「昔の自分なら否定してるな」
そう思うことが度々ある

それは様々な人生経験を積んで(言うほど大層なものではないが)どんなにしょーもないと思うものでも作ってる人は必死なんだ
ということを理解したからかもしれない
もしくは、何かを否定する事が巡り巡って自分を否定される事に繋がるんじゃないかという恐怖に耐えられず、単に日和っているだけかもしれない

どちらにせよ昔よりも僕は物事を否定しなくなった気がする


人の精神は何才まで成長し続けるのだろう?

僕はよく自嘲気味に
「中学2年で成長が止まってる」
なんて言うし、そう言っている人も見かける
だけどそれが100%真実なわけがないし、
その言葉の裏には
「童心を忘れてない無邪気な自分、どや?」
という女性へのセルフプロデュースというかアピールも含まれていると思う
流石に中学2年の頃よりは視野は広がっている

記憶をたどっていくと、僕の精神のざっくりとした成長過程はこんな感じだ

中学生の時
好きな音楽や漫画ができる
それまでは「好きだから読んでいる」
という感覚は無かったような気がする
僕の場合は姉が聞いていたCD 読んでいた漫画をただ与えられたから読んでいただけだった
それが中学生になって自分で多少の取捨選択をして購入し、友達に勧めたりなんかする
その友達が「これ、良いね」
なんて言ってくれたら天にも昇る心地だったのを覚えている


そして高校生になって「否定する」ということを覚え始める
これがなかなか厄介で、この高校生病をいつまでも引きずっている大人と会話すると、とてもゲンナリする

例えば友達が勧めてきた漫画を否定する
そうする事によって、そいつよりも自分は「わかっている」奴だという錯覚を生み出せる
最近の言葉で言う「マウントを取る」
というやつだ
これは今まで音楽や漫画を「好き」としか言ってこなかった高校生にとっては甘美過ぎる味わいである


これをいつまでも味わい続けようとすると
人は「否定中毒」になってしまう
流行り物はとにかく否定する
人気の場所やタレントなんかは血眼になって粗探し
そうする事で自分が少しでも上等な人間なんだ、と
小さな部屋で一人美酒に酔いしれる




そしてそんな病が大学生くらいまで続いて、22.3才くらいからようやく
「流行り物だろうがなんだろうが良いものは良い」
という精神に行き着く
そうすることでようやく
自分なりの良し悪し
人に流されない判断基準
を獲得する事ができる

こうして
「とりあえず何でも好き」期から
「よくわからんけど否定してみる」期を経て
自分なりの物差しを完成させた20代
今後、30代になったら一体どんな精神になり、どんな物を好きと言いどんな物を嫌いと言うのだろうか

間違っても
「どっちでもいい」とか
「知らん」
なんてつまんないことを言う大人だけにはならないようにしたいと思う





何かを好きになるには 別に理由はいらないけれど
何かを嫌いと言う時は きっちりとした理由を説明できないとダメな気がするんです

昔こんなことをTwitterの「蒼井優bot」が呟いていたのを覚えている
何かの雑誌のインタビューとかでの発言なのだろうか
とても素晴らしい言葉だと思うし、今でも僕は指針として強く抱いている言葉だ
この上ない格言だと思う
流石は蒼井優  大好きだ