今日は、本編のホームページ石見銀山の散策記をアップしました。

本編のホームページは こちら です:
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2回目の今回は、武家・町屋エリアの様子を紹介します。

石見銀山の入り口、代官所跡から鉱山跡の間歩へは江戸時代からの道の両脇に古い町並みが続いています。
前回紹介した熊谷家住宅からも、谷沿いの道に沿って町屋が続いていました。

白壁の大きな建物は、村の世話役や農民などが公用で訪れた際の定宿・田儀屋だった建物です。


撮影: 2011年7月


町並みには、観光客向けに釜飯などのお食事処もあり、江戸時代の雰囲気を堪能しながら、のんびりと散策するにはうってつけです。

この先の岩山の上に、観世音寺がありました。


撮影: 2011年7月


急な石段を上り、岩山の上の本堂へと向かいました。
この観世音寺の堂宇も、1800年(寛政12年)の大火で全焼し、1860年(万延元年)に再建されたそうです。

観世音寺の境内からは、狭い谷に沿って連なる石見銀山の集落が手に取るように見えました。


撮影: 2011年7月


この先には石見銀山代官所の地役人だった旧河島家住宅がありました。


撮影: 2011年7月


河島家初代の三郎右衛門は安芸の国の出身で1610年(慶長15年)に初代奉行・大久保長安に召し抱えられこの地に移り、子孫は代々、石見銀山の支配に携わりました。
立派な熊谷家住宅を訪れた後では、幾分庶民的に感じましたが、この河島家住宅は武家造りの佇まいをよく残しているそうです。


この他にも、江戸時代の地役人の家もいくつも残っていました。
白壁の建物は、当時、郷宿の一つだった泉屋跡です。


撮影: 2011年7月


江戸時代、石見銀山附御料の百五十余村は6つの組に分けられ、夫々の組毎に郷宿が決められていたようです。
この泉屋は、現在の江津市の一部の地域の郷宿でした。


再び石見銀山の集落は石見銀山の代官所跡からかれこれ1km程、集落が続いています。

やがて集落も尽き、道は二手に分かれています。
交差点を左に進み、銀山川を渡ると、その先に五百羅漢がありました。


撮影: 2011年7月


五百羅漢は、江戸時代の宝暦年間(1751~1763年)に石見銀山の付役人だった中場五郎左衛門定政が、観世音寺の石像を拝み、五百躰の羅漢を安置する事を思い立ち、数年後に赴任した代官関忠太夫が石像を寄進した事から始まりました。



本編のホームページでは、石見銀山の散策記を詳しく紹介しています。
今日、紹介したホームページ石見銀山の散策記こちらです:
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