先週は寒さが戻りましたが、その反動か、この週末は汗ばむほど気温が上がりました。
今日は、先日に引き続いて地元、岡崎市南部の古城を、Escape R3で訪れました。

先日、土井城址などを訪れましたが、その際に参考にさせて頂いた下記のサイトによると、まだまだ身近なところに訪れていない古城がある事を知りました。
今日は、そのうち6城に訪れました。

 参考にさせて頂いた「岡崎地区のお城」のサイトです:
 https://aitisirookazaki.jimdofree.com/


今日の行程はこちらです:


地図は便宜的に岡崎駅をスタート地点にしています。


岡崎駅から旧国道248号線を南下し、願成寺に向かいました。



このお寺には何度か訪れていますが、ここが上地城だったという事です。
以前には確か無かった筈の上地城に関する案内板がありました。

それによると、この地に鎌倉時代に大見藤六の館があったそうです。
屋敷内に八幡宮があり、大見藤六邸を訪れた源範頼が社殿を建立したのが、今の上地八幡宮になったそうです。

願成寺のすぐ西隣の上地八幡宮との間に土塁も残っているという情報もありましたので、その間にある藪に入って行きましたが、すぐに上地八幡宮の社殿が見えてきました。

 




願成寺から上地八幡宮に回ってみました。



ここから南に延びる参道を走り、土呂の街並みを抜けました。
以前は、狭かった道も拡幅されています。



この先で、福岡の集落となり、集落の西側の境を流れる占部川を渡ります。


占部川を渡ると再び集落が続きますが、こちらの集落が野畑になります。
この野畑の集落にも古城があったそうです。

先日2月11日のEscape R3の旅の際に立ち寄った常念寺の近くが城跡という事でしたが、その常念寺への道に迷ってしまいました。道に迷ううちに、犬尾神社の前に出ました。



1346年(貞和2年)に上和田城主宇都宮泰藤が、大蛇に襲われたのを飼い犬が気づき激しく吠えたてた際に、大蛇に気が付かず犬の頭を断ち切ってしまったものの、大蛇からの難を逃れる事が出来た為、犬の霊を犬頭神社と犬尾神社に祀ったという謂れがあるそうです。

何度も道に迷いましたが、なんとか常念寺に辿り着き、その東側と言われる野畑城跡に立ち寄る事が出来ました。



黒柳彦助の城館があったそうですが、碑も何も残っていません。

ここから北に1.7km程離れた法性寺城址を目指しました。
法性寺の集落です。



この法性寺の集落に入った所で、犬頭神社がありました。
犬尾神社と同じく、宇都宮泰藤が、大蛇に襲われた逸話に関する神社です。

 



しかし、犬頭神社の案内板には、宇都宮泰藤が広めた犬の逸話は、本当は新田義貞の首級をここに埋めた事を知られぬように、犬の逸話を作り上げたと書かれています。

宇都宮泰藤が犬の頭を埋めたと言われる境内の小島です。



この犬頭神社から西に少し行ったところに法性寺があります。
ここが八田森右衛門の居城だったそうです。



法性寺から更に西に向かうと赤渋城址があります。
途中少々道を間違えましたが、六ッ美西部小学校が目印です。



この六ッ美西部小学校の北側に、この地区の公民館があります。
そこに日本一短い手紙で知られる「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」の碑がありました。



この手紙は、戦国時代末期の徳川家康の家来・本多作左衛門重次が書いたものです。
本多作左衛門は岡崎の人なのですが、どういう謂れでここに碑があるのかは分かりませんでした。

この西側に古い集落があり、そこに松林寺があり、そこが赤渋城跡だそうです。



赤渋城址からは、南西に向かい青野城を目指しました。
法性寺から青野に向かう新しく出来た道を走りました。



この先、立派なお寺の横を通ったので、立ち寄ってみました。
浄妙寺です。



1258年(正嘉2年)の創建で、家康の父・松平広忠から広大な寺域と寺領の寄進を受けた事もあったそうです。
墓地には、三代将軍・徳川家光の時の大老・土井利勝の母のお墓と、その墓木として植えられた大楠が残っていました。



浄妙寺を過ぎると広大な田圃の景色となりました。
この先に青野の集落があります。
青野は矢作川に近く、集落のすぐ横に、壮大な矢作川の堤防が続いていました。



目指した青野城は、青野の集落にある来迎院がその跡に建っています。
残念ながら来迎院は寂れてしまっていました。



来迎院には青野城の築城城主だった松平義春のお墓もありました。

青野からは南に進みました。
目指したのは、在家城址です。

青野から在家にかけても広大な田圃が広がっています。

遠くに見える町並みがJR岡崎駅周辺です。



在家の集落にある養楽寺です。



この養楽寺の南側が在家城跡との事ですが、その痕跡は全く残っていません。
集落の西側から眺めた在家の集落の様子です。



在家城は城と言っても、周囲を深田で囲まれた微高地の城館だった事でしょう。

今日は、近所の集落を巡るだけで、6城も古城を攻略しました。
普段、すぐ近くは何度も訪れていたのですが、今まで知らなかった城址やお寺を効率良く巡る事が出来て、満足な一日となりました。
 

 

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