6月9日の日曜日、交野と枚方に散策に出掛けてきました。

今日は、その2回目を紹介します。
 第一回目の様子は こちら です:
 https://blogs.yahoo.co.jp/shanehashi/66312620.html


私部城址と交野代官所を訪れた後、交野駅から京阪電鉄交野線の電車で次の目的地に向かいました。
下車したのは宮之阪駅です。

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宮之阪駅から住宅地を抜け、急な坂道を登っていくと、左手に真新しい石段が見えました。。

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百済王神社への参道です。
百済王神社は8世紀半ばに日本に渡来した百済王の氏神として創建されたそうです。

百済王神社の本殿は、江戸時代後期に春日大社の社殿を移築したものだそうです。

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この百済王神社の西側には百済寺跡があります。

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8世紀半ばに建立されたお寺で、国の特別史跡に指定されています。
中門から金堂、東西の塔、講堂とか多くの建物の礎石が配置され、公園として綺麗に整備されていて、気持ちの良い散策になりました。


百済寺跡から坂道を下り、宮之阪発11:24の電車で、枚方市に向かいました。

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枚方市まではわずか一駅で、初めて降り立った枚方市駅前はとても立派でした。

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枚方市駅前は、東海道の宿場町が残っています。
京都の西の街に東海道?と怪訝に思う方もいるかもですが、江戸時代の東海道は、江戸・日本橋から京都ではなく、大阪・京橋までの街道だったようです。途中の宿場は57宿。途中の京都・五条大橋までの区間を、特に東海道五十三次と呼んでいたようですが、その限定的な呼び名が一般的となり、東海道が大阪までの街道だったことは忘れされてしまったようです。
今の東海道新幹線が東京 - 新大阪の区間であるのは、江戸時代の伝統を受け継いだいい判断だった様です。

枚方市駅前の旧東海道は、とても賑わっていました。

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枚方は五十六番目の宿場だったそうですが、毎日第二日曜日はその名にちなんだ五六市が旧枚方宿で開かれているようです。
一旦、宿場を西に向かいましたが、東の端の東見附にまず行くことにしました。

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駅前の繁華街を抜けると、古い家も街道沿いに残っていました。
再び、駅前の繁華街を抜け、西に向かいます。

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広場や家々の前に出店があり、どの店も賑わっていました。
丁度、お昼時も過ぎたので、出店で売っていた沖縄そばでお昼にしました。

この先で、万年寺山に向かう道があったので、京阪電車の線路をくぐって南側に向かいました。
急な階段で小高い山に登ります。

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小高い山に登ると眺望が開け、小公園がありました。

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この小公園が秀吉が建てさせた御茶殿の跡です。
江戸時代には幕府公用の御茶屋御殿になっていたそうです。

御殿跡からは、旧枚方宿の街並みの向こうに淀川の流れが見えました。

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~ つづく ~





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