ちゃんと投稿できるかな?
本命通った!
やったー!!!
iPhoneからの投稿
やったー!!!
iPhoneからの投稿
さて。
今日は日曜日。
絶好調に若と王子が遊んでいます。
しかーし!
今日の夜はイッテQのスペシャル!
てことで、絶対に見たがる!でもお勉強してないと見せてあげられない!ってことで、
今お勉強の時間になりました。
1~3年生までのドリル、やり残してるのがいっぱい!
なので、まずはそれを消化してもらいましょう★
で、始めたのが1年生の国語のドリル。
ひらがなですよ!
「うわっ、かんたんじゃん」って言ってやってますが、それをめんどくさがってやらなかったのは、1年生の時のあんただよ、と言ってやりたいwwww
線でつなぐ問題も、ちゃんと定規を使うようになって、母は若の成長に涙がちょちょぎれます←親ばか
今日は日曜日。
絶好調に若と王子が遊んでいます。
しかーし!
今日の夜はイッテQのスペシャル!
てことで、絶対に見たがる!でもお勉強してないと見せてあげられない!ってことで、
今お勉強の時間になりました。
1~3年生までのドリル、やり残してるのがいっぱい!
なので、まずはそれを消化してもらいましょう★
で、始めたのが1年生の国語のドリル。
ひらがなですよ!
「うわっ、かんたんじゃん」って言ってやってますが、それをめんどくさがってやらなかったのは、1年生の時のあんただよ、と言ってやりたいwwww
線でつなぐ問題も、ちゃんと定規を使うようになって、母は若の成長に涙がちょちょぎれます←親ばか
市内の準看の発表はまだですが、とりあえず、1校合格したので気分がすごく楽になりました。
おめでとうのメッセージをいただけて、一人じゃないんだなぁって、勇気づけられました^^
ありがとうございます!
さて。
私が准看を受けるきっかけ、について書きたいと思います。
一つは、一昨年祖母が亡くなったことです。
東日本大震災の後、千葉にいた私たちは、春休みに帰省する予定を前倒しにして、3月中旬に実家に帰りました。帰省の日、王子(下の子)が熱を出していました。
でも、余震も続き、原発も危ない中(水素爆発前でした)、日付を遅らすよりも、早く帰ったほうがいいという判断で、熱のある王子を連れて若(上の子)と3人で実家に戻りました。
王子は、1週間くらい熱があったけれど、千葉に戻る頃には元気になりましたが、今度は祖母が熱をだし、高齢(93歳)だったので、念のため入院することになりました。
王子を連れて帰ったから祖母が・・・と本当に苦しい気持ちで、面会も出来ないまま千葉へ帰りました。そのあと、1週間くらいで退院して元気だよ、と聞いたものの、1週間ベッドに寝ていたため、やっぱり足腰が弱くなったらしく、動きたがらないから困ると、母から聞いて、ますます気分が塞ぎました(後悔の嵐!)
それからはちゃんと回復して、歩き回るよううになったのですが、7月の初め。
「おばあちゃん、癌だって。余命、1年くらいだって」
と、母から聞かされました。
黄疸が出ていて、心配になった母が、病院に連れて行くと、「胆のうがん」と診断されたそう。
ただ、胆のうがんは、痛みを伴わない癌らしく、お医者さんから「自分ががんで死ぬとしたら胆のうがんがいいと思うくらいですよ」と言われたそうです。
夏休みの帰省は若の学校の行事などを考え8月に入ってからにしていたのですが、日に日に意識が混濁してくる祖母を見て、母が「夏休みに帰ったらすぐ帰っておいで」と言いました。少しでも意識のあるうちに、若と王子を祖母に会わせたい、とのことでした。
若の個人面談が終わり次第すぐに飛行機に乗りました。
私たちが帰ったときには大部屋にいて、少しは話が出来ました。ひ孫たちを見て笑ってもくれました。おばあちゃんが大好きだった甘納豆、最後かもしれないと思って、羽田で奮発して栗の甘納豆の大きいサイズと、虎屋のようかんを、買って帰りました。もちろん食べれはしなかったけど…。自己満足だな、これ><
