この前岡山に旅行に行ったのだが、私たち夫婦は
旅先だろうと何だろうと言い合いをする。
その時の話を書いておこうと思う。
夫が岡山に行くならば大原美術館に行きたいと
言った。
大原美術館は世界的に知られる絵画が数多く展示されている西洋美術中心の美術館で、息子にも見せてやりたいと、息子も連れて行きたがった。
私は反対した。美術館のHPにも「声は小さめで。」の文字があり、一歳を過ぎて動きたいMAX期の、しかしまだ日本語がほとんど通じない息子が静かにできるわけがないと思ったからだ。
私は周りの目が元々とても気になるタイプなので、
美術館なんかに子供を連れて行ったら息子が気掛かりで自分も楽しめない、という気持ちもあった。
しかし夫の意見は、
ベビーカーの貸し出しも、おむつ替えスペースも
ある、赤ちゃんに来てほしくないならばそんなことはしない。
迷惑をかけるようならば、その時は退館しよう。
とのことで、決着した。
そしていざ美術館に入ると、案の定息子は、
決して泣いて喚くわけではないが、
うーあー唸っていた。
動きたいから。室内で少し空気が悪いから。
色々理由はある。
ものすごくうるさい、とまではいかないが
館内は声が響くので気になる人はいたのではないだろうか。
そんな息子を抱っこし、
平然と美術館を回る夫を横目に私の内心はひやひや。絵画に集中できたもんじゃない。
そして唸っている息子に対し館内の案内人に、
「おむつ替えスペース、ありますよ。」
と声をかけられた。
私はこれを、
「唸っていてうるさいよ、オムツが濡れて嫌なのでは?変えてあげたら静かにしてくれるかもよ。」
と受け取った。
言い方としては善意というよりは、このように受け取っても間違いのない口ぶりだったと思う。
その時点で私は、
もう出たい、人様に迷惑をかけてまで自分の子供に
絵画を見せなくて良い。
なにも一生行けないわけではない。静かにしてね、が通じる年齢になったらまた連れてくれば良い。
と思った。
なので途中から、
片方が抱っこし外で待機、片方が1人で回る、ことで事なきを得た。
そしてこの後私は夫に、先ほど書いたもやもやした
正直な気持ちをぶつけた。
それに続き、
これ以降は息子を美術館に連れて行くのは止そう。
あなたが行きたいなら1人で行ってきてくれて全然構わない。私は息子と待っているから。それを我慢だとも苦だとも思わない。
と付け加えた。
それに対し夫は。
どうして?
もしうるさくて外に出て欲しいならおむつ云々と言わず、はっきりそう注意してくれれば良い。
そう言われたなら外に出る。俺は息子にも絵画を見せてあげたい。
それにベビーカーを貸し出しているのだから赤ちゃんもどうぞ、という事だろう。
と返された。
全く納得がいかない。
夫の意見は私にとって、
注意されないなら注意されるまではいて良い。
と言っているようなものだ。
例えば子供向けの映画だとしても、終始唸ってしまうような子は映画館には連れて行かない。行けない。
子供が来て良い場所だと判断されているか否かというよりは、静かにできるかどうか、がポイントだと
思う。
まだ唸らない低月齢の赤ちゃんなら、それこそ連れて行けるだろう。息子と同じ月齢でも、ごく稀に静かにできるスーパーキッズなら良いだろう。その子達のためのベビーカーなのではないか。
また、子持ちが皆自分の子に絵画を見せたいと美術館に来たらどうなる?それはしないだろう、皆考えているから連れてこない、TPOがあるからだ。
あなたの考えはあまりに自分本位すぎる。
と返した。
すると夫はこうだ。
じゃあ美術館の人に聞いてみれば良い。
迷惑でしたか?と。
迷惑だったというのならばもう2度と連れて行かない。
と。
はあ。!!!!!!💢
そんなことを聞いて素直に、
はいうるさかったです、と返ってくるとでも?
