先週の日曜日、曇りがちの寒い一日でしたが、奈良県と大阪府の境にある二上山に登ってきました。
二上山は、天武天皇の皇子で、24歳の若さで謀反の罪で自害した大津皇子のお墓があります。30年ほど前に、麓の當麻寺を訪れた際に、このことを知り、それから登ってみたいと思い続けていた山です。

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上の写真は、2014年9月に、近鉄大阪南線の車窓から眺めた二上山です。


先週の日曜日は、知人と一緒の山登りで、行程もお任せしていました。
まず、訪れたのは屯鶴峯(どんづるぼう)です。

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二上山の火山岩が露出し、浸食されて出来た地形で、真っ白な岩が木々の間に現れ、とても独創的な景色でした。
この後、お昼ご飯を食べ、いよいよ二上山登山のスタートです。

道の駅を拠点に登りました。
登り口に傘堂があり、その先の溜池から二上山の山頂が見えました。

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麓に、木が生えていない小山がありますが、この小山が鳥谷口古墳です。
1983年に偶然発見された古墳ですが、この古墳こそ大津皇子が葬られたお墓という説が有力の様です。

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この鳥谷口古墳からいよいよ急な上り坂です。
大阪からもアクセスしやすく、標高もそれほど高くないので、多くのハイカーの姿がありました。

上り坂の様子です。

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途中には、石垣もありました。
二上山の山頂に、戦国時代に山城が築かれていたそうです。

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およそ45分かけて、二上山の二つの峰、雄岳と雌岳の間の馬の背に到着しました。
馬の背から眺める二上山雄岳です。

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ここで小休止し、まず雌岳を目指しました。
馬の背から雌岳はすぐの距離でした。

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雌岳に上る途中で眺めた大阪の市街地の眺めと、山頂から眺める奈良盆地の様子です。
再び馬の背に戻り、今度は雄岳に登りました。

この道は険しく、最後の体力を振り絞って上る、という感じでした。

山頂の先に、大津皇子のお墓がありました。

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このお墓は、宮内庁が管理しているものです。
麓の鳥谷口古墳が、本当の大津皇子のお墓とすると、このお墓に葬られているのは誰?という事になりますが、長年訪れてみたかったこのお墓にお参りする事が出来て良かったです。


ここから急な登山道を下り、傾いた日が二上山に差し掛かる頃、麓に着きました。

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大津皇子の亡骸が二上山に葬られた後に、姉の大来皇女(おおくのひめみこ)が詠んだ歌が万葉集に載っているそうです。

うつそみの人なる我(われ)や明日よりは 
二上山(ふたかみやま)を弟(いろせ)と我(あ)が見む



今回もコメント欄は閉じておきます。
ご了解いただければ幸いです。



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