「傷ついて、苦しい思いをたくさんして来たけど、ソレを恨んじゃあいけないよ」──── ってそんな簡単な感じで言って欲しくなかった。そういう経験ある人は多いのでは、と思います。
「その分、人の痛みがわかるからね。」と、続くわけです。

──── 本当にそんなことがあるんでしょうか。
ずっと疑問に思っています。

どれだけつらくて苦しい思いをしても、所詮、人は皆他人。皮膚というバリアを張って必死に外部からの侵入者を拒んでいるわけです。新世紀エヴァンゲリオンみたいなこと言いますが、人は「一体」になることはどうやっても無理です。

「似たもの同士」とか言われると、そういうことを言われて気持ちのいい人もいるのかも知れませんが、私は素直に喜べないタチです。

「誰も私の真実は理解出来ない」と卑屈にはなりたくないけれど、ソレってあながち間違ってもいないと思っています。

それでも人は、一緒にいて心地のいい人という存在を得る場合も多々あるでしょう。異性と、また同性と、共に生きようとするのです。

自分が人間だということに私は大きな不満を持ってとても長いのですが、私が今、共に生きるべき人は、こんな意固地は私を真っ直ぐ愛してくれるのです。

生きる、ということほど、浅ましく意地汚いものもないでしょうが、生まれて来た以上歩いていかないわけに行きません。「望んで生まれたわけじゃない」、そんなものは卑怯な言い訳です。生まれて来たからには、すべてを見返す勢いで、どうか生きてください。

私も、あなたも。

ハッピーエンドなんか無いかも知れない。だけど、そんなもの初めから期待するものでもない。そもそもハッピーエンドを迎えるという保証を、何処で手にしましたか?自分がハッピーエンドを迎えるという思い込みを持っているだけかも知れません。

どんな素晴らしい人生を歩んでも、最期の最期にめちゃくちゃ苦しんで死ぬのかも知れないのです。

でも、その時に、私ならば、心を許した「自分よりも大切だ」と思えるキセキの人が、そばに居てくれるならば、

たぶん、このぐちゃぐちゃに腐った脳みそに、感謝出来るような、

そんな気がしています。
そして、生きて行こうと思うことが出来ます。

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