今日は、本編のホームページ三宅御土居の登城記をアップしました。

本編のホームページは こちら です:
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三宅御土居は、益田市の中心部から1km程東の益田川の畔にある、中世から戦国時代にかけての益田氏の居館だったところです。
三宅御土居は敷地の東西に土塁があり、南北を川と堀を配した構造になっています。
東西190m、南北110mもの広さがありました。

発掘調査の結果では、12世紀から16世紀にかけて掘立柱の建物が繰り返し建てられていたようです。


益田氏の居城だった七尾城に登城した後、北西に向かう七尾城通を歩きます。
益田川を渡ると井戸跡と掘立柱建物の平面復元が整備されていました。


撮影: 2011年7月

この三宅御土居跡は1990年(平成2年)から2000年(平成12年)にかけて発掘調査が行われていました。
この左手に立派な土塁がありました。


撮影: 2011年7月

高さ5m、長さ87mの大規模な土塁です。
案内版には「一乗谷朝倉氏遺跡の上・下城戸と共に全国的にも他に類を見ない大規模な土塁」とありました。

三宅御土居の七尾城通との北側の交差点の様子です。
この東西に走る生活道路はかつて堀だったところです。


撮影: 2011年7月

三宅御土居跡には発掘調査前にはお寺や住宅が建っていたようで、立ち退いた跡が残っています。


撮影: 2011年7月

そして、こちらが西側の土塁です。
高さ4.5m、長さ52mの大規模なものです。


撮影: 2011年7月

大手の帯曲輪は、南北に走る二つの曲輪群が一つに合わさる要の位置にある曲輪です。
長辺22m×短辺5mの大型建造物が建っていた事が、発掘調査で明らかになったそうです。


この三宅御土居を訪れた際、益田駅からの列車の時刻が迫っていて、時間の余裕もあまりなかったのですが、規模の大きな土塁に見惚れ、散策に時間を掛け過ぎて、列車に乗り遅れそうになったので、急遽タクシーを呼んで駅に向かいました。

電話したタクシーがすぐに来てくれて助かりました。



本編のホームページでは、三宅御土居の登城記を詳しく紹介しています。
今日、紹介したホームページの三宅御土居の登城記はこちらです:

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