【ソクラテス】
・複雑さに敬意も払いもせず、少なくとも壺造りほどに細かく考えることもなく、自分の意見を作り上げた人たちの自信に、脅かされてはいけない。「言うまでもない」とか「自然だ」とか大声で言われることが、そのとおりであることは、めったにない、と。
・ある意見が正しいかどうかは、大多数の人に支持されているからとか、長いあいだ重要な人物たちによって信じられてきたからとか、そんなことでは決められない。正しい意見とは、合理的に反駁することが不可能なものである。ある意見は論破できなければ正しい。もし論破できるなら、どんなに多くの人が信じていようとも、どんなに偉い人が信じていようとも、その意見は間違いなく誤りであって、疑った私たちのほうが正しいのだ。
『ソクラテスの思考方法』
① 自信たっぷりに常識だと述べられた意見を据える。
(例)勇敢に行動することは、戦場で退却しないことを含んでいる。
② そのことを主張する人の自信は脇において、しばらくその意見は誤りだと想像してみる。その意見が正しくない状況とか前後関係がないかどうか探してみる。
(例)勇敢でありながら戦場で退却することは、決してありえないことか?
③ 例外が見つかったら、その定義は誤りか、少なくとも不正確にちがいない。
(例)勇敢であっても、退却することはありうる。
④最初の意見は、例外を考慮に入れる含みを持たなければならぬ。
(例)勇敢に行動することには、戦場で進軍することと退却することとの両方を含むことが出来る。
⑤改善された意見にも、さらに例外が見つかった場合、同じ手順を繰り返すべきだ。真実は(人間に真実なるものを手に入れられるかぎりにおいてだが)論破することが不可能に思える意見にある。そうではない例を見つけることによって、人は真実が何であるか、その理解にさらに近づくのである。
・批判の価値は、批判者の思考の過程しだいによるので、批判者の数や社会的地位によるわけではない。
・ソクラテスは二つの強力な、誤った信念から抜け出す道を、私たちに指し示す―公衆の意見の指示するところには、常に耳を傾けるべきだという誤った信念からと、絶対に耳を傾けてはいけないという誤った信念からと。
【エピクロス】
・肉体の病を追い払わないようなら、医術は何の役にも立たない。それと同じように、魂の苦しみを追い払わないようなら、哲学は無用だ。
・人が全生涯を幸福のうちに生きる助けとして、知恵が与えてくれるものすべての中でも、抜きん出て最大のものは、友情を自分のものにすることである。何かを食べたり飲んだりする前に、慎重に考えるべきことがある。何を食べたり飲んだりするかよりも、誰と食べたり飲んだりするかということだ―友達もいない食事なんて、ライオンか狼の人生ではないか。
・本当の友人は、私たちを世間の評判なんかで評価しない。友人たちが関心を持っているのは、私たちの核となる自我なのだから。理想的な両親と同じに、友人たちの私たちへの愛情は、見てくれや社会的地位なんかに関係なく存続する。だからこそ私たちは、何の気がかりもなく古い服を着ていられるし、今年はほとんど稼げなかったなどとも打ち明けられるのだ。
・我々は日々の生活と政治の牢獄から、我が身を解き放たればならなぬ。
・いざやってきた時には何ものでもないもの(死)について、それがやって来るときを予期して思い悩むのは無駄なことだ。 「メノイケウスへの手紙」
・富はもちろん、誰も惨めにはしそうにない。―もし、金持ちであっても、友人も自由も人生についての分析もない人生では、私たちは絶対に本当の意味で幸福にはなれない。その一方、もし友人も自由も人生の分析もあって、富を摑みそこねた場合、私たちは絶対に不幸にならない
・欲求について見れば,<A 自然で必要なもの>がある。他に<B 自然だが不必要なもの>がある。そしてまた、<C 自然でもなければ・必要でもない欲求>もある。
<A 自然で必要なもの>・・・友人・自由・考えること(不安を除くために、不安の主な原因である「死、病気、貧乏、迷信」について)・食べ物、雨露をしのぐ屋根・着る物。
<B 自然だが不必要なもの>・・・良い家・専用の風呂・パーティー・召使い・肉・魚。
<C 自然でもなければ・必要でもないもの>・・・名声・権力
・少しのもので満足できない人、そんな人が満足できるものなど存在しない。 (断片六九)
