今日は、本編のホームページに、油壷の散策記をアップしました。
本編のホームページは こちら です:
http://shanehsmt.html.xdomain.jp/index.html
油壷は、三浦半島の先端近くの西側に岬状に突き出たあたりです。
鎌倉時代から室町時代の中期にかけて、鎌倉幕府の有力御家人だった三浦氏の居城・新井城が、この油壷にありました。
新井城の登城記はこちらです。
http://shanehashi.html.xdomain.jp/Oshiromeguri/Kanto2/AraiJyo.html
ちなみに三浦半島は、横浜の南に突き出した半島です。
最寄りの京浜急行電鉄三崎口駅からバスで13分で油壷温泉に着きます。
この停留所がバスの終点で、油壷の岬のすぐ近くの高台にあります。
高台からは、岬の南側の油壷湾が一望に出来ました。
撮影: 2012年4月
この辺りは、三浦氏の居城・新井城の城内になります。
1516年(永正13年)、三浦氏は北条早雲によって攻め込まれ、滅んでいます。
その際、油壷湾には戦死者の血が多く流れ込み、まるで油がは投げ込んだかのような色になった為、油壷という名前になったと言われています。
高台から散策路を下って波打ち際まで下りてみました。
入り込んだ油壷湾の奥にはヨットハーバーがありました。
撮影: 2012年4月
下の写真は、油壺験潮場です。
撮影: 2012年4月
1891年(明治24年)に旧日本軍が建てたものです。
現在は国土地理院が管理しています。
1995年まで現役した。
岬をめぐる遊歩道を歩くと、岬の先端近くにある浜辺に出ました。
撮影: 2012年4月
夏は海水浴場となる荒井浜です。
海はとても穏やかでした。
荒井浜から岬の北側を目指しました。
下の写真、左手の高台は、一つ南側の岬の先端にある諸磯崎で、先端の海の中には灯台もあります。
撮影: 2012年4月
岬を巡り、西から北側に向かいました。
油壷から西側には遠く富士山があり、冬の晴れた日には
その姿も見れると思いますが、訪れた日は春の霞んだ天気でした。
撮影: 2012年4月
岬を巡って、油壷の北側に辿り着きました。
向かいの陸地は小網代湾を挟んだ対岸の台地です。
撮影: 2012年4月
こうして油壷の岬を一周しました。
静かでのどかな油壷の散策を楽しみました。
今日紹介したホームページの油壷の散策記は こちら です:
http://shanehsmt.html.xdomain.jp/Travel/Japan/Kanto/MiuraHanto.html#Aburatsubo
http://shanehsmt.html.xdomain.jp/index.html
"Explore Historical and Exotic Japan"
http://handejapan19.html.xdomain.jp/index.html