解を招いた。カール・マンハイム(Mannheim)は、この新しい社会において、個人が原子化した大衆となって社会の前面に出現した状況を指し、大衆社会(mass society)という概念を示した。特徴としては、社会移動性の拡大、社会の分化と拡大の進行、伝統的な価値体系の崩壊、連帯感の希薄化などがある。旧式の共同体では、各個人の社会的地位、学歴や経歴は大同小異であったが、そこから切り離され、都市の中で雇用労働力としてばらばらに吸収された。そこで人々は再度生産活動のために組織がされるが、個々人を直接結びつける要因はなくなり、彼らは匿名、不特定多数の大衆となる。さらにマス・メディアの発達によって、これらの人々は膨大な情報を同時に入手できるようになった。結果として同じ思考や欲求、行動をとりながら相互の連帯感は希薄な人々からなる大衆社会が成立した。後にリースマン(Riesman)は、このような人々を「孤独な群集」と呼んだ。大衆社会は共同体の代わりに大衆組織によってまとまる。この組織は公式的かつ大規模で、メンバー同士の関係は間接的、形式的なものになる。そのためメンバーは組織に対して受動的で帰属意識は低い。また個人の独自性よりは平等であることを重視し、多数意見が常に優遇される。

【行動主義の父 ワトソン(Watson)】
 彼は、学習とは条件反射の型であり、人間の順応性は実際は無限のものと論じ、また人間行為はあらゆる面で社会的な条件づけの行われた反応であり、このことが人間行動の発達を理解する上での重要な鍵となると述べた。そして成人とはまさに子供時代の条件づけの産物とし、環境の影響を過大に主張し「もし、12人の健康な子供がいれば、その中で誰でも適当に選び、才能、好み、気質、能力、適性、先祖の人種にかかわらず、どんな専門家、たとえば医師、法律家、芸術家、商人、乞食や泥棒にでも訓練することが出来る」という有名な言葉を残した。

【両面的な説得(persuasion)ホヴランド】
 人間は反論されることで、疑念を現すより前に、内面的な矛盾をまず受け入れようとすることを発見した。それはおそらく、両面的なメッセージは不信感を抱かせることがなく、問題の賛否を明らかにしないでおくので、一方的な議論よりも影響力が強いからだという。他人を納得させようとする場合、議論の順序も重要である。最適な順序とは、まずその人間が本来賛同している見解について述べ、次いで反対の意見、そして最初の見解を繰り返しもう一度述べて締めくくる。これは人間の学習における初頭性効果(Primacy Effects)と親近性効果(Recency Effects)
という二つの優位点を兼ね備えており、反対意見は最初と最後の両方の意見に挟まれて縮小され、効果は最小限となるが、なお公平さは保たれることになる。

【マズロー欲求の諸段階】
 人間の本能的欲求は、その程度によって階層を形成しており、少なくともある段階を満足させられるまで、その上の段階は重視されない(あるいは気付きもされない)と考えられる。この階層は人間の基本的欲求を、階層序列をもとに、生理、安全、所属と愛情、自尊と承認、自己実現という五つの階層からなり、欲求の諸段階(Hierarchy of Need Theory)といわれる。ころ理論によると欲求は、下から上へ①生理的欲求(空気・食物・飲み物など)、②安全の欲求(危険の回避)③所属と愛情の欲求(他人との満足な関係を求める)④自尊と承認の欲求(自分が独特の価値を持つ個人的存在だという感覚を獲得し、価値ある人間としての評価を求める)⑤自己実現の欲求(個人の生来独特の能力を生かし発揮できる場を求める、理想の実現)の五段階に分類される。生理的欲求は最も下位にあって最も強い。これが満たされていない時は他にどんな非生理的な欲求があってもそれを満たすことが先決となる。そして下位にある欲求が満たされると、そこで初めてより上位の欲求が生じることになる。そして人間の人格的形成とされる最高位の自己実現欲求は、他の欲求がすべて満たされない限り現れない。もし、より低い段階の欲求、例えば生理的欲求が活動しだすと、それ以上の段階にある欲求、つまり自尊と承認や自己実現などの欲求は活動を止めてしまうし、少なくとも自尊心がある程度満たされるようにならないと、自己実現欲求を追求することはないのである。
⑤自己実現欲求 (個人の生来独特の能力を生かし発揮できる場を求める、理想の実現)
            ↑
④自己承認欲求 (自分が独特の価値を持つ個人的存在だという感覚を獲得し、
             価値ある人間としての評価を求める)
            ↑ 
③親和と愛情の欲求 (他人との満足な関係を求める)
            ↑
②安全の欲求 (危険の回避)
            ↑ 
①生理的欲求 (空気・食物・飲み物など)

