挨拶を軽視したり無視する人が最近多いなと感じます。仕事などで同僚、部下、上司、お客様と様々な立場の人と接する機会がありますね。自分にメリットがあるから挨拶する、無いからしない。そんなドライな人達を見かけます。

挨拶は相手とコミュニケーションをスムースにする為の潤滑油の様なもの。
相手を気にかける行為ですね。

挨拶されると自分を気にかけてくれて
るんだなと相手の愛を察する行為でもあるんだと思います。そういう意味で字は違いますが、愛察でもあると思います。

挨拶を返してくれない人に、最初は
声が聞こえなかったかな?
タイミングを間違えたかな?
機嫌が悪いのかな?

などと思っていたのが次第に、

何か気に障る事言ったかな?
嫌われたのかな?

失礼だな…

挨拶も出来ないのか!

と、段々エスカレートしていく感情になりかねません。

いつの間にか、愛するより、自分が愛される事にすり替わってしまいます。
知らず知らずのうちに相手に見返りを期待する様になってしまいます。
これは大変傲慢で利己的な感情だと思います。

好き嫌いで人を判断しない為にも、自分は与えるだけで良いのだと人からしてもらう事ではないと、割り切る事が大切です。

挨拶を無視されても与えるだけで良いと
挨拶が返ってこなくても見返りを求めず、相手の反応は自分の義務とは無関係だと、ただ与え続ける事だと心を固める事が大切です。

基本的な事かも知れませんが、
挨拶は小さな利他愛。

利他愛を続けるには寂しさに負けないタフな心が必要です。無視されても気にしない。自分が相手の存在を認めて大切に思う気持ちを伝える。

小さな利他愛の実践を今日も明日も続けよう。

分け隔てなく、人を愛する練習として。まずは日常の小さな事から。

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「好感を覚える人を愛するのはやさしいことです。そこには徳性も神聖さもありません。好感のもてない人を愛する―これが魂の霊格の高さを示します。」
『シルバーバーチの霊訓(1)』(潮文社) p.142