今から、40年程前、最初の結婚で主人の両親の意向で.親が用意してくれた新居に住まずに、奈良の西大寺に挙式後住む事になりました。母は、長女の私を家付きの嫁として嫁がせるつもりだったのが、相手方には内情婿養子として息子が私の家に甘える事が嫌だったのでしょう。母は、そんな私達の将来を心配して、とある有名な占師の処に連れて行って、屋移りの方位を調べ、結婚後の私の人生について意見を伺う事になりました。方位は、私の財政である西(梅田近辺)にするように言われましたが、その頃主人も私も東生駒のNHK実験放送局に勤めていて、通うのに便利で近い所に入居し、参考程度に占師の意見に耳を傾けるに留まりました。 占いは、結婚式の直後に的中し、主人は、西の方位の梅田に転職その後、世界取材になり奈良には戻らず、NHKも実験終了、私は実家の直ぐ近くの中学校に週2日、美術の非常勤の教師として教える事になったのです。
一年に数日しか帰って来ない多忙な夫をよそに、私は、古都奈良を散策しながら一人優雅に百人一首を歌いながら、子供時代
のカルタ遊びに浸っていたのです。
そんな私を気にかけてくれる斜め向かいの未亡人のの年配の女性がいました。実家が代議士の家で上品な言葉遣いと女優であり、画家であった似た境遇の私にアレコレと話相手になって下さったのですが、四柱推命の免許皆伝の彼女は、占い師としてデビューする際に、私の父に看板を書いて欲しいと乞うてきたのです。
父は、今でも書道を習った私よりも達筆で、本当に素晴らしい書家でした。礼にと云って、彼女は、私と主人の運勢を四柱推命で見て下さったのですが、その中で特別印象に残ったのが、天之鈿女(あめのうずめ)の相の話です。
彼女千香(ちか)さんが、1000人近く見た中で、私の様な相を持っているのは、従妹だけだそうで、天戸開きの際に天照を誘い出す為に踊る、そんな神憑りな存在だと云うのです。
私は、人は元より霊的な存在だと思っているので、さほど気にも留めていなかったのですが、還暦の60を堺に私の第二の人生と運命が開示されて、言霊100神MOMOの絵師佐々木章子としてHPを作成しながら、この神様の一神ー神を舞い踊り歌と音楽を作って、動画サイトで発信しなくちゃと、まるで、自分のこれからの運命と人生の目的が指し示された様に思ったのです。
これに、似た感じが、日本に帰って初個展をし、作品の収入を受け取りに個展会場のギャラリーに行った際、そこで見た着物の絞り染めの花札の坊主を見た瞬間、自分のするこれからの仕事の予感を見せられた様に、心惹かれ、目が釘付けになったのです。
雷に打たれた様なショックは、2人目の主人が亡くなる前の神の頼み事を思い出させました。
人である私に神様が頼みに来るなんて畏れ多いこと過ぎて、私は、神頼みはするけれどその逆があるなんてとんでもないこと、と思って何度も、何日も断り続け、不眠症になっていたのです。
でも、その花札の坊主にまとわりついたカエルと誰を表した訳でもない傘をさした雅な宮廷人を見た瞬間、時が来た事を知ったのです。それは、神と私の契約であり、約束だったのでしょう。この世に生まれて来る前の。
私は、その宮廷人が陽成院の様に思えました。数々の奇行で知られる冷泉院の息子です。私が仕事に行った京都御所には、未だに陽成院の幽霊が出ると書いてあります。
佐々木の祖である宇多天皇とも関わっており、陽成院に自分の実の妹と縁組させたのです。
その時の和歌は、百人一首の中の、一番のお気に入りで、情熱的で率直な歌が鯉にかけられてまるで無数の恋の淵となった有り様が目に浮かぶようでした。
そして、彼の事を思いながら書いた書の文字が、思いもしない風変りな字体で、私は、この文字を何時しか知り書く事になるのだろうなとぼんやりと思っていたのです。