・それではなぜ、高価な物品は目を見張るほどの歓びをもたらすことはできないのに、私たちはこんなにも強力に高価な物品に引き寄せられるのだろう?―偏頭痛に悩む人が、自分の頭蓋骨の横にドリルで穴を開けるのに似た誤りのせいである。高価な物品には自分でもよく理解していない欲求に対する、もっともな解決策のように思わせるところがある。
『幸福になるための、獲得目標リスト』
①小さな家、兎小屋ふうであっても。
②友情
③上役や親分風を吹かす連中、そして足の引っ張り合いや競争を避ける。
④考えること
⑤ジョヴァンニ・ベルリーニの描く「聖母」に生き写しの相手。
幸福を手に入れるのは、確かに難しいかもしれないが、障害がなによりもまず経済的なものであるなどということはない
【セネカ】
・私たちは求めるものが得られないといつでも怒りに圧倒されるわけではない。自分が手に入れる資格があると信じているものが得られないときにだけ、怒るのである。最大の怒りが噴出するのは自分が存在の大原則と感じている感覚を踏みにじられたときだ。
・悪人が悪事を働くからといって、驚くほどのことだろうか?敵が危害を加えたからって、友人が苛々させるからって、息子が失敗をやらかしたからって、召使いが不作法だからって、前例がないほどの出来事だろうか?
・運命の女神があえてやらないことなど何一つない。 (モラル書簡)
・人間とは一体なんでしょう?ほんの少し揺さぶっても、ごく軽く投げても、壊れてしまう容れ物です。・・・弱くて脆い肉体です。むきだしで、自然の状態では身を護るすべもなく、他の人間の助けに頼るしかなくて、それなのに運命の女神のあらゆる悪意にさらされている存在なのです。
・あなたはおっしゃる。―あんなことが起きるとは思ってもいませんでした、と。起きる可能性があることはご存知で、すでに起きた例まで見てらして、それでも起きないようなことが、何事であれ、あるとお思いなんですか?
・セネカが信じる精神像・・・議論とはうなぎのようなものなのだ―どんなに論理的であっても、イメージと文体で固定されないかぎり、精神の弱い把握力ではするりと滑り落ちてしまう。私たちが比喩を必要とするのは、見ることも出来ず、触れることも出来ないものへと感覚を誘導するためで、それ抜きでは忘れられてしまうのである。
・外はすべて狂気の沙汰の騒ぎでもかまいません。心の中に動揺一つない限り。 (モラル書簡 五六)
・自然の法則に、私たちの魂は順応しなければならない。法則に従い、服従しなければならないのです。―あなたが変更させることが出来ないものに対しては、じっと耐え忍ぶのが一番いい。
【モンテーニュ】
・王も哲学者も糞をたれる、貴婦人とてしかり。 (エセー第三巻五章)
・私はひそかに、最も思慮深い男性が性的な体位を取っているところを思い浮かべてみる。すると、こんな男が思慮深いだの賢明だなどと言い張るなんて、何て厚かましいんだろうと思ってしまう。
・異なる種類の存在の基準に合わせて人間の義務を定めるのは、大変に賢いやり方とは言えない。
・どの国にも、他の国では知られていないだけでなく、野蛮で驚きの種になるような習慣や行動がいくらでもある。
・かつて存在した最も賢い人は、何を知っているかと問われて答えた―わたしが知っているただ一つのこと、それは私は何も知らないということだ、と。
・我々はすぐ訊ねる、「彼、ギリシア語かラテン語を知ってるの?」「彼、詩も散文も書けるの?」と。しかし、一番問題になる質問は最後にまわす、「彼、前よりいい人に、賢い人になったの?」、我々は誰が最も多く理解しているかではなく、誰が最も良く理解しているかを問うべきなのだ。我々はただ記憶を満たすために頑張り、理解力も正義不正義の感覚も、空っぽのまま放っておく。
・私が本に求めるのは、自分自身に愉しみと品のいい暇つぶしを与えること、それですべてだ・・・読書をしていて難しい箇所に差し掛かると、爪を噛んで考えるなんて絶対にしない。一度か二度、挑戦してみたあとで、ほったらかす・・・ある本に飽きたら、次の本を手に取るだけだ。
・街角や市場なら場違いに聞こえる言葉を、哲学者が使う理由はない。
・我々は何を判断するにも、博識で膨れ上がっていないものは平凡でくだらないとみなし、これ見よがしに見せびらかされないと、その豊かさにも決して気付かないのだから。
・私は時折、私自身では巧みに表現できないことを、他のものに代弁してもらうことがある。私の言語能力の弱さと、時には私の知的な弱さのせいで・・・また時には、せっかちな批評の向こう見ずさ加減に手綱をかけるために。せっかちな批評はあらゆる種類の著作に襲い掛かる。とりわけ、まだ存命中の人間の手になる最近の著作に対しては・・・私は自分の弱さを彼らの偉大な名声の蔭に隠すしかなかった。
