この間の土曜日、思いがけずに天気となり、近場の散策に出かけました。
一番の目的地は藤原京です。


近鉄電車を大和八木で下車し、レンタサイクルで藤原京に向かいました。
観光案内所で自転車を借りたのですが、行く道すがら、八木の古い町を紹介され、そこを通って行く事にしました。

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この辺りでは、今井町に古い町並みが残っていますが、この八木は古来平城京と藤原京を結ぶ下ツ道と、奈良盆地を東西によぎる横大路の交わるところで、宿場や商人の町として栄えたそうです。
下ツ道と横大路の交差点が札の辻で、その角に古い旅籠が残っていました。

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立ち寄ってみると、係の方がとても熱心に建物や八木の町の紹介をしてくださいました。
この旅籠は、数年前まで人が住んでいたそうですが、その方が亡くなった後に、遺族の方が市に寄付をし、その後解体修理を経て当時の様子を復元しているそうです。

昔賑わった八木では、装飾用の丸瓦を用いた本瓦葺の屋根を多く見かけました。

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そして、真っ直ぐ向かえば、大和八木駅から15分程で藤原京に着きます。

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内裏や、大極殿、朝堂院の跡が整地され、一部の門の跡には柱の一部が復元されています。
この藤原京跡からは、耳成山、香具山、畝傍山の大和三山が一望に見る事が出来ます。

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特に香具山は、持統天皇が詠んだ歌で知られています。

春過ぎて、夏来るらし 白妙の
衣をほすてふ 天の香具山

なだらかな山容なので、どこにあるか、なかなか判り難かったのですが、この藤原京跡からは、近くにその姿がはっきりと判り、印象的でした。


少々北風が強かったのですが、のんびりと藤原京跡の散策を終え、近くの今井町を訪れてみました。

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ここは、戦国時代から堺とともに自治の町として知られ、信長とも戦った歴史を持っています。
江戸時代以降も環濠の町として残り、今でも500軒以上もの江戸時代の町屋があります。

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町の一番西側にある今西家がこの今井町で最も古い建物です。

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当時は庄屋だったのでしょうか、自治区今井町の警察と裁判所の役割を持っていたそうで、信長との戦や大坂の陣に際には、西の砦として重要な役割を担ったそうです。

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この日の散策もとても記憶に残るものになりました。


今回もコメント欄は閉じておきます。
ご了解いただければ幸いです。



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