【権威主義 (エーリッヒ・フロム)】
 権威主義とは、自分より上位の権威には強迫的に従う反面、下位のものについては傲慢、尊大にふるまおうとする心的態度や思想のことである。

 まず、幼児期における家族関係が権威主義的である場合、つまり親が怒りっぽく寛容性に欠け、家庭の中に支配と服従の関係があると、子供は主体的に考える機会を奪われて自我の発達が十分でなくなるのである。また、このような家庭の場合は親ももともと因習や規範にとらわれやすく、逸脱を許さない傾向にあるので、子供は親に倣って同じような価値観を身に付けていく。結果として権威主義的な家庭においては権威主義的な人間が再生産されていくことになるのである。
   
【レーンの見解】
 政治学者であるレーンは、労働者階級の上から中産階級の下に属する人々について、その政治的理念や価値観の基盤を検証し、分析を行っている。レーンによると、経済的懸念が存在する時に、人間が革新的なイデオロギーに走ることはなく、つまり問題や不安に直面した場合は、政治的変化を考えるのは別の時、別の場所にしようとする傾向を持つという。彼が研究の対象とした人々は、民主主義に対して誠実ではあるものの、その価値をさほど信頼しているわけではなく、同様に勤勉ではあるが、それはその報酬として富や権力を得るためであって、労働自体を深く信頼しているわけではない。またこの人々は、何とか政治的生活を送っても、何にもならないという感覚を互いに持っているが、同時に変化を恐れてもいる。つまり豊かで権力のある人々を尊敬し、また妬みもする一方で、政治体制に対する革新的な批判を嫌うことはあっても尊重したりなどはしないのである。彼は、権威や固定した政治体制自体に対する人間のこのような矛盾した感覚を、見事に指摘したといえよう。

【ナルシズム(Narcissism)】
 ナルシズム(自己愛)とは、リビドー(性的欲望or性衝動)が外(他者)ではなく自分に向けられてしまうことである。自分のことだけに関心があり、他者に対しては配慮がない。ナルシズムを傷つけられることは激しい怒りにつながり、強すぎるナルシズムは羞恥心につながる。発達の面から見ると、ナルシズムを失うことはその代償としての自我理想(ego-ideal)につながっていく。こういった人々は、幼児期の母子関係などで健全な自己愛が満たされなかったため、成長してからも自己愛幻想にとらわれてしまうのだ。対人関係においても一方的に好きになったり、自分の思惑を押し付けるといった自己愛的同一視が見られる。
 ナルシズムが原因で起きる精神障害、つまり「自己愛パーソナリティ障害」には九つの診断基準がある。
①自分は大切な立場にあるという誇大感を持っている。
②成功、権力、知性、美、理想的な愛への憧れが強く、根拠なしにそれらが獲得できると思っている。
③自分は特別で、相応の人々にしか理解できない、またそういう人々とのみ関係があるべきだと思っている。
④過度な賞賛を欲する。
⑤特別な扱い、周囲の従順さを期待している。
⑥自分自身の目的のために他人を利用する。
⑦他人の気持ちや望みに気遣いも理解もない。
⑧他人への嫉妬、他人からの嫉妬を勝手に思い込む。
⑨傲慢な態度をとる。
などで、これれのうち五つ以上が該当すれば障害と判断される。

【固定観念orステレオタイプ(stereotype)】
 人間がある対象(集団、人間の分類など)を認識する場合、すでにその文化の中で定義づけられた形のまま知覚し、これに基づいたイメージをつくりあげる傾向があるが、その紋切り型のイメージのことを指す。ウォルター・リップマンはステレオタイプを、「私たちの頭の中の画像」と定義した。

【偏見(prejudice)】
 ある特定の集団や個人(黒人・ユダヤ人・女性)に対して十分な知識や経験を持つ前に形づくられる、どちらかといえば否定的な感情を指す。~アドルノらは偏見は孤立的要因ではなくパーソナリティを形成するシステムの中に統合されているとした。人間は各種の経験に基づいて社会的態度を形成していくが、このような態度が固定化、習慣化されて柔軟性を失うと、ある対象に特定の視点や価値基準に立って認知、判断するために正確な理解が出来なくなって偏見という態度が形成される。偏見の心理的背景には敵意や自己防衛などがある。人間は特定の人種や社会階層などの集団に属することで安心し、そしてある集団(内集団)への帰属が高まるにつれて対立する集団(外集団)への対抗意識や敵意が生じるようになる。内集団の帰属意識の裏側には、誇りと同時に外集団への敵意が含まれており、その集団全体のもつ偏見に同化していくようになる。一方、人種的偏見などの否定的な態度は、相手を低く見なすことで自己の安定をはかるという投射の心理に基づく場合が多い。社会的に不遇だったり、地位の低い人間ほど人種的偏見が強いという研究結果も報告されている。また人間は知っているものには親近感を持つが、知らないものには防衛的な態度をとるため、未知の文化や社会に対する恐怖感も偏見の原因となり得る。