・どんな風に言えばいいのか、我々には判っている。「これはキケロも言っていることだけど」「これはプラトンの道徳論なんだが」「アリストテレスの言葉どおり」、といった具合に。けれど、我々が言いたい事は何なのか?我々はどう判断しているのか?我々は一体何をしているんだ?オウムだって、我々がやっているようになら、立派にいえるだろう。
・我々は何であれ避けがたいものに苦しむすべてを学ばねばならぬ。人生は世界の調和と同じに、不協和音とさまざまに異なる音色とからなっている。甘美さと鋭さと、長調と単調と、柔らかな音と大きな音と。もし音楽家かそのなかのいくつかだけを好んだとしたら、どんな歌が唄えるというのか?音楽家は音のすべての使い方を知り、すべてを混合しなければなぬ。同じように我々も、善と悪とを扱わねばならぬ、それこそが人生の単一の実体をなすものなのだから。
【ショーペンハウアー】
・天才に恵まれた男は、とうてい社交的にはなれない。実際、どんな対話が、彼自身のモノローグほど、知的で愉しいものになりうるというのだ?
・人生には正真正銘の本質的な価値などない。人生はただ、欲望と幻影によって動きつづけるだけだ。
・恋は最も真剣な仕事さえいつでも妨げ、時には最も偉大な精神さえしばらくは途方に暮れさせる。恋はためらうことなく政治家たちの交渉や、学者たちの研究を邪魔立てする。恋は大臣の書類鞄や、哲学論文の原稿の中にさえ、逢引のメモや巻き毛を滑り込ませるすべを心得ている。恋はときに犠牲にすることを求める―健康を、時には富を、地位を、幸福をさえも。
・結婚するに当たって、個人の利益を追求しても種の利益を追求しても、どちらの場合もまちがいなく、結果はよろしくないように思われる。
【ニーチェ】
・僕にとって何らかの関心がある人間に対しては、苦悩を、悲惨を、病苦を、虐待を、屈辱を、僕は望む。―彼らが深い自己嫌悪を、自己不信の痛みを、敗北の惨めさを知らぬまま過ごさぬ事を、僕は望む。
・満足とは、苦痛を避けることによってではなく、苦痛の役割を良き何ものかに至る当然の避けがたい段階なのだと認めることによって、到達されるべきものなのだ。
・最高の最も実り多い人々や民族の生き方を調べてみるがいい。そのうえで、君自身に聞いてみたまえ、誇らしい高さにまで育つはずの樹は、厳しい気候や嵐に遭わずにすむかどうか。不運や外的な抵抗、ある種の憎しみや嫉妬、頑なさや不信、冷酷さや貪欲や暴力、これらは好ましい条件には数え得られないが、これらを抜きにしては、徳性についてさえ、偉大な成長はまず不可能ではないだろうか。
・歩いているとき生まれた思想だけが何らかの価値を持つ。
・憎悪、羨望、食欲、支配への渇望などの感情は、人生を条件づける感情である。人生という有機的一体の中に、基本的にまた本質的に、存在しているに違いない。
・二つの強力なヨーロッパの麻酔薬、それがアルコールとキリスト教だ。
・私たちをいい気持ちにさせてくれるものすべてが、私たちにとって良いものであるとは限らない。私たちを傷つけるものすべてが、私たちにとって悪いものであるとは限らないのだ。
・複雑さに敬意も払いもせず、少なくとも壺造りほどに細かく考えることもなく、自分の意見を作り上げた人たちの自信に、脅かされてはいけない。「言うまでもない」とか「自然だ」とか大声で言われることが、そのとおりであることは、めったにない、と。
・ある意見が正しいかどうかは、大多数の人に支持されているからとか、長いあいだ重要な人物たちによって信じられてきたからとか、そんなことでは決められない。正しい意見とは、合理的に反駁することが不可能なものである。ある意見は論破できなければ正しい。もし論破できるなら、どんなに多くの人が信じていようとも、どんなに偉い人が信じていようとも、その意見は間違いなく誤りであって、疑った私たちのほうが正しいのだ。
『ソクラテスの思考方法』
① 自信たっぷりに常識だと述べられた意見を据える。
(例)勇敢に行動することは、戦場で退却しないことを含んでいる。
② そのことを主張する人の自信は脇において、しばらくその意見は誤りだと想像してみる。その意見が正しくない状況とか前後関係がないかどうか探してみる。
(例)勇敢でありながら戦場で退却することは、決してありえないことか?
