今日は、本編のホームページ「わが街 岡崎」のページに、大宗寺の散策記をアップしました。

本編のホームページは こちら です:
http://shanehsmt.html.xdomain.jp/index.html

「わが街 岡崎」のページは こちら です:
http://shanehashi.html.xdomain.jp/WagamachiOkazaki/WagamachiOkazaki.html






気が付いてみると、「わが街 岡崎」のページを更新するのは5年ぶりの事です。
長い間のご無沙汰になってしまっていました。

大宗寺は、名鉄名古屋本線の美合駅の近くにあります。
本宗寺は1486年(文明18年)に蓮如上人によって創建された浄土真宗のお寺です。

 ホームページの名鉄名古屋本線の乗車記は こちら です:
 http://shanehsmt.html.xdomain.jp/Train/Japan/Shitetsu_2/Nagoya/NagoyaHon.html

本宗寺は、元々岡崎市南部の土呂で栄えたお寺だったようで、家康が三河統一の途中で発生した三河一向一揆の際、拠点の一つになったそうです。
1567年(永禄7年)に三河一向一揆が終結すると、本宗寺は家康によって壊されますが、その後、家康の叔母にあたる芳春院妙西尼の尽力で再興が叶い、1583年(天正11年)に赦免が許され、1613年(慶長16年)に現在地に移転されたそうです。


本宗寺、立派な築地塀で囲われ、京都のお寺の様です。


撮影: 2011年7月

門も立派ですが、奥には江戸時代からのものと思われる長屋門もありました。


撮影: 2011年7月

本宗寺には、驚くべきことに石川数正のお墓があります。
石川数正は古くからの家康の家臣で、懐刀とまで言われました。


撮影: 2011年7月

家康の許で多くの功績を挙げた数正ですが、家康と秀吉が戦った小牧・長久手の戦いの後の1585年(天正13年)に突如として秀吉の許へと出奔してしまいます。
秀吉が天下を握ると信濃国松本に領地を得、あの松本城を築城しています。

 松本城の登城記は こちら です:
 http://shanehashi.html.xdomain.jp/Oshiromeguri/KoshinetsuHokuriku/MatsumotoJyo.html

そんな家康を裏切った石川数正が、家康のお膝元の岡崎に葬られているのは、びっくりしたのですが、石川数正が亡くなったのは1593年(文禄2年)です。この時、家康は江戸に移封した後で、岡崎には秀吉子飼いの田中吉政が領地を与えられており、そんな状況の変化で、石川数正も父祖の地に戻る事が出来たのでしょう。


石川数正のお墓の脇には、本宗寺の再興に尽力した芳春院妙西尼のお墓もありました。


撮影: 2011年7月

石川数正のお墓も、芳春院妙西尼のお墓も、ひっそりと佇んでいました。



本編のホームページでは、わが街 岡崎・本宗寺の散策記を詳しく載せています。
今日、紹介したホームページの本宗寺の散策記はこちらです:
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