【ライフサイクル(Life-Cycle)の概念】
 生活周期ともいう。人間の誕生から死に至るまでの間にある周期をもって繰り返されるいくつかの段階ごとに、それぞれの特徴によって個人と社会との関係を発達的に捉えようとするもの。具体的な例では、投票率は年齢とともに高まる。が、なぜ若者が政治的に消極的なのかは「ライフサイクル」によって説明できる。人は年を取るとともに仕事に就いて納税者となり、結婚して親となる。(つまり広い住居や子供のための施設が必要になる)。これらの日常的なことを考えると、政府の政策に対する依存度が高まり、政治や政治活動への関心が促されるようになるのである。引退する世代になると家族の育成や仕事上の義務から自由になり、その自由になった分がコミュニティ活動への参加や投票につながる。男性と女性とではライフサイクルが異なっており、政治参加に性差が生じていたが、投票への参加については近年この差は減少している。以上の事から年長の既婚者の方が投票行為が活発だということになる。

【アナウンスメント効果】
 選挙キャンペーンの際にマスメディアが行う予測や情勢の報道によって、候補者の当落や政党の議席の増減が左右される(といわれる)心理的な効果である。ある候補者に投票しようと考えていた人が、予測報道でその候補者の勝利が確実とされると投票に行かなかったり、別の候補者に投票してしまうことがあるが、このように選挙予測が投票行動に影響を与える場合にアナウンスメント効果が働くと考えられる。

【バンドワゴン効果 (勝ち馬効果) Bandwagon Effect】
 音楽隊の行進の周りにどんどん群衆が集まってくる様子にたとえられたもので、優勢な政党や候補者に支持者が集まる現象を指す。人間には、ある意見や候補者が大多数の人に支持されているというそれだけの理由で、その意見や候補者を支持する傾向がある。それは社会的是認という見えない報酬、つまり少数意見を支持するよりも大多数の意見を支持するほうが、周囲からは肯定的に受け止められるということがあるからだ。

【アンダードッグ効果 (負け犬効果) Underdog Effect】
 劣勢の候補者や政党に味方して投票するというような、判官びいき的な行動をとることだ。特に支持もしていないのに野党の議席が増える方が良いと思って野党に投票したり、ある政党や候補者が苦戦だとする報道があれば、あまり積極的でなかった支持者が投票に行ってしまったりして、結果として予測では負けるはずの政党や候補者が逆転勝ちすることもあり得る。このように、選挙予測の報道によるアナウンスメント効果には、ある政党や候補者にとってプラスとマイナス両面の効果があるということは重要である。

【上からのテロリズム】
 上からのテロリズムは政府によって実行され、その過程、効果、過失の特徴のいくつかは煽動や反政府テロと似たところがある。このような上からのテロリズムは大衆への対抗手段や圧制手段として使われる。国民の恐怖をわざと助長し、結束を弱めて操作しやすくした。これが全体主義政権である。突発的に発生する暴力、夜間の急襲、拷問、監獄や収容所、不安定な仕事、そして秘密警察などは、すべて人民の結束を弱め、友人や組織から人々を引き離して不信感の固まりにしてしまう。したがって対立勢力や反体制組織の存在は不可能ではないまでも難しくなる。一方、政権は支持者に対しては報酬をもって応え、イデオロギー、大きなパレード、スポーツの祭典、将来の保証、家、仲間、価値、目的、信頼、などを提供し、その代わりに人々は政府へのいっそうの支持を期待されたのである。

【フォロワーの動機 (フロイト)】
 偉人達がどうして他人に対して権力を行使することができたのかについて論じており、その理由として多くの人々が「崇め」「服従する」対象となる人物を欲していることを挙げた。強力なリーダーというものは父親のような保護を人々に与え、まさにそれこそが人々が「子供のころから抱えている父親への願い」を満たし、「偉大なリーダーの神髄」という意味が込められているのだという。もう一つ個人がリーダーに従うのは個人としての欲求ではなく、その個人が属する集団の欲求に根ざすという理由も挙げている。それは集団も必然的に「長によって導かれる」が、それは個人におけると同様に集団も最高の父親像を欲し、望んでいるからだとした。そしてこの最高の父親は集合的な観念をもたらす存在である。なぜなら彼は集団の中心にあり、集団のアイデンティティを体現する人間だからなのだ。つまりリーダーは集団にとって欠くことのできない人間であり、リーダーなしには集団も存在し得ないからである。