③ 例外が見つかったら、その定義は誤りか、少なくとも不正確にちがいない。
(例)勇敢であっても、退却することはありうる。
④最初の意見は、例外を考慮に入れる含みを持たなければならぬ。
(例)勇敢に行動することには、戦場で進軍することと退却することとの両方を含むことが出来る。
⑤改善された意見にも、さらに例外が見つかった場合、同じ手順を繰り返すべきだ。真実は(人間に真実なるものを手に入れられるかぎりにおいてだが)論破することが不可能に思える意見にある。そうではない例を見つけることによって、人は真実が何であるか、その理解にさらに近づくのである。
・批判の価値は、批判者の思考の過程しだいによるので、批判者の数や社会的地位によるわけではない。
・ソクラテスは二つの強力な、誤った信念から抜け出す道を、私たちに指し示す―公衆の意見の指示するところには、常に耳を傾けるべきだという誤った信念からと、絶対に耳を傾けてはいけないという誤った信念からと。
【エピクロス】
・肉体の病を追い払わないようなら、医術は何の役にも立たない。それと同じように、魂の苦しみを追い払わないようなら、哲学は無用だ。
・人が全生涯を幸福のうちに生きる助けとして、知恵が与えてくれるものすべての中でも、抜きん出て最大のものは、友情を自分のものにすることである。何かを食べたり飲んだりする前に、慎重に考えるべきことがある。何を食べたり飲んだりするかよりも、誰と食べたり飲んだりするかということだ―友達もいない食事なんて、ライオンか狼の人生ではないか。
・本当の友人は、私たちを世間の評判なんかで評価しない。友人たちが関心を持っているのは、私たちの核となる自我なのだから。理想的な両親と同じに、友人たちの私たちへの愛情は、見てくれや社会的地位なんかに関係なく存続する。だからこそ私たちは、何の気がかりもなく古い服を着ていられるし、今年はほとんど稼げなかったなどとも打ち明けられるのだ。
・我々は日々の生活と政治の牢獄から、我が身を解き放たればならなぬ。
・いざやってきた時には何ものでもないもの(死)について、それがやって来るときを予期して思い悩むのは無駄なことだ。 「メノイケウスへの手紙」
・富はもちろん、誰も惨めにはしそうにない。―もし、金持ちであっても、友人も自由も人生についての分析もない人生では、私たちは絶対に本当の意味で幸福にはなれない。その一方、もし友人も自由も人生の分析もあって、富を摑みそこねた場合、私たちは絶対に不幸にならない
・欲求について見れば,<A 自然で必要なもの>がある。他に<B 自然だが不必要なもの>がある。そしてまた、<C 自然でもなければ・必要でもない欲求>もある。
<A 自然で必要なもの>・・・友人・自由・考えること(不安を除くために、不安の主な原因である「死、病気、貧乏、迷信」について)・食べ物、雨露をしのぐ屋根・着る物。
<B 自然だが不必要なもの>・・・良い家・専用の風呂・パーティー・召使い・肉・魚。
<C 自然でもなければ・必要でもないもの>・・・名声・権力
・少しのもので満足できない人、そんな人が満足できるものなど存在しない。 (断片六九)
・それではなぜ、高価な物品は目を見張るほどの歓びをもたらすことはできないのに、私たちはこんなにも強力に高価な物品に引き寄せられるのだろう?―偏頭痛に悩む人が、自分の頭蓋骨の横にドリルで穴を開けるのに似た誤りのせいである。高価な物品には自分でもよく理解していない欲求に対する、もっともな解決策のように思わせるところがある。
『幸福になるための、獲得目標リスト』
①小さな家、兎小屋ふうであっても。
②友情
③上役や親分風を吹かす連中、そして足の引っ張り合いや競争を避ける。
