この3連休は昨日の日曜日こそ曇りでしたが、今日も良く晴れ天気に恵まれた3連休になりました。
今日も、朝早く起きて出かけてきましたが、その様子は後日に紹介する事にして、土曜日に出掛けた京都散策の続きを紹介します。
 土曜日にアップした初回の記事は こちら です:
 https://ameblo.jp/shanehashi/entry-12566321761.html


土曜日(1月11日)は大覚寺に訪れた後に、嵐電に乗って北野白梅町にやってきました。
北野白梅町は北野天満宮の最寄り駅です。

北野天満宮に向かう途中、比叡山が見えていました。



既にお昼を過ぎていたので、北野天満宮近くのうどん屋さんでお昼ご飯を摂り、一条通を歩きました。
一条通の大将軍商店街では妖怪ストリートと銘打って、妖怪のモニュメントが所々飾られていました。



大将軍商店街の道は一条通から中立売通りへと続いています。
中立売通りを歩いていると、聚楽第堀跡の案内板がありました。



聚楽第は、豊臣秀吉が1587年(天正15年)に政庁兼邸宅として京都の大内裏に建てた城郭です。

この案内板は、京都市立親正小学校の北東角に立っていますが、ここは聚楽第の西堀があったところだそうです。
ここから250m程、東に行ったところにも聚楽第の碑があります。



こちらは東堀跡の碑です。
この250mが、聚楽第の東西の大きさになります。

聚楽第は、1591年(天正19年)には豊臣秀次に譲られますが、1595年(文禄4年)に秀次が秀吉によって自刃させられると聚楽第は徹底的に破壊されてしまいました。
150m程北にはgoogle地図によると天守跡もあるようですが、碑や案内板も見当たりませんでした。


聚楽第の散策を終えて、次の目的は、これも秀吉が京都の中心部の周りに築いた御土居跡の散策です。
京都の周囲み巡らされた御土居ですが、北西側を中心に、所々跡が残っているようです。

千本中立売のバス停から、北木ノ畑町までバスで移動しました。
この近くに御土居の跡があります。



この辺りは、思いがけず起伏が激しく、西側は切れ込んだ谷になっています。
東側は高低差5m程と思いますが、西側は30m近くは高低差があるように思います。
御土居はここから南へと続いていたようです。

佛教大学の西側を歩き、一本西側の道へと移ります。
新しいマンションが建ち並んでいましたが、ここにかつて御土居が残っていたと思われます。



この道を更に南に向かうと、細い路地となりました。



この辺りにも御土居が残っています。



整備されたようで、土塁の形が良くわかりました。
この先に北野天満宮がありました。



北野天満宮には昨年2月、梅の時期に訪れています。
北野天満宮の境内の西側にも御土居の跡が残っているのですが、梅の時期は御土居跡周辺には入場料が必要らしく、その時には断念していました。
国宝の社殿は、この日も見事でした。



北野天満宮の境内の御土居は、当時の土塁の状況がわかる程、良く残っていました。



一部、清水寺のような懸造の舞台もありました。
大覚寺の後は、地味な京都散策ですが、以前から行きたかった聚楽第と御土居の後を訪れる事が出来て満足した京都散策になりました。

~ 完 ~

 

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