昨年の秋以降、コロナ感染の拡大に伴い、週に数日の出社以外は巣籠状態を続けていました。
特に、緊急事態宣言が出されて以降は、毎朝の散歩以外に外出する事が無くなっていました。

しかし、今日の建国記念日は風は強いものの、朝から良く晴れていて、久しぶりに車庫に眠っていたEscape R3を持ち出して、近くのお城巡りをしてきました。

行先は、土井城址です。




地図は便宜的に岡崎駅をスタート地点にしています。


岡崎駅から南下し、若松町に入った辺りの様子です。
東海道本線が築堤で田圃を超え、細い道をオーバークロスしています。




細い道は愛知電気鉄道・福岡線の廃線跡になります。
 愛知電気鉄道・福岡線の廃線跡の様子は こちら です:
 http://shanehsmt.html.xdomain.jp/Train/Japan/Haisen/Aichi_Nishio.html

ここは、中学の頃、よく鉄道写真を撮りに来ていた場所です。
朝は、東京に向かうブルートレインがこの築堤を駆け抜けていました。

ここから西に向かいます。
この辺りの氏神様の春日神社の前を通ります。



ここから集落の中を西に向かい、県道43号線を超えると、景色が開け、立派な建物が見えて来ました。
昨年、開業した藤田医科大学岡崎医療センターの建物です。



昨年、ダイヤモンド・プリンセス号の船内での感染拡大が発生した際に、感染者を受け入れた病院です。
その際には全国版のニュースでも紹介されていたと思います。

病院の建つ辺りは、以前は田圃が広がっていますが、いま病院の隣接地も含め、広い範囲で区画整理が進んでいました。



藤田医科大学の前を通りました。
新しく立派な病院です。




この先の角を左に曲がり、占部川を渡ります。
小学校の時に、魚取りをしていた川です。



川を渡ると井内町になります。
交通量の多い道を渡ると、集落の中に井内八幡宮がありました。



725年に創建されたという古い神社です。

ここから、井内の集落を抜けて更に西に進みます。
六ッ美北部小学校で青野街道に出て、そこから南西に進みました。




しばらく進むと、土井町の交差点になります。



交差点を越えると土井のバス停があり、ここから集落の中に入りました。

 


地図で見ると、蔵屋敷という地名です。
古い屋敷は、低いながらも石垣の上に建っていて、昔の城主に仕えた家来の屋敷跡かもしれません。



この先に社宮司社という神社がありました。
創建年は不明との事でした。



この神社の南東隅に、土井氏発祥の地の記念碑がありました。



古河城主や佐倉城主を務めた大老・土井利勝はこの地で生まれたそうです。

ここから北に向かうと、アパートの間に土井城主だった本多秀清のお墓がありました。




本多秀清は15世紀末の人で、松平長親に仕え、1497年(明応6年)にこの地を授かり、孫の本多信重がここに築城したそうです。
本多秀清のお墓の先には、早乙女氏のお墓もありました。
早乙女氏は、土井氏の祖先で、地名にちなんで土井氏と改名しています。




西側には田圃が広がっています。



当時、ここは低湿地に囲まれた微高地で、本多信重が築いた土井城も周囲に堀をめぐらした館城のようなものだったと思います。
本多秀清のお墓から少し北に入ったところが、城屋敷という地名の集落です。
周囲に比べて若干高くなっている辺りの様子です。




ここに当時は、館城があったのでしょうか。


今日は、久しぶりのEscape R3の旅で、近場の古城を訪れました。
これからも、ちょくちょくEscape R3の旅をしようと思います。

 

 

本編のホームページは こちら です:
http://shanehsmt.html.xdomain.jp/index.html


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http://handejapan19.html.xdomain.jp/index.html