先週の土曜日、爽やかな天気の下、奈良の柳生の里に行ってきました。今日はその2回目です。
奈良から一日6往復のバスに乗り、家老屋敷を訪れた後に、陣屋跡に向かいました。
摩利支天の碑の先には八坂神社がありました。
摩利支天の碑の先には八坂神社がありました。
小さな神社でしたが、本殿は春日大社の社殿を移築したもので、重要文化財に指定されているそうです。そうとは知らなかったのですが、本殿の写真も撮っておいて良かったです。
八坂神社から少し先に柳生陣屋の跡がありました。
この左側の坂道を登ると陣屋跡です。
柳生藩は、柳生宗厳(石舟斎)の子、柳生宗矩を藩祖とし、明治まで続いた藩です。石高は1万石でしたが、代々の藩主は将軍家の剣術指南をしていました。
この陣屋跡は、小学校の跡地かなと思っていましたが、1980年に史跡公園として整備されたそうです。
柳生藩は、柳生宗厳(石舟斎)の子、柳生宗矩を藩祖とし、明治まで続いた藩です。石高は1万石でしたが、代々の藩主は将軍家の剣術指南をしていました。
この陣屋跡は、小学校の跡地かなと思っていましたが、1980年に史跡公園として整備されたそうです。
真夏に訪れたせいか雑草が生え、なんとなく寂れた佇まいになっていました。
柳生陣屋跡を訪れた後、藩主・柳生氏の菩提寺だった芳徳寺を訪れました。芳徳寺に向かう途中、横切った国道脇にあった茶屋です。
柳生陣屋跡を訪れた後、藩主・柳生氏の菩提寺だった芳徳寺を訪れました。芳徳寺に向かう途中、横切った国道脇にあった茶屋です。
山城を訪ね歩くとき、地方の集落に行くことが多いのですが、そんな時営業している食堂に巡りあえるのは殆どありません。こんな感じの茶屋だったら、お昼ご飯を食べてみたいな、と思えるところでした。
この茶屋の裏山の中腹に芳徳寺がありました。
この本当の裏に藩主一族のお墓があります。そこに行こうとすると、マムシがその道の途中に横たわっていました。その脇を通って行ったのですが、近くを通った時に、飛び掛かって来たら、と思うと身も竦むような気持でした…(^^;
柳生一族のお墓の入り口です。
この奥に、一族のお墓があります。
初代藩主・柳生宗矩から十二代・柳生俊順までのお墓があるようです。気が付きませんでしたが、柳生石舟斎のお墓もあったようです。
この後、大和柳生城に向かいました。
芳徳寺南東の小高い山にあったお城です。真夏に訪れたので藪が深く、しかも先ほどマムシを見たところなので、どこかに潜んでいるかと思うと、怖くてちょっとたじろいでしまいます。深い堀切もあったようですが、登城道を間違えたのか、藪が深くてあちこち行かなかったからか、その堀切には出会えずに山頂部の主郭に出ました。
ここも藪が深く、この写真を撮っただけで退散しました。
ちょっと残念な柳生城登城でしたが、芳徳寺も以前は城域だったそうで、城主の館などはここにあったように思うので、それで納得して次の目的地に向かいました。
ちょっと残念な柳生城登城でしたが、芳徳寺も以前は城域だったそうで、城主の館などはここにあったように思うので、それで納得して次の目的地に向かいました。
大和柳生城から先ほどの茶屋まで戻り、ここから国道369号線に沿って北に向かいました。柳生の集落に入る手前で、柳生家老屋敷の石垣と白壁の土塀が綺麗に見えていました。
次の目的地は集落の北東にある柳生古城です。
この柳生古城の登城口の手前にあった柳生焼の窯元です。
この柳生古城の登城口の手前にあった柳生焼の窯元です。
このすぐ奥に登城口がありました。
~ つづく ~