④考えること
⑤ジョヴァンニ・ベルリーニの描く「聖母」に生き写しの相手。
幸福を手に入れるのは、確かに難しいかもしれないが、障害がなによりもまず経済的なものであるなどということはない
【セネカ】
・私たちは求めるものが得られないといつでも怒りに圧倒されるわけではない。自分が手に入れる資格があると信じているものが得られないときにだけ、怒るのである。最大の怒りが噴出するのは自分が存在の大原則と感じている感覚を踏みにじられたときだ。
・悪人が悪事を働くからといって、驚くほどのことだろうか?敵が危害を加えたからって、友人が苛々させるからって、息子が失敗をやらかしたからって、召使いが不作法だからって、前例がないほどの出来事だろうか?
・運命の女神があえてやらないことなど何一つない。 (モラル書簡)
・人間とは一体なんでしょう?ほんの少し揺さぶっても、ごく軽く投げても、壊れてしまう容れ物です。・・・弱くて脆い肉体です。むきだしで、自然の状態では身を護るすべもなく、他の人間の助けに頼るしかなくて、それなのに運命の女神のあらゆる悪意にさらされている存在なのです。
・あなたはおっしゃる。―あんなことが起きるとは思ってもいませんでした、と。起きる可能性があることはご存知で、すでに起きた例まで見てらして、それでも起きないようなことが、何事であれ、あるとお思いなんですか?
・セネカが信じる精神像・・・議論とはうなぎのようなものなのだ―どんなに論理的であっても、イメージと文体で固定されないかぎり、精神の弱い把握力ではするりと滑り落ちてしまう。私たちが比喩を必要とするのは、見ることも出来ず、触れることも出来ないものへと感覚を誘導するためで、それ抜きでは忘れられてしまうのである。
・外はすべて狂気の沙汰の騒ぎでもかまいません。心の中に動揺一つない限り。 (モラル書簡 五六)
・自然の法則に、私たちの魂は順応しなければならない。法則に従い、服従しなければならないのです。―あなたが変更させることが出来ないものに対しては、じっと耐え忍ぶのが一番いい。
【モンテーニュ】
・王も哲学者も糞をたれる、貴婦人とてしかり。 (エセー第三巻五章)
・私はひそかに、最も思慮深い男性が性的な体位を取っているところを思い浮かべてみる。すると、こんな男が思慮深いだの賢明だなどと言い張るなんて、何て厚かましいんだろうと思ってしまう。
・異なる種類の存在の基準に合わせて人間の義務を定めるのは、大変に賢いやり方とは言えない。
・どの国にも、他の国では知られていないだけでなく、野蛮で驚きの種になるような習慣や行動がいくらでもある。
・かつて存在した最も賢い人は、何を知っているかと問われて答えた―わたしが知っているただ一つのこと、それは私は何も知らないということだ、と。
・我々はすぐ訊ねる、「彼、ギリシア語かラテン語を知ってるの?」「彼、詩も散文も書けるの?」と。しかし、一番問題になる質問は最後にまわす、「彼、前よりいい人に、賢い人になったの?」、我々は誰が最も多く理解しているかではなく、誰が最も良く理解しているかを問うべきなのだ。我々はただ記憶を満たすために頑張り、理解力も正義不正義の感覚も、空っぽのまま放っておく。
・私が本に求めるのは、自分自身に愉しみと品のいい暇つぶしを与えること、それですべてだ・・・読書をしていて難しい箇所に差し掛かると、爪を噛んで考えるなんて絶対にしない。一度か二度、挑戦してみたあとで、ほったらかす・・・ある本に飽きたら、次の本を手に取るだけだ。
・街角や市場なら場違いに聞こえる言葉を、哲学者が使う理由はない。
