清明節休暇スタート。

今年は安徽省にある義父のお墓参りに行くことにしてて、渋滞回避のために朝5時半に家を出た。

 

上の子は先日の検査結果を受けて、大事を取って行かないことにした。

入口からお墓まで結構歩くし、霊園は全くバリアフリー仕様になってないから、松葉杖の人が行く場所ではないってことで、上の子は家でお留守番してもらうことにしたのだ。 

いとこのDちゃんが時間があれば家に来ると言ってたし、なんとかなるっしょ。

  

道中は比較的スムーズで、思ったよりも早く現地入りできたので、直接霊園に向かった。

 

中国では陰陽を考えて、お墓参りを午前中の早い時間に済ませる人が多い。

私たちは午前中の遅い時間に着いて、ピークを過ぎてたから駐車場にすんなり入れて良かった。

 

ピークは過ぎてたけど、霊園はそれなりに人がいた。

 

ウチの親戚は清明節当日にお墓参りをするのはタブーと言ってたけど、そうする人とそうしない人、どちらもいるんだと思う。

だって、本当に清明節当日のお墓参りがタブーならあんなに混まないはずだもの。

 

ちなみに、お墓参りは清明節当日にすべしっていうエリアもあるらしい。

こういう風習は外野がどうこう言っても仕方ないので、義母と旦那の思うようにやればいいと思って私は口を出さなかった。

   

そう言えば、義父のお墓があるエリアは一時期爆竹が禁止されてたけど、今年の春節から解禁になったと言ってた。

日本の墓地は静かなのが普通だが、中国ではお墓参りに爆竹を鳴らす人がいて結構うるさい。

爆竹やお線香の煙を吸いながらお墓参りを終えて、お昼ご飯を食べに一旦市内へ戻った。

 

市内に万達広場が2つあって、親戚のお店に近い方の万達に行った。

着いたら声をかけるように言われてたけど、自分たちで好きなモノを食べたかったし、お店のお仕事もあるだろうからと思って声はかけなかった。

どうせ、夜、会うし。

 

お昼を済ませ、車で1時間くらいかけて田舎に住む旦那のおばあちゃんの元へ。

おばあちゃんはちゃんと私のことを覚えてくれてて、最高のスマイルと共に迎えてくれた。

 

御年92歳。

 

前行ったときよりも更に小さくなってると感じたけど、毎日ご近所さんとマージャンをして元気いっぱいだと言ってた。

 

田舎に行ったのは3年ぶり。

大方の景色は変わってなかったけど、近所にあった小学校がなくなって党のなんとか委員会の事務所になってた。

前に行ったときは、子どもを何人か見かけたけど、今回は清明節で出かけてたのか、そもそも子どもがいなくなったのか、私たちが滞在してた間、小学生くらいの子供を1人も見かけなかった。

 

事務所横の掲示板には村民1人1人が受け取れる経済補填金の金額一覧が貼られていた。

 

元軍人さんとかだと3,000元くらいもらえて、おばあちゃんは高齢なので最低生活保証金の対象者になってて、それが300元/月くらいだった。

 

軍人さんとおばあちゃんの保証金、その差10倍!

やっぱり元軍人とか政府関連の仕事をしてた人は強いなぁと思った。

 

 



これは、おばあちゃんの面倒を見る為に田舎に戻ってきたおばさんが、最近仕事を始めたと言って連れて行ってくれた作業場だ。

バドミントンのシャトル向けのガチョウの羽の選別作業をしてるんだって。

 

ガチョウの飼育場などから調達した羽を村の作業場に運び、おばちゃんたちが数人で選別作業をし、グレード別に仕分けして、例えばAグレード品だと500gあたり10元、Bグレードは8元などで卸していると言ってた。

 

Aグレードの羽を見せてもらったけど、確かに毛並みが揃ったバトミントンのシャトルに適した状態のモノだった。



作業場の環境は決して良いと感じなかったが、おばさん自身はご近所さんと和気あいあい作業する時間が楽しいと言ってて良かった。

 

 

あと、委員会の掲示板の下にBYDの援助に感謝してるっぽい内容が書かれた横断幕がぶら下がってた。

 

大企業が田舎のサポートをさせらるのはウチの会社もやってることだから別に驚かないけど、BYDって民営企業だよなぁ、民営でもやるのかなと思って聞いてみたら、旦那がBYDの創業者は安徽省出身だと言ってて、納得した。

今調べてみたら蕪湖出身と書いてあって、確かにおばあちゃん家と蕪湖は近い。

 

 

夜は親戚のほとんどがおばあちゃん家に集まって大宴会。

旦那は抗生物質を服用中なのと、この日の運転の疲れがあるのと、翌日も運転して帰らなきゃいけないのでお酒を丁重にお断りし、私が代わりに皆と乾杯することになった。

 

別に私が運転して帰っても良かったのだけど、中国式の宴会には慣れてるでしょとか言われて、皆は白酒を、私はワインを飲んだ。

 

個別で乾杯するときに相手がいちいち立ち上がって私よりもグラスを低くして乾杯してきてくれたのが嬉しかった。

義父は兄妹の中で一番上、旦那は「哥」、私は「嫂子」と呼ばれてて、相手がそうするのが礼儀なんだけど、会社の宴会だと私がグラスを低くする方だから、なんか変な感じだった。

 

こういう礼儀は都会、田舎に関係ないんだなと思った。当たり前っちゃ、当たり前か。