10月に入って、再び発熱が続いています・・・
その様子は、別途ブログの記事で紹介しようかと思いますが、熱の下がった合間合間に書き進めておいた2011年に訪れた石見銀山の記事を、今日、本編のホームページ石見銀山の散策記をアップしました。

本編のホームページは こちら です:
http://shanehsmt.html.xdomain.jp/index.html


今日アップしたのは、石見銀山の龍源寺間歩です。

最盛期には戦国時代末期に94箇所の坑道(間歩)があり、その数は江戸時代末期には279箇所にも増えているそうです。
龍源寺間歩は江戸時代中期に開発された坑道で、主要な坑道の一つだったそうです。


石見銀山の護りとして築城された山吹城から麓に戻り、龍源寺間歩に向かいました。
この先に龍源寺間歩の入り口がありました。
小さな川を渡り坑道へと向かいます。



撮影: 2011年7月


現在、石見銀山では、観光客が坑内に入れる間歩は、谷を隔てた大久保間歩と、この龍源寺間歩と二箇所だけです。
龍源寺間歩では入口から一方通行で、出口に抜けます。



撮影: 2011年7月


間歩に入って暫くは、木の枠に囲まれていましたが、やがて素掘りの坑道になりました。
江戸時代のノミの跡も残っています。
所々、照明はありますが、暗い坑道では写真はブレてしまっていました。


撮影: 2011年7月


坑道の中は、一年を通して13℃ほどに保たれています。
龍源寺間歩を訪れる前に、標高414mの山吹城に登城し、大汗を掻いた後だったので、身体が冷えてしまう程でした。


撮影: 2011年7月


龍源寺間歩はやがて人一人がやっと通れるほどに狭くなっていきました。


撮影: 2011年7月


狭かった龍源寺間歩も途中からコンクリートで囲われた坑道になりました。
これは1988年(昭和63年)に出来た新坑道で、龍源寺間歩の入口とは山一つ隔てた栃畑谷に抜ける事が出来ます。



撮影: 2011年7月


入口から約12分程の龍源寺間歩の散策でしたが、これはとても貴重な体験をする事が出来ました。
この後、散策路の途中にあるいくつかの見どころに立ち寄りながら、代官所跡に戻りました。


石見銀山は戦国時代からの銀山の遺構が数多くあり、また江戸時代の町並みも残り、充実した散策が楽しめました。



本編のホームページでは、石見銀山の散策記を詳しく紹介しています。
今日、紹介したホームページの石見銀山の龍源寺間歩の散策記はこちらです:
http://shanehsmt.html.xdomain.jp/Travel/Japan/Chugoku/IwamiGinzan.html#RyugenjiMabu

 

 

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