そして日に日に衰弱するのがわかるんです。それから間もなく、個室へと移動しました。毎日お弁当を持って母と子供たちと4人で病室に行き、夕方帰る。母のお姉さんも同じくらいの時間に来て、おばあちゃんの周りで賑やかに話をしながらお弁当を食べて、お昼寝なんかしちゃって。子供たちは退屈だっただろうな^^;
意識があることのほうが少なくなって、握り締める手の返す力も弱くなって、呼吸器があるから生きている、そんな状態。胸が詰まって、何度も悲しくなって病室で泣きました。
病室に着くと、まずは「おばーちゃん!今日はどう?元気?」と、大きな声で顔を覗き込みました。「今日はなんか顔色いいねぇ!」そう言って手を握ります。いつものように、ぞんざいな言い方で。調子のいい時は頷いたりしてくれて、それを見るたびにもう、涙が。
でも泣いちゃいけないって思うから、ぐっと歯を食いしばって「おばあちゃんの誕生日には外泊許可をもらうから!みんなでおいわいしようねぇ!」と。
おばあちゃんの誕生日は8/1。最初申し出たときは「最後になるかもしれないからいいですね」と言ってくれていた先生も看護師さんも、このころになると「無理だと思いますよ…帰らせてやりたいけど、ご自宅で亡くなられるといろいろ大変なんですよ、今…」と。
結局、バースデーケーキを買ってきて、病室でお祝いをしました。
それから数日後。
いつものように病室で過ごしていると、母が看護師さんに呼ばれました。
戻ってくると、母が強張った顔をしてこう言いました。
「今日が山かもしれないから、お母さん、今日はここに泊まるわ」
看護婦さんがそろそろかもしれないから、と教えてくれたそうです。
母を残して、私たちは自宅に帰り、何事もなく寝ていた夜中の3時に電話がありました。
「容態が変わったから今すぐにおいで」
寝てる子供たちをたたき起こして、車に乗って病院に向かいました。
母のお姉さんたちも続々と病室に来ました。
祖母には3人の娘、5人の孫がいます。男の子の孫1人は県外に行っていますが、娘3人、婿3人、孫4人、ひ孫2人、そして、はす向かいに住む祖母の妹、みんなが揃いました。
それぞれが手を握り、足を擦り、呼びかけます。
その呼びかけは、ソファに座ってるおばあちゃんにいつものように話しかけるみたいに、「あんた、幸せやったね」「どこも痛くないね?大丈夫ね?」と、悲しいけれど温かいものでした。
そして、家族みんなに見守られて静かに息を引き取ったのです。
こういう風に祖母を見送れたこと、本当に幸せだと思いました。
祖母が愛し、祖母を愛している人たちがみんな揃っていたのですから。
このように見送ることができたのも、看護師さんの配慮のおかげだと思います。
これが、看護師さんになりたいと、思い始めたきっかけです。
(あー。書いてたら涙出てきたよ!ううっ。)
そして、祖母が亡くなった病院が、私の住んでいる市の医師会病院です。
6日が発表です。
祖母がなくなった病院の隣に学校が建っています。
私、その学校で、看護師になるための勉強がしたい!と、強く思います。
合格してると、いいなぁ。
おめでとうのメッセージをいただけて、一人じゃないんだなぁって、勇気づけられました^^
ありがとうございます!
さて。
私が准看を受けるきっかけ、について書きたいと思います。
一つは、一昨年祖母が亡くなったことです。
東日本大震災の後、千葉にいた私たちは、春休みに帰省する予定を前倒しにして、3月中旬に実家に帰りました。帰省の日、王子(下の子)が熱を出していました。
でも、余震も続き、原発も危ない中(水素爆発前でした)、日付を遅らすよりも、早く帰ったほうがいいという判断で、熱のある王子を連れて若(上の子)と3人で実家に戻りました。
王子は、1週間くらい熱があったけれど、千葉に戻る頃には元気になりましたが、今度は祖母が熱をだし、高齢(93歳)だったので、念のため入院することになりました。
王子を連れて帰ったから祖母が・・・と本当に苦しい気持ちで、面会も出来ないまま千葉へ帰りました。そのあと、1週間くらいで退院して元気だよ、と聞いたものの、1週間ベッドに寝ていたため、やっぱり足腰が弱くなったらしく、動きたがらないから困ると、母から聞いて、ますます気分が塞ぎました(後悔の嵐!)
