今日は、本編のホームページ に名古屋市内の大須の様子をアップしました。

本編のホームページは こちら です:
http://shanehsmt.html.xdomain.jp/index.html


織田信秀廟所・萬松寺

大須は、大須観音などの門前町として発達した街です。
名古屋の繁華街と言えば、栄や名駅と呼ばれる名古屋駅周辺ですが、大須は賑わいのあるアーケード街として知られています。

大須の発展の礎の一つとなった大須観音は地下鉄大須観音駅を出てすぐの所にありました。
大須観音で知られるこのお寺の正式名称は北野山真福寺宝生院というそうです。


撮影: 2011年7月

1324年(元享4年)に後醍醐天皇の勅命で、今の岐阜県羽島市大須に北野天満宮が造営され、1333年(元弘3年)に北野天満宮の別当寺として真福寺として創建されています。
名古屋に移転したのは1612年(慶長17年)の事です。


大須観音の近くから大須商店街のアーケード街が続いています。


撮影: 2011年7月

アーケード街の入り口近くに、名古屋の銘菓の外郎の老舗のお店がありました。


撮影: 2011年7月

"くやしかったら言ってみな、白・黒・抹茶・あずき・コーヒー・ゆず・桜"
このCMは名古屋の人なら誰もが知っている曲と思います。

広い大須のアーケード街を歩き、大須ふれあい広場を経て新天地通商店街に入って少し行ったところに萬松寺がありました。


撮影: 2011年7月

萬松寺は1540年(天文9年)に信長の父で、当時古渡城主だった織田信秀が創建したお寺です。

信長の父・信秀の葬式の際、喪主の信長は、荒縄を腰に巻き付け、髪を茶筅のように束ねた格好で、遅れてやって来ると、抹香を掴んだかと思えば、それを信秀の位牌に向けて投げつけた。。。

この逸話をご存知の方も多いかと思いますが、信秀の葬儀はこの萬松寺で行われています。


白雪稲荷の隣に織田信秀公の廟所へと繋がる通路がありました。
この薄暗い通路には、織田家の家紋の木瓜紋が入った提灯が蝋燭の灯りでほんのりと周囲を照らしていて、エキゾチックな雰囲気でした。


撮影: 2011年7月

通路を抜けた先にあった織田信秀公の墓碑です。

 

撮影: 2011年7月


信秀は、尾張の守護代織田家の庶流の立場から尾張一国を統治するまでに勢力を伸ばしています。
「大うつけ」と呼ばれた信長を終始後継者としており、二人の間には信頼関係があったのではないでしょうか。

本編のホームページでは、名古屋・大須の様子を詳しく載せています。
今日、紹介したホームページの名古屋・大須のページはこちらです:
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