shanerararaのブログ

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多発性骨髄腫になってからの日々

Amebaでブログを始めよう!

久々のブログアップに皆さん驚かれたと思います。

息子に言われて、ブログを再開することにしました。


自分で打つのは無理なので、息子に頼みました。

なのでこれは息子の代筆です。


先週の水曜から入院しています。


突然、6月14日(火)の真夜中に、夫にも相談せず、最後の入院を決心してしまいました。


あまりにも家にいることが辛く苦しいので、もう限界を超えていると思い、永久入院の方が良いのではないかと決心しました。


もう二度とJOYに会えません。


6月15日(水)8時、夫に入院したいと伝え、8時30分に病院へ電話してもらいました。


その後、夫はJOYの散歩に出かけました。


そのとき、夫は今回の入院が最後の入院になるとは思っていなかったと思います。


病院に着き、診察を受けました。


主治医は「これが本当に最後の入院となり、二度と家に帰ることができなくなりますがよろしいですか?」と何度も念押しをしました。


私は「JOYを何度もぎゅーっと抱っこしてきたので大丈夫です」と伝えました。


夫は覚悟をしていたものの、そこで初めてずっと入院することになると知りました。


その後入院する部屋の準備を待ちました。


いったん一人部屋に入りましたが、すぐに他の一人部屋に移動になりました。


翌日14時過ぎ、ふと目覚めると目の前に父と妹と夫がいて、とても驚きました。


それを見て、私としては明日をも知れぬ命だと思い、息子に電話をかけ、すぐ来るように伝えました。


「明日じゃ会えません」と何度も言いました。


息子が来るまでの間、友人に電話をひたすらかけました。


その日は自分としては誰に電話をかけたのか分からず、目を開ければ電話、目を開ければ電話、というようなものであったと思います。


電話をかけたといっても、誰と話しているのか分からず、開いたアドレスのページに載っている人からかけました。


今考えてみると、電話をかけたのは「ま行」からでした。


でも、ほとんど誰に電話をかけたのか覚えていません。


自分の中ではいっぱいを電話をかけたましたが、平日の昼間で皆さん忙しく、あまり電話に出てはもらえなかったのです。


電話に出てくれたみんな、ありがとう。

懐かしかったよ。


その間で、父がおいおいと泣くのでハグをしました。

私が「先に逝ってごめんね」と言ったことで、さらに父は号泣したので、またハグをしました。


その後、目覚めると今度は息子もいました。


久しぶりに息子の頭を撫でて、息子の小さい頃に抱っこしたことを思い出しました。


これこそが、息子との今生の別れなのかなと思ったりもしました。


なのでなるべく長い間、撫でていたいと思ったけれど寝てしまいました。


「産んでくれてありがとう」と息子に言われ、まさかそんなことを言われるなんて思ってもいなかったので、号泣してしまいました。


私は「もっと長く生きたかったよ」と息子に言いました。

すると息子は「でも(今まで生きてくれた)おかげで元気に育ったよ」と言いました。

私は「うん、いい子に育った」と言いました。