今日は、本編のホームページに、松代大鋒寺の散策記をアップしました。

本編のホームページは こちら です:
http://shanehsmt.html.xdomain.jp/index.html







2011年10月に川中島の古戦場を散策した際、千曲川右岸の山本勘助のお墓の近くの大鋒寺を訪れました。



撮影: 2011年10月

ここには、真田家松代藩の初代藩主となった真田信之のお墓があります。
真田信之は、徳川軍を2度も打ち破った真田昌幸の長男で、あの真田幸村の兄です。

関ヶ原の戦いの前、今の栃木県佐野市の犬伏で、父・昌幸、弟・幸村(信繁)と別れ、徳川方に付きその後、松代藩主となっています。


1656年(明暦2年)に、藩政を次男の信政に譲り隠居すると、この地に隠居所が造営されています。
1658年(万治元年)に信之が亡くなると、隠居所をお寺としています。


撮影: 2011年10月


大鋒寺はひっそりとした佇まいでした。
丁度、住職が落ち葉を燃やしていて、立ち上る煙が、どことなくのんびりとした雰囲気を漂わせていました。
お寺の名前は、信之の院号から付けられています。


大鋒寺の本堂の脇に霊屋がありました。


撮影: 2011年10月

三代・幸道の時に伽藍が建てられ、この霊屋もその際に建立されてそうです。
内部には、信之が信仰していた阿弥陀三尊像、信之像、信政画像などが安置されているそうです。


霊屋の南には真田信之のお墓がありました。
お墓は高さ3.3メートルの宝篋印塔です。


撮影: 2011年10月


真田信之は当時の人としては異例の長寿で、93歳で亡くなっています。
関ヶ原の戦いの前夜に父、弟と別れた後、信之は、56年間生きています。

その間、すぐ近くの上田で共に戦った事など思い出すこともあったのでしょうか。


今日紹介したホームページの松代・大鋒寺の散策記は こちら です:
http://shanehsmt.html.xdomain.jp/Travel/Japan/Chubu0/Matsushiro.html#DaihoJi

 

 

http://shanehsmt.html.xdomain.jp/index.html



"Explore Historical and Exotic Japan"
http://handejapan19.html.xdomain.jp/index.html