( 119 ) ラオス:世界で最も空爆された国 | ( 儂 ) 伏 波 将 軍全球連合協會 (ヌン)ふくは将軍全球連合協会

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と思ったあれこれを書きました....ノープロなので,よろしくお願いします(プニュっ❤︎)


🔺私はNo.6(末っ子です)

 

ラオスで生まれた私は, 三才の時, 家族8人で

タイに密入国して, 台湾に逃げた難民華僑です

両親から, 詳しい話を聞いたこと

無かったのですが, 最近以下の記事をみて
衝撃を受けました, 私達の将来を考えて
海外に連れてってくれたことを
改めて, 両親に感謝です 🫲💖🫱

日本戦争を経験しているので
改めて, 戦争はしちゃいけないと思いました
平和に暮らせるありがたみを
今まで以上に, 増し増しで持って
生きたいと思いましたプンプン愛飛び出すハート

 

 

 

 

   ラオス:世界で最も空爆された国   

 

 引用元▶  ラオス:世界で最も空爆された国

- GNV (globalnewsview.org)

 

1964年~1973年の間, ベトナム戦争と並行し

ラオスはアメリカから空爆を受けた。

 空爆の回数  は約58万回。

 驚くべきことに, 時間に換算すると9年間     

 8分に1回の空爆が行われたことになる。     

 落とされた爆弾の量は200万トンを越える。

 当時のラオスの人口で計算すると, 1人当たり

 1トン の爆弾が落とされたことになる。      

ラオスは「 一人当たりの空爆の数が

世界で最も多い国 」なのだ。

その余波は現代にも残っている。

土壌に残る不発弾(UXO)による被害が

戦争から約40年経った今でも問題となっているまた, 空爆が残した不発弾や

クラスター爆弾のケース, 

その他爆弾の残骸の量があまりにも多すぎて

特に農村部では, その残骸をそのまま

生活用具に使ったり, あるいは再加工し

スプーンやアクセサリーにし, 

観光客に売って, 収入を得る

「爆弾残骸ビジネス」が存在する。

 

しかし爆弾処理を行うのは専門家ではなく

専門知識を持たない村人がほとんどである。

村人や子供は爆弾の残骸を拾っている最中や

再加工中に不発弾被害に合う危険性がある。

しかし, 貧困部に住む人々によって

不発弾の利用は生活の糧となっており

簡単にやめることができないのだ。

 

🔺プランターとして再利用される

クラスター爆弾のケース

(Giovanni Diffidenti/Flickr)[CC BY 2.0]

 

 

 

 空爆の歴史的経緯                                   

 

フランスの植民地支配下に置かれていた

ラオスは, 1953年に独立を果たした。

しかしラオス国内で独立後の政治主導権を

めぐって, ラオス王国政府と

共産主義勢力であるラオス愛国戦線

(パテト・ラオ)が対立し, 紛争が勃発した。

 

アメリカ政府は王国政府を支援する一方で

愛国戦線に抵抗した。

同時期に, 隣国のベトナムではベトナム戦争が起こっていた。アメリカの支援する

ベトナム軍ベトナムの支援する

南ベトナム解放民族戦線争った。

 

この間, 北ベトナムはパテト・ラオ

支援をする一方で,王国政府に圧力をかけていた

アメリカは, 当初は直接的な軍事介入を避け

中央情報局(CIA)が中心となり

ラオス北部おける,ベトナムの作戦を

妨害するために, ラオスの山岳部隊に

ゲリラ訓練を施した。

 

しかしベトナム戦争において

北ベトナムの優位が高まると

1964年にラオスでの秘密作戦の一環として

空爆を決行した, 目的は大きく分けて2つあった

❶ 共産主義勢力であるパテト・ラオへの攻撃だ

    当時冷戦時代だったことを考慮に入れると

    アメリカは北ベトナムの影響による, 

    ラオスの共産主義化を断ち切る必要が

    あったのだ

北ベトナムから南ベトナム解放民族

    戦線への兵力・戦争物資の供給路線である

   「ホーチミンルート」を打ち切ることだ

 

ベトナム戦争において, 

北ベトナム・南ベトナムを隔てていた

非武装地帯は非常に厳重な警戒元に

置かれており, 非武装地帯を経由して

北ベトナムから南ベトナムへの支援を

行うことは不可能だった。

そこで北ベトナムは, ラオス・カンボジアを

通って南ベトナムに至る山道などに

構成される「ホーチミンルート」を

使用するようになったのだ。

ラオスでの秘密作戦を機に, 

CIAは従来の非常に小さな諜報機関から

大きな力を持つ  準軍事機関  へと形を

変えていくこととなった。

 

また, ラオスは  爆弾の投棄地  としても

利用された。タイでの米軍基地から

ベトナムに向かったアメリカの空爆機が

ベトナムでの本来のターゲットを

爆撃できなかった際, 爆弾を積んだまま

着陸することができないので帰路にあった

ラオスに爆弾を投棄したのだ。

 

UXO-NRAのデータマップを元に作成

UXO-NRAの爆撃データマップを元に作成

 

 

 

 不発弾の現状                                          

 