もう話にならない。
そんなに気になるなら聞けば良い、の一点張り。
他人の目が一切気にならず基本的に自分本位な夫と、他人の目を気にしてオドオドする私では意見は一生
交わらない。
そんな夫が好きな時もたくさんある。自分のことがとても好きで、自分に自信があって、図々しくて、
息子ファースト。
私にはない
(息子ファーストに関しては、「私よりも」ずっと息子ファーストな対応を息子に取っている)
そんな夫の性格や人柄がとても好きだし尊敬している。
図々しいに関しても、一般的には褒め言葉には使わないのだが、私は全く図々しくないので(それも他人に嫌われるのが怖い故ね。。)図々しい人が好きで、これは私にとっての褒め言葉だ(笑)
が、
自己中すぎて何お前?
な時もある。
今回がそう。
どうしても彼の自分本位な意見が気に食わなかったが、そうしていても喧嘩は終わらないので、
では次から、
子供を連れて行って良いのか際どい場所に関しては、前もって施設に電話し、確認をとってから向かおう
ということで終了。
この件を後から思い直し、考えた。
あの時は自分の意見が正しく、誰もが私と同じように感じると信じて疑え、なかったが、
どちらが正しくてどちらが悪いということはないのだと思う。
息子は決して泣いていない。
そして注意もされていない。
館内にあーあー響いてはいたが、他の人のコソコソ会話もそれなりには響いていて、息子の声だけが浮いていたわけでもない。
だから多分私が1番気になっていたのは、
大勢の中のその「1人」でも、
こんな場所に子供を連れてくるなんて自己中な親だ
と思われるのが怖かったのだと思う。子供が生まれてから常に気にしている。常に謝っている。
「うるさくしてすみません。」
非常識な親だと思われたくない気持ちがあまりに強すぎるのだと思う。
息子にも悪い。体裁を気にして謝るビクビクした母親。。
ここからは全体に もちろん限度はある、というのを踏まえて読んで欲しい。
子供達はうるさい生き物だ。誰もが、誰かに迷惑をかけ育ってきた。だから子供達は、社会全体で育てていくべきだ。その方が子供達はのびのびと育てる。そうして後世に、自分達が与えられ育てられた思い遣りを引き継ついでいくべきなのだ。
そうだけど。
じゃあ実際自分が子なしの時に子供に対しうるさいと思わなかったかというと全然思っていた。思うことは思う。思うよ、うるさいよね子供。(私あまり子供が好きではないので)
子持ちになった瞬間、
うるさいけど寛容におね💖
なんて虫が良すぎる。
という過去の私の意見が今の私を必要以上に苦しめているのもわかる。
だから夫の意見も一理あるし、
もちろん私の意見も一理ある。
この正解がない答えは沢山世の中に溢れていて、
最近私が他に考えたのが、
障害がある子供を産むくらいなら、
その子どものことを考えて産まないほうがマシ
vs
障害がある子を不幸だと決めつけるのはおかしい。
論争も然りだと思う。
これにも正しさも間違いもないと私は思う。
私も子供を産んで、もし我が子に発達障害があったら、と幾度も考えてきた。
夫はADHDグレーだが、華々しい学生時代を送れたせいか、自己肯定感がめちゃくちゃに高く、自分は自分で良かったと、自分の発達障害について、卑下したことが一度もない。
むしろ今の自分のパーソナリティは、ADHDである自分も含めて土台となり作られている、と考えている。こんな素敵な人生なのだから子供にもそんな思いをして欲しい。人生は楽しい。
そんな人もいる。だから障害を持って生まれたから必ずしも不幸だというわけではない。
だが障害を持って生まれてきて生きづらい人もまた沢山いる。そういう人からしたら、
生まれてくることこそ不幸、自分は子供は作らない、と思うだろう。
どちらが正しいのか、その人それぞれの生き方や感じ方によって違う。
そもそも、
夫のように人生が楽しくても、その子供は人生楽しくない、しにてえ!な可能性もあるし、(そうならないように親が子どもがどんな特性を持っていようとも、自分を表現できるように導いていくべきだけど!)
人生がつまらなく、辛いと思う親に生まれても、
親と自己を切り離し、自分の力で人生を謳歌する者もいる。
だから正解はないと思うんよ。
まとまってないけどさ、なんか言ってること変じゃね、なところあるけどさ、
だから私が言いたいのは、人それぞれ意見がある。
生き方も環境も違うもん!
何も押し付けるべきではない。ただ考えだけ持っていればいい。
それでいい。
自分に言い聞かせてるような、ブログでした!