5月3日の憲法記念日、運動不足解消の為、ママチャリで出掛けてきました。
今日はその2回目です。
 一回目の記事はこちらです:
 https://ameblo.jp/shanehashi/entry-12594600734.html

今回の目的地は、八尾市の恩智城址です。

平坦な大阪平野の東端を走り、信貴山地の麓の恩智神社の鳥居を右に曲がると、恩智左近のお墓がありました。



恩智左近は、鎌倉時代の人で、楠木正成に付き、恩智城を築いた人です。
お墓は信貴山の中腹にあり、大阪平野を見渡せる景勝地にあります。

このお墓の山側に恩智城址への階段がありました。



恩智城址は恩地小学校、南高安小学校があったようで、今は公園になっていました。
恩智城址の周辺を散策し、近くの恩智神社を訪ねました。

元々恩智城の築城主・恩智左近は恩智神社の神官だったそうで、恩智神社は河内国二宮になっています。
恩智神社への道は急坂で、途中には立派な長屋門のお屋敷もありました。



坂道を上りつめた所に、恩智神社の入り口があり、ここから更に石段が続いています。



近所の方でしょうか、三々五々、お参りの人が訪れていました。
恩智神社の創建は西暦470年頃と伝わる古い神社でした。



恩智神社の一段低い位置にある神宮寺感應院からの眺めです。
曇り空で霞んでいましたが、大阪平野が一望出来ました。




ここから帰路に就きます。



帰り道には近鉄大阪線に沿うルートとして、八尾城址に立ち寄る事にしました。

感應院を辞したのは10:45。
往きに1時間半ほどかかっているので、正午を少し過ぎますが、そんなに遅くならない時間に帰れそうです。

恩智神社から坂道を下り、ほぼ真西に行くと恩智駅がありました。



ここからほぼ近鉄大阪線に沿って走る予定です。
往きの通った高安駅南側の踏切近くで、名古屋行の「ひのとり」に出会いました。



両端の車両はハイデッカータイプの優等車両になっているようです。
一層、早く乗ってみたくなりました。

この後、少々道を間違え、近鉄大阪線から少し離れた住宅街を走り、河内山本駅の西側で、近鉄大阪線に再び合流しました。



この辺りは高架になっています。
暫く、並走すると近鉄八尾駅です。



八尾市の中心駅で通常なら一日平均3万7千人の乗降客があります。
駅周辺にはアーケードもありました。

近鉄八尾駅から西に少し行ったところに、八尾神社があり、そこが八尾城址です。



ここも3年前に訪れています。
3年前に訪れた際には、城址碑がどれか判りませんでしたが、この日ははっきりわかりました。
「八尾」ではなく「矢尾」と書かれていました。

八尾神社近くのアーケード街です。



この商店街も味わいがあり、この先に行くと江戸時代に寺内町を形成していた大信寺などのお寺もあるのですが、今回は近鉄大阪線に沿って西に進みます。


一駅西に行った久宝寺口駅です。



緊急事態宣言の自粛要請の為か、高架下の商店はすべてシャッターが下り、無人の駅は少々不気味な感じもするほどでした。
この先で、線路際の道が無くなり、住宅地の中を走ると弥刀(みと)駅に出ました。



駅の北側の踏切で待っていると、名古屋からの「アーバンライナー」が通過していきました。
弥刀駅からは線路の南側に道路がずっと続いています。

次の長瀬駅です。



ここは4月半ばに歩いて訪れたところです。
長瀬駅を過ぎると、近鉄大阪線は急こう配を上って行きます。



次の俊徳道駅で、高架のおおさか東線を、オーバークロスする為の勾配です。
そのオーバークロス地点での様子です。



この駅では何度か乗り換えしていますが、高架線の上を越える高々架の鉄橋の様子は、なかなか見事でした。
近鉄大阪線は、この先も高架のまま進み、布施駅の手前で近鉄奈良線と合流します。



帰り道は、近鉄の線路と列車を眺めながら楽しく戻ってきました。



この写真は布施駅です。


~ 完 ~
 

 

 

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