6月9日の日曜日、天気予報以上に関西地方は晴れ間が広がり、強い日差しが照り付ける天気となりましたが、散策に出掛けてきました。
目的地は、交野と枚方です。
大阪や京都に通勤するのに便利なところで、宅地開発がされてきた所という印象が強くありました。
が、実際に行ってみると、色々な史跡もあり、楽しい散策になりました。
大阪や京都に通勤するのに便利なところで、宅地開発がされてきた所という印象が強くありました。
が、実際に行ってみると、色々な史跡もあり、楽しい散策になりました。
この日は、朝はゆっくり起き、最寄り駅を8:40の電車に乗りました。
放出で、学研都市線の快速に乗り換え、途中、三次長慶の居城だった飯盛山城を眺め、河内磐船で下車しました。
河内磐船の手前で、京阪電鉄交野線の線路と交差していますが、京阪には交差地点には駅が無く、300m程歩いて最寄りの河内森駅に向かいました。
ここで、交野線の電車に乗るのですが、まずは一駅乗った終点の私市に向かいました。
ここで、交野線の電車に乗るのですが、まずは一駅乗った終点の私市に向かいました。
私市は"きさいち"と読みます。
生駒山地から続く山々が背後に迫り、大阪府民の森などもあって、河内磐船や私市駅には多くのハイカーの姿を見かけました。
生駒山地から続く山々が背後に迫り、大阪府民の森などもあって、河内磐船や私市駅には多くのハイカーの姿を見かけました。
一旦改札を抜けますが、来た電車に再び乗り込みます。
最初の目的地は、河内森の次の交野駅の近くにある私部(交野)城址です。
駅を降り、商店が立ち並ぶ道を東に歩いて行きました。
駅を降り、商店が立ち並ぶ道を東に歩いて行きました。
200m程で商店街が尽き、住宅地を歩きます。
横道に入ってしばらく行くと、住宅の裏手に急に空堀が見えてきました。
私部城の空堀です。
横道に入ってしばらく行くと、住宅の裏手に急に空堀が見えてきました。
私部城の空堀です。
私部城は、河内の豪族安見氏の居城でしたが、織田信長の河内進出の際に足掛かりにもなったようです。
てっきり住宅街に碑が残るだけだろうと想像していたので、はっきりと空堀を見た時には嬉しくなりました。
てっきり住宅街に碑が残るだけだろうと想像していたので、はっきりと空堀を見た時には嬉しくなりました。
上の写真は、主郭を北側から眺めた様子ですが、水を張った田圃が水堀の様で、そこに浮かぶ本郭の様子は、当時の様子をよく伝えていると思います。
私部城址で思わぬ収穫に喜んだ後、今度は交野代官所跡を目指しました。
地図で見ると歩いて9分程の所です。
地図で見ると歩いて9分程の所です。
新興住宅地から急に道が細く、古い家が建ち並ぶようになりました。
そこに茅葺屋根の建物がありました。
そこに茅葺屋根の建物がありました。
住吉大社の御旅所という事です。
この先も狭い道の古い集落が続き、その中に広い敷地の豪邸がありました。
この先も狭い道の古い集落が続き、その中に広い敷地の豪邸がありました。
ここが交野代官所跡の様です。
後で調べてみると、ここには代官を務めた北田氏の末裔が今も住まれているそうで、当時から残る主屋は国の重要文化財に指定されているそうです。
後で調べてみると、ここには代官を務めた北田氏の末裔が今も住まれているそうで、当時から残る主屋は国の重要文化財に指定されているそうです。
この北田家住宅以外にも立派な古い家がいくつもありました。
交野駅に戻り、10:29の電車で次の目的地を目指しました。
~ つづく ~