それからはちゃんと回復して、歩き回るよううになったのですが、7月の初め。
「おばあちゃん、癌だって。余命、1年くらいだって」
と、母から聞かされました。
黄疸が出ていて、心配になった母が、病院に連れて行くと、「胆のうがん」と診断されたそう。
ただ、胆のうがんは、痛みを伴わない癌らしく、お医者さんから「自分ががんで死ぬとしたら胆のうがんがいいと思うくらいですよ」と言われたそうです。
夏休みの帰省は若の学校の行事などを考え8月に入ってからにしていたのですが、日に日に意識が混濁してくる祖母を見て、母が「夏休みに帰ったらすぐ帰っておいで」と言いました。少しでも意識のあるうちに、若と王子を祖母に会わせたい、とのことでした。
若の個人面談が終わり次第すぐに飛行機に乗りました。
私たちが帰ったときには大部屋にいて、少しは話が出来ました。ひ孫たちを見て笑ってもくれました。おばあちゃんが大好きだった甘納豆、最後かもしれないと思って、羽田で奮発して栗の甘納豆の大きいサイズと、虎屋のようかんを、買って帰りました。もちろん食べれはしなかったけど…。自己満足だな、これ><
そして日に日に衰弱するのがわかるんです。それから間もなく、個室へと移動しました。毎日お弁当を持って母と子供たちと4人で病室に行き、夕方帰る。母のお姉さんも同じくらいの時間に来て、おばあちゃんの周りで賑やかに話をしながらお弁当を食べて、お昼寝なんかしちゃって。子供たちは退屈だっただろうな^^;
意識があることのほうが少なくなって、握り締める手の返す力も弱くなって、呼吸器があるから生きている、そんな状態。胸が詰まって、何度も悲しくなって病室で泣きました。
病室に着くと、まずは「おばーちゃん!今日はどう?元気?」と、大きな声で顔を覗き込みました。「今日はなんか顔色いいねぇ!」そう言って手を握ります。いつものように、ぞんざいな言い方で。調子のいい時は頷いたりしてくれて、それを見るたびにもう、涙が。
でも泣いちゃいけないって思うから、ぐっと歯を食いしばって「おばあちゃんの誕生日には外泊許可をもらうから!みんなでおいわいしようねぇ!」と。
おばあちゃんの誕生日は8/1。最初申し出たときは「最後になるかもしれないからいいですね」と言ってくれていた先生も看護師さんも、このころになると「無理だと思いますよ…帰らせてやりたいけど、ご自宅で亡くなられるといろいろ大変なんですよ、今…」と。
結局、バースデーケーキを買ってきて、病室でお祝いをしました。
それから数日後。
いつものように病室で過ごしていると、母が看護師さんに呼ばれました。
戻ってくると、母が強張った顔をしてこう言いました。
「今日が山かもしれないから、お母さん、今日はここに泊まるわ」
看護婦さんがそろそろかもしれないから、と教えてくれたそうです。
母を残して、私たちは自宅に帰り、何事もなく寝ていた夜中の3時に電話がありました。
「容態が変わったから今すぐにおいで」
寝てる子供たちをたたき起こして、車に乗って病院に向かいました。
母のお姉さんたちも続々と病室に来ました。
祖母には3人の娘、5人の孫がいます。男の子の孫1人は県外に行っていますが、娘3人、婿3人、孫4人、ひ孫2人、そして、はす向かいに住む祖母の妹、みんなが揃いました。
それぞれが手を握り、足を擦り、呼びかけます。
その呼びかけは、ソファに座ってるおばあちゃんにいつものように話しかけるみたいに、「あんた、幸せやったね」「どこも痛くないね?大丈夫ね?」と、悲しいけれど温かいものでした。
そして、家族みんなに見守られて静かに息を引き取ったのです。
こういう風に祖母を見送れたこと、本当に幸せだと思いました。
祖母が愛し、祖母を愛している人たちがみんな揃っていたのですから。
このように見送ることができたのも、看護師さんの配慮のおかげだと思います。
これが、看護師さんになりたいと、思い始めたきっかけです。
(あー。書いてたら涙出てきたよ!ううっ。)
そして、祖母が亡くなった病院が、私の住んでいる市の医師会病院です。
6日が発表です。
祖母がなくなった病院の隣に学校が建っています。
私、その学校で、看護師になるための勉強がしたい!と、強く思います。
合格してると、いいなぁ。
今日、隣の市の准看学校の合格発表でした。
合格
嬉しい!
学科の手応え、面接の感触から、99%大丈夫だろうとは思ってたけど、年齢と子持ちってのがあるし、不安でした。が!が!!
無事に合格です。
10年ぶりくらいの学生です。
でも、がんばるぞ!
合格

嬉しい!
学科の手応え、面接の感触から、99%大丈夫だろうとは思ってたけど、年齢と子持ちってのがあるし、不安でした。が!が!!
無事に合格です。
10年ぶりくらいの学生です。
でも、がんばるぞ!