道玄坂で仕事を始めてから早2か月余り。


今まで見ていた世界が如何に狭かったのか痛感する毎日。


PCでインターネットの世界の企画を作り続けること早10年。


ビジネスモデルだの、スキームだの、減価償却だの、資金調達だの。


よくよく考えてみれば、会社に居たのに割と独りで動くことが多かった。


成功して当たり前。


失敗したら非難轟々。


わずか数十万の給与のために根回し根回し。


さすがに20年も働いているので、そりゃあ根回しは必要なことはわかる。


けどね、中にはいるわけですよ、労さずして手柄取るって人。


自分はケチな方ではないので、何事につけ括ったり、囲ったりってのは


生来できないわけで、愚痴るのも苦手。


失礼とわかっていてもストレートに物事を言う。


だから動く、ハマる、失敗もする。


疲れも一気に噴き出す。


昔、誰かが言った。


失敗が糧になるさ。


そんなのウソだろ、としか思っていなかった。


ところが最近今までの全ての失敗が糧になりはじめた。


どういうわけかはわからないが、見たことのある、触ったことのある


そんな領域の仕事が次から次に舞い込んでくる。


しかも、一つ一つが大きく、信頼できる仲間で完結できるような仕事ばかり。


今は一心不乱に突き進むしかない段階だけど、


何事も慎重に感じながら進めばいいかな。






あの震災から3か月が経とうとしていて、いろんなことが凝縮されてる

時間をいろんな人々が経験してしまったのだけど、なんだかんだ言っても

日常を過ごさないわけにはいかない毎日が続いている。


震災の時、自分は幸いにも自宅に居た。

トイレの中で、ものすごい揺れを感じたわけだ。


揺れが収まり、町に出てみるといろんな人々が不安げに右往左往。

テレビからの情報は、世紀末的な映像ばかり。

子供たちは余震に泣き、工事をしている人は脚立の上で運試し。

東京の端の町でも、この騒ぎ。

都心はさぞ。


津波を受けた地域の被害は、私の想像を絶するものだと。

地元の方を思うと、ブログなんかでよそ者の自分が語るべきではないと感じる。


そして原発が爆発。

今も放射能漏れは続いていて、確実に海を汚し、空気を汚し続けている。

ものすごい数の人々が命を失い、家、財産を失い、仕事も失った。


天災なのか、人災なのか入り乱れていて怒りの矛先は3か月経った今でも

よくわからない。


白でも黒でもないグレーな、実は日本人が得意としている領域に

問題が山積しているので、時がいろんな事象を包み込んでいくのだろう

と思うより他ない。


被災地の仙台で過去に仕事をご一緒した方がいた。

彼の会社は若林区にあり、津波で被害を受けた地域に隣接している。

人を介して、無事を確認し、少し安堵した。


あれから3か月。無事を確認した知人から電話があった。


彼が交通事故で亡くなったそうだ。


彼は震災という非日常の悪魔からは逃れられたが、

自動車の運転という日常の悪魔に取りつかれて、連れて行かれた。


人間、いつ何があるかなんてわからない。

想定外が想定内であっても、安全とは言い切れない。


そんな状況でも、最期まで笑って生き抜くタフさが

これからのニッポン人には必要なんだと思う。