今日は、本編のホームページ松江の散策記をアップしました。

本編のホームページは こちら です:
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第二回目の今回は松江城の北側に位置する塩見縄手の様子です。
 第一回目の宍道湖の様子はこちらです:
 https://ameblo.jp/shanehashi/entry-12611633347.html


塩見縄手は江戸時代に武家屋敷が連なっていた地域で、いまもいくつかの武家屋敷が残り、当時の佇まいが残っています。

宍道湖から松江城に向かい、松江城の北惣門橋から松江城北堀の畔に出ました。
北惣門橋から北堀に沿って東に向かうと普門院がありました。
境内には芭蕉堂と観月庵(下写真)があります。


撮影: 2011年7月

観月庵は1801年(享和元年)に建てられた茶室で、
時の七代藩主・松平不昧公も時折訪れたそうです。

普門院を辞し、堀に沿って西に向かい、北堀橋を渡り、内堀の北側の道を更に西に向かいました。
松江城北側の内堀に沿うこのあたりは塩見縄手と呼ばれ、武家屋敷が残り、江戸時代の佇まいを残しています。


撮影: 2011年7月


この武家屋敷は塩見縄手の名前の由来となった塩見家の武家屋敷で、1733年(享保18年)に再建されたものだそうです。


撮影: 2011年7月

こちらは主屋の座敷の様子です。


撮影: 2011年7月

座敷では、この屋敷の主人が家来に何か指示を出している様子が、人形で表現されていました。


武家屋敷から更に西に向かうと、小泉八雲旧宅跡がありました。


撮影: 2011年7月

小泉八雲の生誕名はパトリック・ラフカディオ・ハーン。
1850年に当時イギリスの保護領だったレフカダ島で生まれ、1890年(明治23年)4月に来日します。

来日した4ヶ月後に松江に住み、翌1891年(明治24年)に旧松江藩士の小泉湊の娘・小泉節子と結婚します。小泉八雲は1891年11月には熊本に引越ししており、松江で過ごしたのは僅か1年3ヶ月の事です。
日本国籍を取って小泉八雲と改名したのが、1896年(明治29年)と松江を離れて5年も後の事でした。

小泉八雲というと、松江というイメージが強かったのですが、ちょっと意外でした。


撮影: 2011年7月

書斎の奥の部屋には机と椅子がありました。
小泉八雲はこの部屋で執筆活動をしていたのでしょうか。


本編のホームページでは松江の散策記を詳しく紹介しています。
今日、紹介したホームページの松江の散策記はこちらです:
http://shanehsmt.html.xdomain.jp/Travel/Japan/Chugoku/Matsue.html#ShiomiNawate

 

 

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