不発弾について大きな原因となっているのは

クラスター爆弾だ。

クラスター爆弾は1つの爆弾の中に

数百もの小爆弾が内包されていて

それらが空中で飛散する仕組みになっている。この小爆弾はすべてが爆発する訳ではなく

多くの不発弾が発生する。

ラオスでは1964〜1973年の間に

約2億7,000万個のクラスター爆弾による

小爆弾が落とされた。そのうち約8,000万個

つまり約30%が本土に残っている。

 不発弾被害にあった人の数は 

1964年から2008年の間で5万人以上

そのうち戦後の被害者数は2万人にのぼる。

5万人の被害者のうち40%は子供だ

不発弾は小さく見た目がおもちゃのように

見えることもあり, 子供は大人に比べると

被害に遭いやすい。

被害は人的なものだけではない。

 

不発弾が土壌に残っていることで

土地の利用コストが高くなり

また土地開発の際のリスクが大きくなる。

したがって土地利用が制限され

インフラ整備や農業活動が制限される。

農業活動に関しては, 危険の中でも農業を

行わなければならない家庭がほとんどである。

 

ラオス政府機関2015年の年間レポート

によると, 2008年の年間総被害者数は302人。被害者数は年々減少しており

2013年以降は50人を下回っている。

NGO等の行っている不発弾除去や不発弾に

関するリスク教育の成果は出ていると言えよう

 

しかしながら, 戦後40年間で除去された

もしくは破壊された不発弾は

全体の1%に満たない。

世界のクラスター爆弾の不発弾被害の

半数以上がラオスで起こっているという

現状がある。

クラスター爆弾から残った小さな不発弾

クラスター爆弾から残った小さな不発弾

(Steve Joyce/Flickr) [CC BY 2.0]

 

 

 問題への対策                                           

 

ラオス政府は1996年に国連開発計画(UNDP)の

援助を得て, 国営の不発弾除去機関として

UXO Laoを設立した。国営機関だけでなく

NGOや国際機関も不発弾問題への取り組みに

大きな役割を果たしている。

その例として, 世界40カ国以上で不発弾

地雷の除去活動をしている 

Mines Advisory Group(MAG)

イギリスで設立された地雷除去NGOの

 HALO Trustなどがある。

 

これらの機関は地雷除去だけでなく, 不発弾に

関するリスク教育にも大きく貢献している。

さらに国営・非国営を含め幅広く, 

不発弾除去活動を監査する機関として

2005年には, 不発弾処理活動の

国営監査機関の UXO-NRAが設立された。

この機関の2015年の年間報告によると

この年に25万人以上に対しリスク教育が

行われている。

アメリカは, 1993年から2016年にかけて

年間平均で 490万ドル の支援をしている。

しかしながらこの額は全く十分ではない。

爆撃の際には一日に約1,330万ドルが

費やされていることからも, 

そのギャップが分かるだろう。

アメリカからの支援には2016年に

新しい展望が見られた。

 

オバマ大統領が現職米大統領として

初めてラオスを訪問。

「ラオス, アメリカ間の歴史を顧みると

アメリカはラオスを支援する道義的責任がある

と述べ, 今後3年間で不発弾撤去に

年間3,000万ドルの支援をすると宣言した。2016年以前の年間平均支援額490万ドルと

比較すると, 大幅な増額である。

 

 

 

地雷除去活動の様子

 

 残るクラスター爆弾の問題                         

 

将来に渡って甚大な被害をもたらす

クラスター爆弾に対し, 国際的規制の動きが

強まっている。その最たる例が

2008年に署名, 2010年に発効された

クラスター爆弾禁止条約である。

 

この条約の背景には, 対人地雷条約による

成果と勢いもあり, 世界200以上の市民団体

NGOの連合体である 「クラスター爆弾連合」による活動も貢献した。

この条約はクラスター爆弾の保有, 製造, 使用

および移動を全面的に禁止したものであり

現在94カ国が批准している。

 

一方で, アメリカ, 中国, ロシア等の大国が

加盟していないなど課題も残っている。

また, この条約は非批准国での

クラスター爆弾使用の抑制を加盟国に

義務づけるものでありながら, 

2010年以降, 非締約国7カ国で

 クラスター爆弾の使用  が確認されている。

その大半は  イエメン  と  シリア 

使われている。

 

アメリカのラオス支援において,  

大幅な動きが見られた一方で, 米国防総省は

2017年にクラスター爆弾使用に関する

新政策を発表した。

 

その中で, 2019年までにクラスター爆弾の

使用を中止することを義務づけた従来の計画を

撤回する 見通しであることが明らかになった。覚書において「現行のクラスター爆弾に取って

代わる高度で信頼性の高い爆薬が

導入されるまで, 効果的かつ必要な戦力として

クラスター爆弾を保持する」と言及している。

ラオスをはじめ, 世界各地で眠っている

不発弾は今も被害をもたらし続けている。

 

ラオスの不発弾問題は, ラオス政府, 国際機関

NGOなどの努力や, アメリカからの支援額が

増えたことで, 改善する可能性はある。

しかし, 未だ除去された不発弾は

全体の1%以下という現実がある。

世界全体でのクラスター爆弾対策は

条約締結による進展がありながらも, 

その威力と効果から手放そうとしない

大国も多い。現在も使われている

クラスター爆弾の撲滅への道のりは遠い。

ラオス:パークベン村の風景

 

 個人的感想                                               

 

この記事を見て, 平和の大切さ, 
平和に暮らしてこられたこと, 
平和な日本に連れて来て, 暮らせていることを

改めて両親に感謝しています。