今日は、本編のホームページ石見銀山の散策記をアップしました。

本編のホームページは こちら です:
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石見銀山で銀が産出されたのは鎌倉時代の事だったようです。
石見銀山の採掘量は戦国時代後期から江戸時代前期にかけて最も多くなり、当時は日本最大の銀山でした。
この時期、日本の銀の産出量は世界の1/3を占めていたそうですが、この石見銀山がその主となる鉱山だったようです。

石見銀山には"間歩"と呼ばれる坑道が数多く残り、その歴史的価値や、自然と調和した鉱山として評価され、2007年に世界遺産に指定されました。


この石見銀山には2011年7月に訪れています。
今回は、石見銀山の入り口にある代官所跡と熊谷家住宅の様子を紹介します。


大田市駅から25分程バスに乗ると、大森代官所跡に着きます。
石見銀山の代官所跡は、バス停のすぐ近くにありました。

1815年(文化12年)に建てられた長屋門が残っています。


撮影: 2011年7月

江戸時代の初めには奉行所でしたが、銀の産出量が低下したため、代官所に格下げされたそうです。
代官所跡には1902年(明治35年)に建てられた旧邇摩郡役所が移築され資料館になっています。


代官所の北側には城山 (きやま) 神社がありました。


撮影: 2019年3月

1800年(寛政12年)の大火で社殿は焼失しましたが、1812年(文化9年)に現在の社殿が再建されています。

城山神社から代官所跡の前を通り、代官所跡の西側にある勝源寺に向かいました。
勝源寺は、1616年(元和2年)に二代目の奉行・竹村丹後守道清によって創建されたそうです。


撮影: 2011年7月

勝源寺を訪れた後、代官所跡から南に向かう道に戻り、その道を歩いて行きました。
代官所跡からの道の両脇には、古い家並みが続いていました。


撮影: 2019年3月

この先に熊谷家住宅がありました。


撮影: 2019年3月

熊谷家は石見銀山の経営にも携わった商家で代官所の御用達を務めた事で知られているそうです。
当主は代々、町役人を務める名家だったようです。

蔵の二階が座敷になっていました。
広々とした座敷は開放的な窓があり、石見瓦の土蔵がいくつも見えていました。


撮影: 2011年7月

江戸時代から酒造業も営んでいたようです。
熊谷家住宅は国の重要文化財に指定されています。


本編のホームページでは、石見銀山の散策記を詳しく紹介しています。
今日、紹介したホームページ石見銀山の散策記はこちらです:
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