・我々は何を判断するにも、博識で膨れ上がっていないものは平凡でくだらないとみなし、これ見よがしに見せびらかされないと、その豊かさにも決して気付かないのだから。
・私は時折、私自身では巧みに表現できないことを、他のものに代弁してもらうことがある。私の言語能力の弱さと、時には私の知的な弱さのせいで・・・また時には、せっかちな批評の向こう見ずさ加減に手綱をかけるために。せっかちな批評はあらゆる種類の著作に襲い掛かる。とりわけ、まだ存命中の人間の手になる最近の著作に対しては・・・私は自分の弱さを彼らの偉大な名声の蔭に隠すしかなかった。
・どんな風に言えばいいのか、我々には判っている。「これはキケロも言っていることだけど」「これはプラトンの道徳論なんだが」「アリストテレスの言葉どおり」、といった具合に。けれど、我々が言いたい事は何なのか?我々はどう判断しているのか?我々は一体何をしているんだ?オウムだって、我々がやっているようになら、立派にいえるだろう。
・我々は何であれ避けがたいものに苦しむすべてを学ばねばならぬ。人生は世界の調和と同じに、不協和音とさまざまに異なる音色とからなっている。甘美さと鋭さと、長調と単調と、柔らかな音と大きな音と。もし音楽家かそのなかのいくつかだけを好んだとしたら、どんな歌が唄えるというのか?音楽家は音のすべての使い方を知り、すべてを混合しなければなぬ。同じように我々も、善と悪とを扱わねばならぬ、それこそが人生の単一の実体をなすものなのだから。
【ショーペンハウアー】
・天才に恵まれた男は、とうてい社交的にはなれない。実際、どんな対話が、彼自身のモノローグほど、知的で愉しいものになりうるというのだ?
・人生には正真正銘の本質的な価値などない。人生はただ、欲望と幻影によって動きつづけるだけだ。
・恋は最も真剣な仕事さえいつでも妨げ、時には最も偉大な精神さえしばらくは途方に暮れさせる。恋はためらうことなく政治家たちの交渉や、学者たちの研究を邪魔立てする。恋は大臣の書類鞄や、哲学論文の原稿の中にさえ、逢引のメモや巻き毛を滑り込ませるすべを心得ている。恋はときに犠牲にすることを求める―健康を、時には富を、地位を、幸福をさえも。
・結婚するに当たって、個人の利益を追求しても種の利益を追求しても、どちらの場合もまちがいなく、結果はよろしくないように思われる。
【ニーチェ】
・僕にとって何らかの関心がある人間に対しては、苦悩を、悲惨を、病苦を、虐待を、屈辱を、僕は望む。―彼らが深い自己嫌悪を、自己不信の痛みを、敗北の惨めさを知らぬまま過ごさぬ事を、僕は望む。
・満足とは、苦痛を避けることによってではなく、苦痛の役割を良き何ものかに至る当然の避けがたい段階なのだと認めることによって、到達されるべきものなのだ。
・最高の最も実り多い人々や民族の生き方を調べてみるがいい。そのうえで、君自身に聞いてみたまえ、誇らしい高さにまで育つはずの樹は、厳しい気候や嵐に遭わずにすむかどうか。不運や外的な抵抗、ある種の憎しみや嫉妬、頑なさや不信、冷酷さや貪欲や暴力、これらは好ましい条件には数え得られないが、これらを抜きにしては、徳性についてさえ、偉大な成長はまず不可能ではないだろうか。
・歩いているとき生まれた思想だけが何らかの価値を持つ。
・憎悪、羨望、食欲、支配への渇望などの感情は、人生を条件づける感情である。人生という有機的一体の中に、基本的にまた本質的に、存在しているに違いない。
・二つの強力なヨーロッパの麻酔薬、それがアルコールとキリスト教だ。
・私たちをいい気持ちにさせてくれるものすべてが、私たちにとって良いものであるとは限らない。私たちを傷つけるものすべてが、私たちにとって悪いものであるとは限らないのだ。