お正月が明けた最初の週末は、成人の日を含めた3連休になっています。
能登半島地震の被害の全容もまだはっきりしていない中ですが、散策に出かけました。

今回はその2回目です。
 初回の記事は こちら です:
 https://ameblo.jp/shanehashi/entry-12835796073.html






窯垣の小径で、しばし猫を眺めた後、尾張瀬戸駅に戻りました。
ここで栄町行の普通電車に乗車しました。



駅に着いた時、10:48の電車が発車する直前で、急げば乗れるタイミングでしたが、慌てずに次の電車に乗ることにしました。
そのおかげで、進行方向先頭車両の一番前の席を確保する事が出来ました。




ちなみに、栄町は名古屋市の中心地です。
瀬戸線は、小まめに停車して栄町に向かいます。

尾張旭を過ぎ、住宅地を抜けると車窓に天守が見えてきました。



こんなところに天守のあるお城があったのか、と思って調べてみると旭城というお城で、天守閣は観光用の展望台のようです。
しかし、この旭城は中世の古城・新居城のあった場所だそうです。
となると、ここにもいかないといけません。


途中駅から次々に乗車があり、車内も混んで来ました。
JR中央本線との接続駅・大曾根到着前の様子です。



大曾根からは高架を走り、やがて地下に入ります。
地下にはいると程なく栄町です。



この栄町駅はTV塔(いまはみらいタワーというそうですが・・・)の真下にあります。
実は、名古屋へは毎日通勤で出かけていますが、この栄の中心に来たのは、もう20年ぶりくらいかもしれません。

お昼ごはんを食べ、TV塔を眺めてみました。



碧い空に映えるTV塔は綺麗でした。


栄からは再び瀬戸線に乗り、大曾根の一つ先、矢田に向かいました。

 


橋の南側には瀬戸線の橋梁があります。



電車の向こうにドーム球場も見えていました。
そして、北側遠くにはJR中央本線の橋梁が架かっています。
昨年3月にデヴューした315系の電車が駆け抜けて行きます。



瀬戸の散策、瀬戸線の乗車と前振りが長くなっていますが、いよいよこれからがお城巡りの旅です。
矢田駅の東側の矢田川を渡ります。

この右手にこんもりとした杜が見えているのですが、そこが守山城址です。

高台に宝勝寺というお寺が建っています。
その裏手に城址があるという事です。




守山城は、築城年や築城者が分かっていないそうですが、三河を平定した松平清康が1535年(天文4年)に尾張に攻め入った際、守山城大手門あたりで、家来に忙殺されるという事件が起こっています。
松平清康は、徳川家康の祖父で、急速に勢力を伸ばしており、将来は天下を獲るとまで嘱望されていた人物です。

 



城址が立ち、案内板もありましたが、住宅地に残されたのは、櫓台だと思います。
北側は急坂となっており、西に延びる高台に曲輪が広がっていたように思います。
下の写真は、守山城址の北側の様子です。




守山城から東に2kmちょっと離れた所には小幡城があります。
小牧・長久手の戦いの際に、舞台となったお城ですが、次の目的地はその小幡城でした。

矢田駅に戻り、二駅目の瓢箪山駅で下車しました。
ホームがとても狭く、電車が行き過ぎてからでないと歩くのも怖い程でした。



小幡城は瓢箪山駅から北に歩いて15分程です。
街中を歩いて行ったのですが、なんと途中から雨がポツポツと落ちてきました。

その日の天気予報は晴れで、午前中は天気予報通り良く晴れていました。
午後になって雲が多くなったなとは思っていましたが、まさか雨が降るとは思いませんでした。

スマホで調べてみると、しばらく小雨が続くようなので、小幡城は諦めて瓢箪山駅に戻ることにしました。
瀬戸線沿線にはいくつか古城があるので、次回はそれらの古城を丹念に訪れようかと思います。

尻切れトンボの瀬戸線の旅でしたが、帰路は再び愛知環状鉄道で帰りました。



瀬戸市駅で乗り換える前、藤井聡太8冠が小学校の頃に通っていたという将棋教室まで行ってみました。
普通の民家ですが、ここから将棋界一の大棋士が誕生したかと思うと、感慨深いものがありました。

~ 完 ~

 

 

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