・ではなぜ人間は明らかに好ましくないことを強いられた場合でも同調してしまうのだろうか。まず考えられるのは、抗議した場合に起こる報復を怖れて同調するということであろう。集団はそのメンバーに対して所属や同調の代償として社会的是認(social approval)や他の報酬を与えるが、逸脱者に対しては心理的、肉体的な罰のみならず生命をも奪いかねない。もう一つの理由はやや曖昧ではあるものの、集団が個人に対して流す情報は個人を集団の意図に沿って行動させるために操作されているので、個人は集団が正しいと考えて同調するというものである。このような場合、人間は社会的圧力に屈したからではなく「そうするのが合理的だから」という理由で同調するといえる。そして、人間は自分が権威だと認める相手から出された指示は合法的だと考える傾向がある。そうなると、その行為の内容や自分の良心にかかわらず指示に従ってしまうのだ。服従の本質とは自分の行動の責任が自分にあるとは思わなくなることだといえる。そして個人がどうふるまうかを決定するのは彼がどんな種類の人間かということよりはむしろ、どんな状況に置かれているかということなのである。ミルグラムの実験は、人々は信頼するリーダーであれば追従するということを示した。影響力のあるリーダーに強い信頼を寄せる人々は、大抵そのリーダーの選んだ悲惨な運命を被ってしまうのである。

【マスメディアの認知効果】
①『議題設定機能 (Agenda-Setting Effect)
 1970年代初頭にマクスウェル・マコームズとドナルド・ショーによって提起された「ある話題や争点がマスメディアで強調されるにつれて、公衆の認知におけるそれらの話題や争点の重要度・目立ちやすさも増大する」というものである。マスメディアは「今何が問題なのか?」という議題の設定について強い影響力を持ち、マスメディアが強調するレベルが問題の重要性を人々に認知させることになる。~この理論は、マスメディアが、個人が直接接触できない政治的な世界から情報を集めて伝えることにより、受け手が社会全体の現実、つまり今何が起きているか、重要な問題は何かということを知る際に、大きな影響力を持つことを示す。マスメディアの独自でかつ強力な機能は、「どう考えるべきか」ではなくて「何を考えるべきか」に影響する。

②『プライミング効果 (Priming Effect)
 特定争点がマスメディアで強調されることで、有権者がその争点を政治指導者の評価基準として重視するようになるということである。これはマスメディアから頻繁に見聞した情報が記憶に残ることにより、とりあえずの判断を行う際にその情報が用いられると想定されるからだ。議題設定の研究からきた「プライミング」仮説によれば「他のことは無視し、評価が複雑ではなく簡単な争点に関心を集めることにより、テレビニュースは政府、大統領、政策、候補者についての判断基準について大衆に影響を及ぼす」とされる。~マスメディアには大衆の国家的問題や出来事についての考えを変更する力があり、さらにある政治家の争点に対する大衆の見方や関心について「メディア・プライミング」を通して決定する力がある。

③『フレーミング効果』 (Framing Effect)
 マスメディアがどのようなパースペクティブ(perspective視野)あるいはフレームに基づく問題提示をするかによって受け手の認知に影響が及ぶ時、その影響を「フレーミング効果」と呼ぶ。シャント・イェンガーはテレビニュースは様々な問題を「エピソード的フレーム」あるいは「テーマ的フレーム」のいずれかに基づいて報道する傾向が見られるとした。「エピソード的フレーム」は、公共問題を具体的な事例や特定の出来事(ホームレスの人間・失業者・殺人事件・人種差別の被害者・ハイジャック事件など)に即して掲示し、視覚的な訴求力が高い。これに対し、「テーマ的フレーム」は経済状況を示す統計や政府の政策など、より一般的、抽象的な文脈に基づく報道を指す。そしてニュースにおいて人間が重要な働きを示す「エピソード的フレーム」では、責任の帰属は特定の個人や集団の行為に向かいやすく、政治的課題を抽象的に扱う「テーマ的フレーム」では、社会や官僚機構の責任や一般的な社会要因が意識されやすかったという。つまり、マスメディアの作成するフレームが非難の矛先を決定しているのだ。

【沈黙の螺旋型理論(Spiral of Silence)】 byエリザベス・ノエレ=ノイマン
 世論の形成についてはまず個人レベルの意見があり、それがマスメディアによって集められて拡大され、さらにそれを個人の情報源として受け入れることによってさらに大きくなるという三段階に分かれるが、その際多くの人々は孤立を怖れ、もし自分の意見がマスメディアの提示において少数派・劣勢であれば、孤立を避けるために意見表明は控えてしまう。すると反対意見は表明されにくくなり、多数派はより多く、少数派はより少ないという状況が生まれる。こうなると個人の意見表明とマスメディアの効果が螺旋状に、累積、拡大していき、最終的にはマスメディアで優勢な見解が世論となる。つまり、マスメディアは特定の意見を多数派・優勢意見として提示することで、「意見の風潮」を形成するのに大きな力を持つことになる。